ゆっくりと、意識が戻ってきた。
電話が着信している音がベッドサイドのテーブルの辺りから聞こえてくる。僕は、大きく伸びをしながら、手を伸ばして電話を手繰り寄せた。寝ぼけ眼のまま、画面の着信ボタンをタップする。
僕が起きたことをセンサーが察知して、天井の証明がゆっくりと明るくなっていく。
「ああ、僕の知っている天井だ……」
『ちょっとイブキ、何変なこと言っているのよ。朝よ、起きた?』
「ん。おはようミモザ」
時計を見るとまだ朝の五時。
ベッドから降りてカーテンを開けると、相変わらず外は真っ暗で、降り積もった火山灰が街を真っ白に染めていた。時折風が、火山灰を巻き上げながらそのまま灰をどこか遠くに運んでいく。
ここ半年変わらない景色に、大きなため息を付いてベッドに腰をおろした。
太平洋の巨大海底火山が噴火してから、半年が経過した。僕たちの生活はあの日を境に一変したんだ。
まるで雲のように、地球の上空をすっぽりと覆い尽くした噴煙で、日の光がほとんど届かなくなった。それによって地表は一気に寒冷化が進んで、あっという間に植物の殆どが枯れ果てて、当然というか動物もたくさん絶滅した。
もうね、テレビでも地獄が来たとか、世紀末だとか毎日のように特番が続いていたな。
急激な環境の変化は普通に僕たちにも影響があって、それこそたくさんの人たちが亡くなって、対応が間に合わなかった国もたくさん無くなった。噴火の前兆とか全く無かったらしいから、ほんとあのときは大騒ぎだったのを覚えてる。
そうか、もうあれから半年なんだな。
結局、なんだかんだ言って人間って生き物はかなりしぶとくて、生活スタイルは変わったけれど、噴火前と比べてもまだ半数近くの人たちが生き残っているらしい。
『イブキがさ、輸送船に乗るのって今日よね、準備は出来てる? 着るものと、大切なものは鞄に入れた? ちゃんと、方舟のチケット持ってるのよね?』
「ああ。大丈夫だよ。準備は出来てるよ」
電話をハンズフリモードにして机に置いてから、着替えを始める。
寝汗で湿った服が引っかかってうまく脱げなくて、なんとか苦労して寝間着を脱ぎ捨てて、外行きの服に着替えた。思った以上に汗をかいていたんだな。
それにしても……あの夢は何だったんだろう。妙にリアルな夢だった。
前世の僕なのかな。ハーフエルフだったけど。
それに、髪の色とかは違っていたけど、いま電話の向こうにいるミモザも出てきたよね。父親であるレイジは今と容姿は変わらないけれど、母親のアンジェリーナは耳が異様に長いエルフだった。
何でかな、あの夢に見たイブキの記憶、彼の生きた記録っていうか、全部思い出した。状況的には転生的な何かなんだろうなって思うんだけど、僕としての意識が変わっていないから、転生とかじゃないと思う。
感覚的にはあれだ、物語を読んで登場人物に感化された感じにているかな。
まあ、それより今は出発の準備をしなきゃだ。
机の上に用意してあった方舟のチケットを、手持ちの鞄にしっかりとしまう。
『ほんとに? イブキって忘れっぽい所あるから、私が起こしてあげないとずっと寝てたと思うし』
「いや、今日はさすがに起きるよ?」
『あのね、イブキは棺桶組じゃなくて方舟維持組なんだから、今日、乗り遅れたら次はないのよ。それこと私の知っている限り二ヶ月、ずっと先延ばしにしてきて、今日の便が方舟維持組としてはもう最後なんだから。方舟も来月の頭には出航することが正式に発表されたから、そろそろ棺桶組の搬入だって始まるのよ?』
「棺桶って……ははは、確かに聞いた話だと移民艦に乗る人達は、そんな感じみたいだな」
僕が大学にこもっている間に、いつの間にか人類移民計画も最終段階に差し掛かっていたのか。道理でミモザが慌てているわけだ。
そういえば昨日のニュースでもキャスターのお姉さんが興奮していたっけ。
確か、人類移民計画で採用された巨大移民船の名前が、方舟だったよね。
元々は新東京都として、東京湾の湾上に建造されていた超大型建造物を、そのままそっくり人類が地球から旅立つための宇宙船として改造した、地球規模の大プロジェクトなんだ。
太平洋の巨大火山が噴火するよりも前に、温暖化という名の地球寒冷化の煽りを受けて、日本が国家の威信をかけて進めていた都市プロジェクトが、まさかの方向転換された形なんだけど。もちろんそのままだったら、洋上に建造したデカブツだったから空なんて飛べないよね。
人類が追い詰められたことで、奇跡的に技術革新が進んだ結果、技術的に可能になったんだけど。
『あとはそうね、家を出る前にちゃんとエリクシルを飲んで、気密服をしっかりと着ないとだめよ。そのまま外に出たら、火山灰吸ってすぐに肺が炎症起こしちゃうわよ』
「わかってるよ。朝食を食べたあとで、ちゃんと飲むから」
『本当に大丈夫? やっぱり今から、私が迎えに行こうか?』
「方舟からか? いやいいよ。機関部の最終整備で忙しいのに、主任のミモザが抜けちゃだめだろうよ」
