「う……嘘よ、ね……?」
エレベーターがゆっくりと止まって、扉が開いた。
広々としたエレベーターホールは暗く……なかった。ちょっと待って、ここって確か円形の建物があって、いくつもあった扉がそれぞれの研究施設に繋がっていたはずよね……?
私の目の前には建物だった瓦礫が、あちこちに散乱していた。天井は既に無くて、抜けるような青空が広がっている。周りにあったはずの建物も全てが崩れ落ちていて、遠くの方にはトキオシティの外壁に大きな穴が開いていた。
穴の向こうには、墜落の際に吹き飛んでむき出しになった地面が遥か彼方まで続いていた。遠くの方に森と、高く連なる山々が見える。
そっか、ここって方舟の中でも機関区が接続されていた場所だったんだっけ。ドラゴンのブレスで機関区が吹き飛んだから、そのときの爆発で穿たれたのね。
そういうことなら、周りの建物が崩れているのもわかる気がする。ここが壊れたのって私が仮ダンジョン化させる前だったから、仮ダンジョン化の管轄外だったもの。
でもそうすると、こんな惨状の中だけど目的地でもある機体開発機関は無事なのかしら……?
確認しようとエレベーターから足を踏み出そうとして、背筋に走った悪寒に思わず踏み出しかけた足を引っ込めた。直後に閉まり始めたエレベーターのガラスの扉が、途中で何かに引っかかったのか止まった。
正直言って今だけは、扉に閉まってほしかった。
少し離れた瓦礫の山の向こうから、灰褐色の頭がゆっくりとせり上がってきていた。やがて目が、鼻が、口が見えるにしたがって、それがものすごく大きな生き物であることに気がついた。
瓦礫の山とはいえ、この辺にあったのは元々が大きな建物だった。だからたとえ崩れた瓦礫であっても最低でも高さは三メートルはあるはず。その瓦礫の向こうから大きな頭が出てきた以上、それはそれ相応に大きな生き物であることを意味する。
縁に手がかけられ、やがて瓦礫の上に身体が現れた。
「も、もしかして……あれってト、トロール……?」
その瞳は、しっかりと私の姿を捉えていた。口からはゆっくりとよだれが溢れてきている。トロールの顔がいやらしい笑みで歪む。瓦礫の上で少し屈むと、瓦礫の向こうからまだ枝が着いた丸太を引き上げた。
そして縁に足をかけて、のっそりと瓦礫を乗り越えてきた。
見上げるほどの巨体、その体躯は優に自分の三倍はある。
「うぐっ……」
身体が竦んで、足が震え始める。
喉が乾いていた。思わず飲み込もうとした唾がなくて、一瞬息が詰まった。軽く咳き込みながら荒い呼吸を繰り返した。
生暖かく、それでいて張り詰めたような空気が肌を撫でていく。
初めて感じる恐怖。
無意識のうちに指が何度も、エレベータの『閉』ボタンを押していた。
元々、父の善一郎とともに国連軍日本支部に所属していたから、軍人として紛争地域にも赴いたことがあった。戦地でテロリストと相対したことも何度もあったし、銃弾が飛び交う激戦をくぐり抜けたこともある。命のやり取りも当然したことがある。
自分では戦いに慣れていたつもりだった。
そんな経験すら崩れ落ちていくような絶望。
焦る私の気持ちとは裏腹に、トロールは確実に私に近づいてくる。
「嫌ッ! 来ないでっ」
『そこまでだ怪物。おとなしく銃弾に沈むがいいっ――』
トロールの足が止まった。
大きな銃撃音がした直後にトロールの丸太を持った腕が半ばから吹き飛んだ。続いて現れた巨大な機影が体当たりでトロールを吹き飛ばす。
『ちょっと遅くなったが、大丈夫かミモザ? ちょっと待っていろ、すぐに片がつく』
巨大な、見上げるほど大きな鈍銀色のロボットが、尻餅をついた私の目の前に現れた。見上げた高さは目測で十メートルはありそうだ。シャープなデザインのロボットが片手に厳つい銃器を、もう片方の手には巨大な剣を握っていた。
そのままロボットは、起き上がったトロールめがけて巨大な剣を、見惚れるほど滑らかな動きで振り下ろした。
「す……すごい……」
瓦礫から立ち上がったトロールに袈裟懸けに斬撃線が走った。トロールは腕を振り上げた格好のまま血しぶきを上げながら倒れていく。さらにトロールは続けて横薙ぎ振り払われた剣の腹に弾き飛ばされて、再び瓦礫に吹き飛んで埋もれた。
体格差はあったとしてもあまりに圧倒的な力に、思わず感嘆の声が漏れた。
でも本当にすごい。
乗っているのって、たぶんレイジよね。上の方から懐かしい声が聞こえる。
それにこのロボットがさっき話にあった『機体フォルギア』なんだよね。作りたてだからか、金属の素材感が丸出しのフォルムは、何だか無性にカッコいい。私が知っているのは、パソコンの中にあったシュミレーターで見た姿だけだったから、実物を目にすると圧倒的な存在感にドキドキする。
『まあ、あれだ。トロールだからこの程度じゃ、本質的には倒すことができないんだがな』
「あっ……言われてみればそうよね、トロールと言えば強力な自己再生があったわね」
『そこでだ、しっかりと焼き尽くしちゃおうと思う』
「……えっ、燃やす?」
瓦礫が崩れる音とともに、半ば埋もれていたトロールの半身が這い出てくる。傷口は既に塞がっていて、泡立つように肉が盛り上がり始めていた。
ロボット――機体フォルギアは、剣を背面に収納すると銃器に装着されていたカードリッジを外すと、腰にあった別のカートリッジに付け替えた。銃口をトロールに向けて、トリガーを引いた。
銃口から吹き出した赤い炎がトロールを包み込んだ。赤かった炎は、瞬く間に真っ白い炎に変わった。
『あ、やばい……ちょっと温度設定間違えたっ』
『ギィヤアアアアァァ――』
白い炎に包まれたトロールが断末魔の叫びと共に一瞬で蒸発した。炎はさらに周りの瓦礫すらも溶かし、燃やし尽くして消滅させていく。温度差からか、私達の後ろから炎に向かって風が吹き始めた。巻き上がった粉塵が風に乗って一緒に飛んでいく。
『放射中止だ、中断だ、いやコラ止まれ……うん、駄目だ。暴走してる……』
慌てて銃器を上に向けて腕を伸ばしたみたいだけど、既にトリガーから指を外しているにも関わらず、一向に銃口から吹き出している白い炎が止まる様子がない。高温の炎の影響で上昇気流が生まれて、けっこうな風が吹いているはずなのに、周りの温度が上がっていく。
これは、さすがにまずい状況ね。
トロールが居なくなったことで少しだけ強張っていた身体が解れた。目を凝らしてじっくりと観察してみる。そう言えばさっき、カードリッジを変えていなかったかしら……?
