僕はすぐに、それが夢なんだって気づいた。
真っ黒な空間だった。
その夢の中にいる僕はハーフエルフで、金髪の少女をしっかりと両腕で抱きかかえていた。その金髪の少女の名前が『ミモザ』だってことは、夢の中だからか当然知っている。
他にも、少し離れた場所にいる、背中から雷の翼を生やして飛んでいる男の人が、父親である『レイジ』だってことも、さらにもう一人、背中に蒼炎の翼を生やして飛んでいるエルフの女の人が、母親である『アンジェリーナ』だってことも知っている。
そして今が、結構ひっ迫した状況だってことも思い出した。
結構なんてもんじゃないな、かなりやばい状況だよ。
僕とミモザの足元には足場になるものは何もなくて、僕がミモザに供給している魔力の力で、ミモザが魔法で浮かびながら何とか僕を支えて、一緒に宙を浮いている状態だ。
ついでにミモザは、少し前までとあるダンジョンのダンジョンコアで、色々あって今の体を受肉したんだけど、まだ体が馴染んでいないらしくてうまく魔力が練れない状態なんだ。
つまり、浮いているのがやっと。
目の前の僕たちは、そんな中途半端な状態で、強大な魔力を持った相手と敵対している。
肝心の敵は、少し離れた場所に浮かんでいる真っ赤なドレスを靡かせた大柄な女性だ。真っ赤に燃えるような真紅の長い髪が、風もないのに大きく広がって、波打つように蠢いている。
あの女性が何なのかは、さすがに僕は知らないんだけど。たぶん魔王? みたいな感じの存在なんだと思う。
レイジとアンジェリーナが真っ黒な空間を縦横無尽に飛びながら、それぞれ魔法で雷と蒼炎を撃ち出している。
それに対して真紅のドレスを着た女性――もう魔王でいいか。魔王が周りに浮かべた赤黒い炎塊で迎え撃ち、さらにはその赤黒い炎を撃ち出している。その赤黒い炎塊は、当然だけど僕とミモザにも撃ち出されていて、上手く移動できない二人は距離が離れているおかげで、それを何とかギリギリで躱している状況なんだ。
当然、ちょっとでも油断すると確実に被弾しそうな、そんな切羽詰まった状況だって理解できる。
まさに絶体絶命。
そんな必死な僕のことを、僕は少し離れたところから俯瞰して見ていた。
完全なる傍観者。
見ているのはただの夢。そう、夢なんだよね、これ。
でも夢のはずなのに何でだろう。
僕は――。
私は――。
『『この光景をはっきりと憶えている』』
真っ直ぐ魔皇の方を向いていた僕とミモザの顔が、同時にこっちに向いた。夢のはずなのに、はっきりと『僕たち』のこと認識していて、ここに『僕たち』がいるのがはっきりと視認できているようだった。
二人とも『僕たち』の存在が想定外だったのかな、目が大きく見開かれている。
八つの瞳が重なる――。
……えっ、ちょっと待って。
いやいや。おかしいよ。何で僕今、瞳が八つって思ったんだろう?
意識だけのはずの僕は、ない首をひねった。
今、夢を見ている僕を含めて、例えば僕に目が二つあったとして、今この瞬間に視線が交わったのは僕と向こうの僕、そして向こうの僕と一緒にいるミモザの三人のはず。でもこの人数だと、どう数えても瞳の数は六つにしかならないよ。
でも僕の意識は、はっきりと八つの瞳を認識した。
そうなると、もう一人はどこに――。
「イブキっ、ミモザっ! 何呆けているんだ、急いで避けないと格好の的だぞ! ああ、くそっ……!」
大きな声に、こっちを見ていた二人の視線が『僕たち』から逸れた。僕も釣られて、その先に視線を向ける。
魔王が片腕を前に突き出していた。上げられた片手が向かっている先は、未だ頼りなくフラフラと浮いている夢の中の僕とミモザの方向だ。
魔王の真っ赤なルージュが引かれた口元が、いやらしく歪んだ。
辺りにビキビキと何かが軋む音が響き渡る。魔王の周りの空間が揺らめいているように見える。さっきまでとは、明らかに違う規模の力が魔王から生み出されようとしていた。
それは禍々しいほどのエネルギー。
魔王が前に突き出した手の先に赤黒い光が渦巻き、そこから猛烈な勢いで噴き出した赤黒い禍々しい炎が、二人に向かって襲いかかっていく。
「み、ミモザ。早くここから移動しなきゃ」
「むむむ、無理よ。早くは無理だって。イブキも知ってるでしょう? わたし実体化してまだ、そんなに時間が経っていないんだよ。この体だとまだ魔力が馴染んでいないから、あなたと二人で浮いているのが精一杯で、思うように移動とかできないのよ」
