12.3話 Summoned demon


「あら、もうこんな時間なのですね。しっかり話し込んでしまいました」
 小一時間ほど、対面のソファーで話をした後、フェルネスの合図で私は椅子から立ち上がって、アリアレーゼに手を差し伸べた。そっと、私の手を取ったアリアレーゼは、立ち上がり軽く会釈をする。
 そしてゆっくりと扉に向かった。

 前世と合わせると四十数年生きているアリアレーゼは、イブキが知らない様々なことを知っていた。

 人には基本的に魔力が無いこと。その人の中でも魔力を持っている者は、必ず転生者であること。
 王族は魔人が担い、政治は公爵を中心に人の手で行われている。これは近隣他国においても同様の構成らしい。
 魔人である王族が、何故王族足るのかがおおむね理解できた。

 王族はただ誰一人として漏れず、起魂の儀を経て、真の魔人として覚醒する。
 覚醒して初めて魔人は、内に秘めた膨大な魔力を操って、意のままに大魔法を操ることができるという話だった。
 イブキのように貴族から王族入りしたばかりの魔人は、実際には魔力が多いだけの人。つまり半覚醒の魔人で、改めて起魂の儀を経て、やっと魔人として表舞台に立てるのだそうだ。

 結果として、イブキの魔人化は不完全だと言うことが分かった。
 魔力が多いだけで魔人認定され、しかし魔法の使い方はおろか、本格的な魔力の使い方さえも理解できていない状態だった。正直内心は焦っていた。今の状態でも問題ないと知って、ほっと胸をなで下ろしたのは秘密だ。
 さすがに、今から人に戻っても棄爵した爵位も、返上した領地も戻って来ないと思っていたからな。

 ついでに言えば、現職の魔人から見ると、イブキの保有魔力は規格外の量らしい。場合によっては次期国王に推される可能性もあると、アリアレーゼが説明してくれた。
 さすがに国王はやりたくない。このまま、不完全なままでもいいと思った。まあ、それこそ無理な話なのだが……。

「それではイブキ様、おやすみなさい」
「ああ、おやすみアリアレーゼ。今日は色々あって疲れただろう、ゆっくりと休んでくれ」
「はい、ありがとうございます」
 アリアレーゼを見送るために廊下に出ると、唐突に喧噪が耳に入ってきた。
 侍女が慌ただしく廊下を駆け回っている。

「何かあったのだろうか?」
「分かりません。ただ、尋常ではなさそうですね。聞いてみましょう」
 アリアレーゼが目配せをすると、お付きの侍女が通りがかった文官を捕まえて状況を確認してくれた。

「アリアレーゼ様、どうやらしばらく鳴りを潜めていた邪人が、我が国に侵攻してきたようです。じきに出動令が発動されるのではないかとのことです」
「ありがとう。戦の準備ですね、シャノィ準備をお願いします」
「かしこまりました。ではこちらに――」
「待て、どういうことだ? まさか、アリアレーゼが戦場に行くというのか?」
 慌ててイブキが、当たり前のように駆け出そうとするアリアレーゼに声をかける。それとほぼ同じタイミングで、アリアレーゼの腰の辺りからメロディが流れ始めた。
 アリアレーゼは腰元にあった板を手に持つと、それを見て数回頷いた。

「正式に国王から出動令が入りました。わたしは今から戦地に向かいます。
 戦時において前線に出動するのは、王族の努めです。それはわたしも例外ではありませんから。
 大丈夫ですよ。過去、わたしが生まれる前にも、何度か邪人の侵攻がありましたが、いずれも全て退けていますから」
「それならば私も――」
「いえ、イブキ様の出動は許可されていないのですよ」
 イブキの言葉を遮る形で、アリアレーゼは笑顔で首を横に振った。

 許可だと?
 喉まで手かけた言葉を、イブキはみ込んだ。

「人もそうですが、覚醒していない魔人も戦場に出ることを、原則として国が禁止しています。多量の魔力を持っていても、強大な魔法が使えなくては、残念ですが足手まといにしかなりません。
 イブキ様は王城にて、わたしの帰りをお待ちください」
「しかし私も、多少の武術は嗜んでおる。赴けば戦力にはなるだろう」
「敵味方ともに、威力や規模が大きい魔法が行き交う戦場において、多少の武術では何の役にも立ちませんよ。
 それは自ら死地に向かうようなものです。どうかこちらでお待ちください」
 そう言うとアリアレーゼは、すっとイブキに抱きついてきた。その小さな身体は、それまでの言葉とは裏腹に小刻みに震えていた。
 イブキは咄嗟に、アリアレーゼの華奢な身体を抱きしめていた。