「ねえ、もしかしてカートリッジを外せば、エネルギーの供給が止まったりなんかしない?」
『……おおっ、それだっ!』
私の指摘に、慌てて逆の手で銃身に取り付けられたカードリッジを引き抜くと、あっという間に炎が小さくなっていき、無事鎮火した。
まだ熱い銃器を上に掲げたまま、機体フォルギアがゆっくりと片膝をついて跪いていく。ハッチが開いて、中から黒髪の男が出てきた。
「ミモザ、アドバイスありがとうな。一時はどうなることかと思った」
「パパ……じゃなくて、レイジさんのほうがいいかしら。こっちこそ助かったわ、ありがとう」
「呼び方はどっちでもいいさ。その感じだと、姿形は変わっていても俺が知っているミモザみたいだな」
「ええ、私は私。それにママも無事よ。ここからだと都庁を挟んでちょうど反対側かしら、大きな病院で医師の仕事してるわ」
「アンジェと話ししたのか、元気だったか?」
「いつも通りよ。機械いじりが出来ない医師は、性に合わないってぼやいていたわ――」
お互いに簡単な情報のすり合わせをした後、機体フォルギアに乗って移動することになった。操縦席にレイジが乗り込んで、私はその後ろにある補助席に乗り込んだ。
「さあ、それじゃ機体開発機関まで一気に行くぞ。ちゃんとシートベルト締めたか?」
「え、ええ。ちゃんとしめたわ」
ゆっくりと視界が上がっていく。
立ち上がった始めた機体フォルギアは、瓦礫の山を軽やかに飛び越えながら、道なき道を走りだした。その滑らかな動きに、さらに感動する。
私が最後に見た設計段階だと、搭乗者の衝撃吸収構造まで考えられていなかったと思う。だから人型形態で激しく動けば当然中に乗っている人は縦横、前後に同じように振り回される。とても乗れるような代物じゃなかったはず。
それが若干の振動はあるけれど、動きに対してほとんど揺れが生じていない。まるで、魔法を使っているような――。
「機体の制御に魔石を組み込んであってな、ちょっとズルさせてもらっている。そうでもしなきゃとてもじゃないが、乗れたものじゃなかった」
「えっ、それって逆にすごい発見なんじゃないの? そもそも地球に魔石なんて存在していなかったし、簡単に転用なんて出来ないはずじゃ……?」
「エリクシルの構成体であるナノマシンが、どうやら魔石と相性が良かったらしくてな、魔石から魔法的なエネルギーを引き出せることが分かったんだ。あとはちょっと英語でプログラム描き込んだら、なんかうまくいった」
「えっ……嘘でしょ……」
「つまり、偶然成功したってことだ」
レイジの説明に、思わず頭を抱えていた。
魔法かと思ったら、もろ魔法だったわ……。
そもそも動かすためのエネルギーは蓄電池、いわゆる電気駆動だった。電気だと、たとえエリクシルを媒介にしても一時間程度しか活動できない計算だったはず。それも平坦な場所で同じ速度でまっすぐ走った条件で、今みたいに激しく動けばあっという間にエネルギーを消費して動けなくなる。
魔石エネルギーはもしかしたら、その辺の問題ですらひとっ飛びで解決しちゃったのかもしれない。
「ここから二輪形態に変形して、一気に機体開発機関に向かうぞ――」
一面に堆く積もっていた瓦礫が少なくなってきて、周りの景色が深い森に変わった辺りでひときわ高く飛び上がった。空中で滑らかに二輪形態に変形すると、一気に走る速度が加速した。
周りの景色が後ろに流れていく。
森を抜けると私達が居たのは小高い丘の上だったみたいで、遠くにトキオシティの街並みとその向こうにトキオ湾が見えた。
そこで急に視界がブレて回転する。
「ちょっと、目が回るんだけどっ」
「悪いミモザ、何だか大きな蛇にぶつかった!」
上を見上げて叫ぶレイジにつられて、私も思わず上を見上げていた。
衝突した拍子に空中に飛び上がったみたいで、いつの間にか地面が上にあった。
そこに見えたのは、四メートル道幅と同じ太さの巨大な蛇の姿だった。