黄金色に色づいた稲穂が、風に揺れて波打っている。
車の窓を開けると、草の香りを含んだ風が車内に着込んできて、風に吹かれた私の黒い髪がはためいた。視界を遮ろうとする髪を、咄嗟に手で押さえる。
私たちが乗ったミニバンは、農場真ん中を真っ直ぐ延びている道を走っていた。
この辺りはちょうど収穫の時期なのか、大型の農業機械が稲刈りをしているのが見える。道路脇に停まっている大型トラックの荷台には、大きく膨らんだ袋がいくつも乗っていた。農業区らしい田舎っぽい光景に、なんだかほっこりした。
「そいえば、あれから何か進展あったのかしら?」
結局髪は、ポケットから取り出したヘアゴムで後ろにまとめた。窓を閉めろって言われそうなんだけど、どうしても車に乗ったら窓を開けたい病が発症しちゃう。大きく息を吸い込むと、なんだか身体に力が満ちるような感じがした。
「いや待て、ミモザ……さすがに一晩で状況が、一気に変わるようなことはないだろうよ……」
「ふふふ。確かに一気は無理ね、ミモザったら。うふふふふ――」
私の問いに、後ろの席に座っていた善一郎が大きなため息を付いた。口調から、善一郎が渋い顔をしているのが分かった。私の隣でハンドルを握っているナタリーが釣られて笑う。どうやら何かかがツボにはまったみたい。
意識を失っていた私が、一週間ぶりに目が覚めて一晩しか経っていないんだから、大きく自体が進展するなんて思っていないんだけど。
まあ、あれよね。何となく聞いてみた感じ。
ハンドルを抱え込むようにひとしきり笑ったナタリーが、カップホルダーから缶コーヒーを手に取って口に運んだ。
「はあーっ、何だか久しぶりに笑ったわ。昨日の成果はゼロじゃなわね。確か、青山くんの部隊が三世帯救出できていたわ」
「でも、その救出部隊の編成もままならないんだったかしら」
ある程度の現状は昨日も聞いていたけれど、寝起きみたいな状態で聞いていたから、実際にはほとんど頭に入っていなかったりするのよね。ついでにあの時は、アンジェリーナのことで結構頭が埋まっていたし。
「ええ、今はほんとにトキオシティ軍は人手不足なのよ。やることが山ほどあって、全ての部隊を市民救出には回せないのよね。
今も墜落の衝撃で損壊した各階層の修理に九割近く人員を割いているし、他にも都市外に墜ちた移民艦の捜索にも三つの部隊が派遣されてしているわ。本来なら現地での環境整備や、周辺の探索は移民艦で眠っている人たちがやる予定だったんだけど――」
ドラゴンの襲撃でその主力部隊とも言える移民艦が全て、世界各地に散らばって行っちゃったのよね、そこ知ってるわ。さすがの私にも、あの咄嗟の状況ではトキオシティを仮ダンジョン化させるのが精一杯で、破壊された機関区の向こう側、方舟の後部にあった倉庫区に積まれていた移民艦まで手が回らなかったのよね。
本来の人類移民計画の予定では、大きく分けて二つの移民分類がされていたの。
今トキオシティにいる人達が、世代交代を重ねて新しい技術や環境に慣れていく人たち。
方舟の都市部で普通に生活して、学校で色々学んでいく。地球と違う環境下で、特に宇宙空間がより身近になることで新しい発見とかもあるはず。その過程で新しい分野の専門家や、対宇宙空間に特化した戦闘員をじっくり育成していく計画だったのよね。
宇宙に出航してすぐに違う星の重力に捕捉されて、さらに操縦不能で墜落するなんて、誰も想定すらしていなかった。
そしてもう一つが、移民艦で眠りにつき、入植先ですぐに戦力になる予定の人たち。
人類が移植できる惑星が見つかってからは、移民艦で眠っている人たちの出番だった。地球で培った技術は、そのまま新しい大地でも最小限の補正で通用する。だから移住先で活躍するべく各方面の専門家の人たちや、戦闘訓練を積んでいて現地でみんなを守る人たちは、その全てが移民艦で永い眠りについていたわ。
そんな頼もしい人たちは、今誰も近くに居ないのよね。遥か上空で吹っ飛んで、この星のどこかに散らばっちゃったから。
で、そんなわけで今トキオシティにいるのは、ほとんどが一般人。だからこそ今この現状、圧倒的な戦力不足に陥っている。
「そんなに下階層の設備が壊れていたの?」
「ええ。それはもう、目も当てられないくらい。
一番ヤバかったのが、電源喪失よ。ミモザも知っているはずだけれど、航行中のトキオシティを維持する電源は、機関区のメインエンジンから供給されていたの。それがドラゴンの攻撃であっさり破壊されて方舟の全ての電源が完全に断絶したわ。しばらくしてトキオシティの発電所が緊急稼働して、それぞれの設備は自動で再起動したんだけれど、当然電源が復帰するまでにタイムラグがあったのよ。その間、各階層プラントを維持する重要な機器が全て停止していたのよね」
「うわ、それって本気でまずいことじゃない……」
「ほんっとにまずい事態なのよ」
「それにな、ミモザ。あの後、墜落してから色々調べた結果なんだが、電源喪失以外にも被害が多数見つかったんだ。機関区が爆発した衝撃で壊れた設備もあってな、こっちは停止しただけじゃなくて根本的に動かない。完全に壊れているから、そっちの修理を優先している。
そんな中でも一番被害がなかったのが、ここの農場階層だったのは不幸中の幸いか」