電話を手に持って鞄を肩に掛けて、自室の照明を消してから階段を降りていく。
僕しかいない家はとても静かで、今日、僕が出ていくとここは完全に無人の家になる。
リビングに入ると、照明が点いた。
電子レンジで、用意してあった食事を温めてから、電源ボックスからエリクシルポッドを抜き取った。途端に、部屋が真っ暗になる。それを引き起こしたのが自分だってことに気がついて、再び電源ボックスにエリクシルポッドを差し込んだ。
家の電気が復活して、部屋が明るくなった。
このエリクシルポッドの仕組みを作ったのが父親のレイジで、中に充填されているエリクシルを作り出したのが、母親のアンジェリーナなんだよな。
奇しくも巨大火山の噴火で、世界の発電設備の九割が沈黙。タイミングよく、手軽に電源が確保できるエリクシルポッドを発明した二人はこの半年、世界中をせわしなく飛び回っていて一度も家に帰ってきていない。
今頃は確か、方舟に乗り込んでいて、ミモザと同じように最終調整に忙しく動いていると思う。
『エリクシル飲んだ? ちゃんと飲まないと、気密服の中で窒息しちゃうから』
「ああ、それならもう実際に体験しているからよく分かる。少し前に一度、慌てていてエリクシルを飲まずに気密服着た時があってさ、窒息しそうになった。さすがにあのときは死ぬかと思ったよ」
『馬鹿なの? さんざん注意してって言っていたのに、忘れてたの?』
「だから、慌ててたんだって。大学のエリクシルポッドが誰かに抜き取られて、空調が全て止まっていたんだ。たまたま僕は薬草を育てていた温室にいて気が付かなくて、真っ暗な研究室に戻ったときに先に明かりを確保しようとして……」
『それで気密服を着たと』
「そうそう。その時はまだ、エリクシルがそんなに重要なものだなんて、理解していなかったんだよ」
ほんと、あの時は泡を食った。
真っ暗だったし、そんな慌てているときに限っていつもは簡単に脱着している気密服が脱げなくて、意識が朦朧としかけたときに、たまたま見回りに来た教授に助けてもらって、一命をとりとめたんだよ。緊急脱衣ボタンで。
緊急時のそれがあったの知っていたはずなのに、それすらも忘れるほどパニックになっていたんだよな。
『エリクシルはね、生体ナノマシン集合体よ。飲むことで壊れた細胞を蘇生し続けることができるから、気密服で完全に外気と遮断されても酸欠すら蘇生するから生きていられるのよ。考えてみれば、何だか不思議よね。
五百ミリリットル容量のエリクシルで、その効果は八時間。あなたのお母さんでもある、アンジェリーナさんが発明した物よ?』
「そしてそれを謎利用して、うちのお父さんが、無限発電機関のエリクシルポッドを作った……と」
普段は体の良い永久発電機関であるエリクシルポッド。その容器に入っている間は、百ボルト五十アンペアの定格ながら、その範囲内で際限無く電気エネルギーを作り出すことができる。そして人命の危機の際には、中身のエリクシルを患者に投与することで、人命救助に使うこともできる。
世が世ならノーベル賞ものの発明なんだけど、すでにその機関自体が機能していないんだよな。
『ね、ちゃんとエリクシルを飲んでから気密服を着るのよ。約束だから』
「ああ。わかったよ。それじゃあ、そろそろ出かける準備するよ」
『……あ、イブキちょっと待って』
電話を切ろうとして、聞こえてきたミモザの声音がいつもと違う気がして、もう一度耳に当てる。何ていうのかな、妙な胸騒ぎを感じた。
「どうした?」
『……あのね……イブキってさ、前から『僕』って言ってた?』
「ん? 僕は前から僕だよ。なんで?」
『……そっか……うん、そう、だよね。それじゃ、方舟で待っているわね』
ちょっとの間があって、電話が切れた。
慌てて電話を鳴らしてみたけれど、圏外か電源が入っていないってアナウンスが流れるだけで、もうミモザの電話に繋がらなくなっていた。
「なんだよ、何だか僕が悪いみたいじゃんか……」
思わず大きなため息が漏れる。
何だか居たたまれなくなって、タオルを片手に洗面所に向かった。顔をからってから、何の気無しに鏡に写った自分の姿を見た。
そして、鏡に写った自分の姿に、少しの間、思考が止まる。
……あの……ちょっと待って。
どうして僕の耳、先が尖っているの?
いつもの自分の顔、のはずだったのになぜか、耳の上端が長くなっていて先が尖っていた。昨日寝る前は、間違いなく丸かったのに。
ついでに言えばここは地球の日本で、僕は生粋の日本人で、普通に人間だったはず。人間だったよね、ちょっと自信がなくなってきた。
この耳って、よく物語に描かれている、いわゆるエルフ耳だよね。引っ張ってみても普通に感覚があるから、間違いなく僕の耳だ。
これってもしかして、さっきの夢の中で見た、あのハーフエルフ?
そっくりっていうか、姿がそのまんまだ。
ちょっと、意味がわからないんだけど。