ボツ 11.まさか地下道が魔窟になるなんて、全く想定していなかったわ。


『おはようございます、先輩。起きていますか?』
 扉を叩く音に、眠りから覚めた意識がはっきりしてくる。
 眠い目をこすると、目元がパサツイていた。そういえば昨日、イブキからの電話を待っていて、結局電話が来なくて涙が溢れてきた。そのまま寝ちゃった……んだっけ。
 てっきり後で、折り返し電話してくれると思っていたんだけど、耳に聞こえてきた声が切羽詰まっていたから、私の方からはかけるにかけられなかった。

「佐々木さん、ごめん。今起きたところだから、ちょっと待ってて貰ってもいいかしら」
『わかりました。準備ができたら私の部屋の扉、ノックしてくださいね』
 連絡が来ると思って、ずっと左手に握りしめたままだった携帯電話を手放すと、さっぱりするためにシャワーを浴びる。裸になってシャワーを浴びているときだって、当たり前のように腰元に浮かんだままの携帯電話。シャワーを浴びているから、当然だけど私と一緒にびしょ濡れになっている携帯電話に、改めて首を傾げた。

 これって、科学技術で起こせる現象を遥かに超えているわよね。
 筐体は、いわゆるスマートフォンと呼ばれている、ごくごく一般的な携帯電話。ついこの間までは手を離せば床に落ちたし、何ならアスファルトに落ちた日には画面のガラスがバキバキに割れるようなデリケートなものだったはず。
 それが使い勝手は全く変わらず、まるで魔法がかかっているみたいに腰元に浮かんでいる。
 っていうか、これって魔法?
 でも普通に今までみたいに電話がかけられるし、インターネットだって変わらずに使えるから、感覚的には今までと同じものなのよね。

 そんな答えの出ない意味の無いことをつらつと考えながら、棚のバスタオルを手繰り寄せた。
 ドライヤーで髪を乾かしてから、せっかくお出かけするならと、しばらくぶりにスカートを履いた。配給品だからあまりお洒落じゃないけれど、ここしばらく作業着姿だったからちょっとだけ新鮮に感じる。

 とはいえ、ここは仮設住宅だからほとんど私物がない。
 食料品は、ちょうど今いる方舟二階層が農業特区で、各地に倉庫があって中に備蓄があるから、各仮設拠点に作られた配布所で問題なく手に入る。
 逆に日用品や衣料品とか、普段使う物が収められた倉庫は方舟表層にあったから、魔獣に占領されたせいで完全に物資不足の状況になっているの。幸いなことに、工業特区が方舟三階層にあるから生産自体はできるらしいんだけど、そもそも生産する人が足りていないから、思うように生産ができていないのが現状。
 想定外なのよね。誰も出航してすぐにこんな状況になるなんて予想していなかったから、方舟を運営していく人員が必要最低限だったってのも、大きな要因かもしれない。

 それに、爆発した機関区にいて亡くなった人、方舟後方の倉庫区で移民艦に眠ったまま世界中に散らばっていった人たち。あの瞬間だけでも想定以上の人員を失ったわ。
 それだけじゃなくて今も、魔獣に溢れた方舟表層に居て、家から出られないまま救助を待っている人もいる。
 動ける人が動ける場所でそれぞれ必死の作業をしているけれど、圧倒的に人員が足りていないのが、方舟の現実なのよね。

「お待たせ……って、何よその顔」
「もう、待ちましたよ。まあ昨日、出発する時間を言わなかった私も悪いのですが」
 考えていることは一緒なのか、不貞腐れていた佐々木さんもバッチリお洒落してきていた。来ているのフリルがいっぱい付いたゴスロリワンピース。さすがの私も、これは着る気になれないかな。
 佐々木さん、普段から来ていたのかな、少なくとも配給リストにこんな服はなかったはず。

 そんなお洒落な佐々木さんと二人でプレハブが立ち並ぶ仮設住宅団地を抜けて、その先にあるエレベーター区画に進む。ここから上に向かうと、魔獣が蔓延る方舟表層に、下に向かうと下層にある各階層が生産特区になっていて、最下層には方舟の心臓部である発電所がある。
 もっともその発電所だけど外見はそのままに、既にダンジョンの一部として方舟各地に電力と魔力を送り出しているらしい。そんなことが、この間いつものアプリに書かれていた。

 訪問相手が研究者だとすれば、その最下層のすぐ上の数階層が、予備階層としていろいろな研究者に開放されていたはず。

「それで、下の予備階層の研究階所のどこかに向かうのよね?」
「いいえ違います、まずは上に。その先は地下道を経由して港区方面ですかね」
「え? 待って。上って、ここから上にあるのってって方舟の表層よね? もしかして表層に行くの?」
「そうですよ。彼は未だに、トキオシティ湾岸研究所に居ますから」
 まさか危険地域にいるなんて想定していないし、ついでに今からそこに向かうなんて正直言って意味がわからない。