確かにトキオシティ下層にある様々なプラント設備は、移民計画の生命線でもあるのよね。今はたまたま、移民艦が世界各地に散らばっていて人口が少ないけれど、本来なら全ての住民を飢えさせないだけの食料が供給されないと、移民計画自体が破綻するのよ。
そういう意味では、目前に広がっているこの農場エリアの被害が少なかったのは、不幸中の幸いだったわね。
黄金色だった景色が変わって、果樹が実った木々が整然と立ち並ぶ果樹園区画に入った。
木々には色づき始めたリンゴが実っているんだけど、地面には同じくらいの数のリンゴが落ちていた。
車はやがて、農場エリアの中心地に着いた。
農場の真ん中にある大きな湖の湖畔に、とても周りの景色に似つかわしくない大きなビルが建っていた。ビルの屋上からはエレベーターパイプが遥か上にある天井まで伸びている。
この施設は農業区の中心設備で、各地で収穫された物は最寄りの倉庫に送られるんだけれど、その管理や計画なんかをここでやっているの。いわゆる、農業本部みたいな感じかしら。ここから上に行くとトキオシティの都庁に、下に行くと他の区画の同じような管理ビルに連結されている。
そのビルのエレベーターから私たちは一階層に向かった。農場エリアの空高く昇っていった後は、再び地面に潜ってやがてゆっくりと減速して止まった。
「えっ、なっ、なにこれ……さすがにこれは、酷くない……?」
「……そのミモザの反応、わかるわ」
エレベーターは都庁の一階で停止して、私たちはそこで降りたんだけど、目の前に見えた光景に正直引いた。
一階の降りてすぐがエントランスになっていて、まっすぐ前に都民広場があるんだけど、そこがおかしなことになっている。おかしいっていうか、もう異常。
あまりの光景に、思考が一瞬停止する。
入り口の先にある都民広場が多種多様の、それこそたくさんのモンスターで埋まっていた。
オークが居て、ゴブリンがいる。コボルトにトロール、ミノタウロスから始まってグリフォンやらマンティコア、コカトリス、アラクネとか、まさにファンタジーな生き物たちがひしめき合っていた。
他にも明らかに大きな狼や、腕の数がおかしい熊、その熊と同じくらいはあるカマキリや、そもそも元が何なのかわからない昆虫型の生き物たちがいる。
そのモンスターたちが、睨み合い、争い合っていた。それは生きるための捕食じゃなくて、どこか『場所』を奪い合っている様に見えた。
ただひたすら力の限り殴り合う、各々が手に持った武器を振るい、そしてその己の牙で噛み付いている。激しく叫ぶ声が、力の限り吠える声がここまで聞こえてくる。
ここは俺の場所だ――そんな声が聞こえた気がした。
広場は飛び散った魔獣の血や、虫の体液で、一面が真っ黒く染まっていた。
そんな混沌とした光景に、たまらず目をそらした。
「……ねえ、これってどういう状態なのよ」
「図らずしもここは、トキオシティの中心でな。方舟が墜ちた翌日からずっとあの状態だ。一週間で分かったことは、あの都民広場が奴らには重要な場所なんだろうってことぐらいだが、何が重要かはまったくわからん」
「ちなみにあの広場には、取り立てて何かがあったわけじゃないのよね。元になった旧東京都の都民広場みたいに彫刻が飾ってあったわけでもないし」
今の所、人間以外の生き物が建物の中に入る事ができないから、こうして悠長に観察できているけれど、もしあの数の生き物がなだれ込んできたら、力の弱い私たち人間なんてあっという間に駆逐されちゃう。
それだけ、暴力的な力の本流がそこにあった。
「ついでに言えば、ここだけじゃないんだぞ。まあなんだミモザ、一旦上に行くぞ。実際に目で見たほうが理解が早いだろう」
「上?」
「最上階だ。今はそこが中枢として使われている」
「そこって展望室だったわよね――」
見ていても何も変わらないし、思考を切り替えて上階に向かうためのエレベータホールに向かう。
まだトキオシティの都庁として本格的に使われていない都庁は、物が少なく寂れていた。その誰も居ないエントランスを横に進んで、再びエレベーターに乗り込んだ。
私たちを乗せた箱は、私たちを上の階に運んでいく。
最上階は、展望室の面影が一切無くなっていた。
部屋の中には私の身長よりも大きなサーバー型のコンピューターがたくさん立ち並んでいて、床には縦横無尽に配線が走っていた。これって、スーパーコンピューターよね。
実際に作業しているテーブルは窓際にあって、その頭上ではエアコンが全力で部屋を冷やしにかかっているわね。
いつもの見知った顔が、入ってきたミモザたちに気がついて手を振ってきた。
「管制区から全部移植したんだ。何でここ、とか言うなよ、全員必死だったんだ」
「さすがにそんなこと言わないわよ」
「ほらミモザ、こっちに来て見てみろ。ちょうどあそこに見えるのが、地球で新宿御苑があった場所だ」
展望室の変わりようにびっくりしていた私は、特に考えずに窓際に居た善一郎の元まで歩いていった。そしてそこに見えたあまりの光景に、自分でもわかるくらい眉をしかめた。
少し遠く、ビルが立ち並ぶ隙間から見えたその場所は、集まった魔獣のせいで真っ黒に染まっていた。