 怖くないわけがない。
 年齢からしても、初陣だろう。それも齢九つなど、まだ親元で大切に育てられている歳の子だ。
 たまたま王族として生まれ、保有魔力が多く、転生した記憶とともに『魔人』と呼ばれてはいるけれど、それだけだ。
 人も魔人も、心の中は何も変わらないのに。

 あまりにも、理不尽すぎる。

 体が押されたので慌てて腕を解くと、アリアレーゼが離れていった。無理したような笑顔のまま軽く頭を下げると、踵を返して廊下を駆けていった。

「アリア……レーゼ……」
 伸ばした手が空を切る。イブキにはとっさにかける言葉が出てこなかった。
 やがて視界からアリアレーゼが消えた。
 いつの間にか廊下を行き交っていた侍女や文官の姿さえ、何事も無かったかのように居なくなっていた。

「あの……イブキ様。アリアレーゼ様との今生の別れ、みたいな空気を作るの、やめてもらえますか?」
「……なっ、フェルネス……それは言うな」
「いえ、敢えて言わせていただきます。
 窓の外をご覧ください。あんなにガチガチに全身鎧を着込んでいるのに、颯爽と空を飛んで戦場に向かう方々が、そう簡単に負けるはずがありません」
 フェルネスの言うように、全身鎧を着込んだ王族が、魔法で飛翔していくところだった。先頭にひときわ大きい、黄金色の鎧を着込んでいるのが今代の国王なのだろう。
 遠目に見ても、身体の周りに強大な魔力が渦巻いているのが分かる。

「それにむしろ、我々人やイブキ様のような『半魔人』など、例え一万人が束になっても王族たる魔人には勝てませんよ?」
「うぐっ……半魔人、言うでない……」
 窓のすぐ外を、全身深紅の鎧に包まれたアリアレーゼが、手を振りながら飛び去っていった。
 さっきの空気は、いったい何だったのだろうか。

「ほらごらんなさい、イブキ様など到底足下にも及びませんよ?
 あの鎧を着たまま空を飛ぶことができるようになって、初めて同じ舞台に立つことができるのです。
 さあ、こちらでアリアレーゼ様の帰りを待ちましょう。お茶をお淹れします」
 フェルネスによって精神的なダメージを受けたイブキは、その場に崩れるように四つん這いになった。
 やがて全ての王族が出撃したのだろう、城内はさっきの騒動がまるで嘘だったかのように静かになった。



「イブキ様、お茶が入りま――」
「なっ、ぐっ……!」
 王族としてあてがわれた部屋で休んでいると、突如として空気が重くなる。身体が押しつぶされるような感覚とともに、部屋が薄暗くなった。
 視線だけ動かし窓の外を見ると、王都の上空に黒い光とともに円形の模様が描かれていくところだった。
 あれは……何かの魔方陣なのだろうか……?

 円形の複雑な模様が形成された後、さらに外側を囲うように複数の円が描かれ、八方の全ての円に模様が描かれたと同時に、全ての模様が赤黒く輝き始めた。
 さらに体にかかる負荷が大きくなった。

「……いったい、何が……起きているんだ?」
 やがて、中心の円の中から巨大な褐色の足が二本生えてきた。足が全て出たあと、胴体が過ぎ、腕が四本顕れたのと同時に、禍々しい翼が顕現した。
 身体はさらに重くなっていく。
 これは……かなりキツいな。指先すらも動かせない。
 茶器を持っていたフェルネスも、崩れるように床に倒れ伏した。既に気を失っているのか、身じろぎすらしない。

 最後に顔が顕れると、それまでかかっていた重圧が、一気に解放された。
 それと同時に全身が凍えるように寒くなる。

 身体が自然と、窓際に向かって足を進めていた。そこにイブキの意思は一切反映されていなかった。
 そしてそれがさも当たり前であるかのように、窓際でその悪魔の顔を見上げていた。

 悪魔の真っ青な瞳が、じっとこっちを見つめていた。