「道中は大丈夫ですよ、地下道は基本的に閉鎖されていますから、移動に限定すれば安全なんですよ。それに私、魔法が使えるようになりましたから、何かあったとしてもパパっとやっちゃいますよ」
「その地下道っていうのは、本当に危険がないの?」
「一昨日から調査隊が入った結果らしいのですが、方舟が墜落した衝撃で地上に出るゲートは全て、シャッターで閉鎖されたそうです。そのお陰か知りませんが、地下道には魔獣が侵入していないと、公式な発表もありました。ほら」
 そう言って見せてくれた携帯ニュースには、たしかに調査されたことが記事として書かれていて、地上の救出部隊も使っているらしいことも分かった。
 二階層の農業特区から伸びたエレベーターが、天井に突入した。地面に潜ったことで少しだけ室内が暗くなった。やがて、ゆっくりとエレベーターが停まる。

「それにですね、けっこうみんな地下道を車で移動しているんですよ。まあ地上に出られず、移動できるのが地下だけですし、駐車場の関係で行ける範囲が限定されてはいますが」
 エレベーターで上った先は、いつか私が駆け込んだ東京西区機関区前区役所の地下にある駐車場だった。
 地下駐車場には、たくさんの車が停まっていた。
 ここにある車は、その全てが自動運転の車で、トキオシティの公用車扱いになっていたはず。原則として利用は無料で、役所間や地上の公用駐車場を自由に移動できるのが特徴だったかしら。私も、何度か利用したことがある。
 車種も色々用意されていて、その中のちょっと小洒落た軽乗用車に二人で乗り込んだ。

『方舟地下駐車場に、車両設備を認識しました。移動型の部屋として登録を開始します……失敗しました。地面に固定されていないため、部屋として登録できません』
 そして、私の腰元からいつものアナウンスが流れる。

「え、先輩何か言いましたか?」
「私じゃ……ないのよね、何か言ったのはこれよ」
 手繰り寄せた携帯電話の画面には、いつものポップアップウィンドウが浮かんでいた。
 佐々木さんは文面を読んで首を傾げた。

「何かこれ、ゲームみたいですね。意味があるんですか?」
「読んだままよ。一応意味はあるけれど、大抵が通知が来るだけで、私の意思とは関係ないし、それに私に何かができるわけじゃないわ」
「そうなんですか、不思議な携帯ですね」
 不思議……確かにそうよね。
 私にも一体何が起きているのか、しっかりとは理解できていないもの。

 画面をスライドすると追加の説明があった。それによると、車は分類としては箱型の部屋ではあるけれど、動いているものはダンジョンの部屋としてみなされないらしい。
 そもそも、私が登録依頼とかしたわけじゃないから関係ないのよね。
 でもこれって、意味があってしようとしたことなのよね……なにか嫌な予感がするわ。

 そんな事を考えている間にも、私達二人を乗せた軽乗用車は、駐車場出入り口のシャッターの前まで進んでから一旦止まった。
 シャッターがゆっくりと上っていく。

「ね、ねえ佐々木さん。どうしてかしら、やけに道路が明るいように見えるわ」
「わわわ、私もそんな気がしますっ」
 軽自動車が駐車場を出たところで、背筋に悪寒が走った。後ろでシャッターが、開いたときとは反対にものすごい速度で落ちて、ビックリするくらい大きな音が響き渡った。思わず二人で後ろを振り返って、遠くなっていくシャッターに茫然となった。
 その音もあっという間に聞こえなくなっていく。

「先輩……やばくないですか、これ」
「ええ、気のせいならいいのだけど。どうしてかしら、体の震えが止まらないわ」
 出掛けに設定した目的地、湾岸研究所に向かって自動で走る軽自動車は、徐々に速度を上げていく。

 天井の照明に照らし出された地下通路は、想定以上に明るかった。時折、証明から火花が散っているのは気のせいだと思う。地下通路の、それもトンネルらしくないほどの明るさ。前を照らしているはずのヘッドライトの明かりが、何の意味も為していない。
 何かが、おかしい。いったい今、何が起きているのだろう。
 佐々木さんを見ると、顔が真っ青になっている。

 こんな時に、もし今何が起きているのかが把握できるとしたら……。

「noa、現状を説明してもらうことって、できるかしら」
「せ、先輩っ? 嫌な予感がっーー」
 携帯電話に話しかける私に、佐々木さんが息を呑んだのが分かった。激しく首を横に振っているけれど、現実は非情だった。

『回答します。現在地下道は、湾岸出入り口が破壊され、再閉鎖が不可能になったことにより、部屋としてのダンジョンの管理下から除外されています。そのため、各区役所の地下駐車場は緊急閉鎖処置を施しました。半径一キロ以内に魔獣が存在している場合は、閉鎖状態が維持されます』
 意味がわからなかった。

 つまり、ここはもう安全地帯じゃないってことなわけで。

「せ、先輩っ。狼が、黒い大きな狼がっーー」
 隣りに座っている佐々木さんが、私の腕にしがみついてくる。

 突然、速度を落として急停止した車の前に現れたのは漆黒の巨大狼で、ついでに言えばその欠けた歯を持った狼には、思いっきり覚えがある。ついこの間私が、地上で噛まれた狼だ。

 たぶん向こうも覚えがあるんだと思う。つんざくような激しい咆哮とともに、数十メートルはあった距離を一気に詰めてきた。
 そして私達が乗っている軽自動車の前で急停止し、その太い右前足を横薙ぎに振り抜いていく。

 その一連の流れが、コマ送りのようにゆっくりと視界に流れていた。