「そうだよね、知ってたけどあれは流石にヤバい。そういう僕も、ミモザに魔力を供給しているから余計な制御できないしっ、って。うわあああぁぁっ――」
赤黒い炎が二人に当たる直前に、轟音とともに視界が真っ白に染まる。
俯瞰して見ている僕の視界も真っ白に染まって、慌てて目をつむるんだけどやっぱり目は瞑れなくって、これがあらためて夢なんだなって思った。
このあとは……そっか、レイジが、僕とミモザを守ってくれたんだっけ。
光はフラッシュみたいに一瞬で消えて、すぐに視界が戻ってきた。
「お父さんっ!」
「パパっ!」
「ああっ、レイジくんっ! すぐ行くよっ」
三者三様の叫び声が響く。
果たして、僕とミモザの前には片翼を失ったレイジが、ゆっくりと落下していくところだった。あの時レイジは僕とミモザを庇って、魔王の放った赤黒い炎を背中で受けたんだ。今思えば、背中で受けて無事だってことが驚きなんだけど。
すかさず飛んできたアンジェリーナが、レイジを支えて再び二人の近くに舞い上がってきていた。
そして僕たちは、あまりの事態に声を失っていた。
「……まずいなアンジェ、女帝の炎の威力が想像以上にきつい」
「そうなんだよレイジくん。実はさっきから、私の炎もまったく効いてないんだ。やっぱり同じ炎だと相性が悪いのかな」
「どうだろう。そもそもが威力が弱すぎて効いていない可能があるぞ。オレの雷も普通に効いていない感じだしな。イブキとミモザが自由に動くことができれば、まだやりようはあるんだがな。こうなりゃあれか、一か八か。オレの玉砕しかないか」
「突撃するの?」
「ああ、どうせオレは死ねないからな。全身に雷纏って、体当りすれば何とかなるだろう」
そうだ。このあとレイジは、全身に雷を纏わせた状態で魔王に突撃するんだ。
「じゃあ、ちょっくら行ってくる」
そう言ってアンジェリーナから離れたレイジの全身が、雷に包まれた。
衣服が燃えるなもなく一気に蒸発して、高熱で瞬く間に炭化したレイジの体は、さらに雷に灼かれて真っ赤に溶けていく。次第に激しさを増していく雷に、さらに真っ白に燃え上がる。
そして一閃。
真っ白に染まる視界の後に、遅れて轟く轟音。
自ら雷を纏ったレイジは、エネルギーの塊になって魔王に体当りして、そのまま向こう側まで突き抜けた。
さすがの魔王も想定外だったんだと思う。レイジの体当たりで一瞬のうちにその『核』を焼き貫かれた魔王は、抵抗するなもなく焼き尽くされる。真っ赤な髪と、同じ真っ赤なドレスが蒸発した。その白だった肌が灼けて一気に真っ黒に炭化した。
そしてゆっくりと、力を失った魔王は、驚愕に目を見開きながら、闇の中に落ちていった。
玉砕して完全に砕け散ったレイジが光の粒に変わって、やがて一箇所に集まって再びレイジとして蘇った。
蘇ったばかりで真っ裸のレイジを、すかさずアンジェリーナが抱きとめる。
「うあぁ……さすがにキツい。それでもやっと、終わったか……」
「レイジくん、それフラグ立ててるよ」
「え、お父さん別に、旗は持ってないよ?」
「そこ真顔で言うことじゃないわよ。あのねイブキ、フラグっていうのはね――」
冗談じみた会話の直後、それは起こった。
遙か下で、膨大な魔力が爆発したのがわかった。
恐ろしいほどの『赤』が遥か下方から、猛烈な速さで湧き上がってくるのが見える。『赤』はまたたく間に空間を、まるで吹き溢れ出た水のように満たしていく。
俯瞰してみていた僕ですら、背筋に強烈な悪寒を感じるほどの膨大な魔力。
その魔王の残滓が、空間を侵食していくように押し寄せてくる。
「ヤバいぞ、逃げろ」
「どこにさ。逃げるって言ったって、上に行くしかないが」
「なにこれ体がいうこときかないわ。どうしようイブキ、怖いよ。イヤッ、来ないで……あああぁぁぁっ……!」
「ちょっとミモザ、落ち着いて――」
魔王の魔力に当てられたミモザが意識を飛ばす。
イブキ、ミモザ、レイジにアンジェリーナの四人がまたたく間に『赤』に飲み込まれた。
あっという間に、真っ黒だった空間が真っ赤に塗り替えられる。
僕の意識も何故か、押し寄せてきた赤に沈んだ。
僕の見ていた夢はそこで、ブラック・アウトした。