2.目が覚めたら、とても危険な場所だったわ。side.ミモザ


「んっ……ここは?」
 私が目を覚ますと、視界に入ってきたのは真っ白な天井だった。鼻に香ってくる独特な匂いから、ここが病室だってことがすぐに分かった。
 頭元で、何かの機械が私の動きに反応してピピッと音を鳴らす。

「私が無事だってことは、方舟も無事関東平野に落ち着けた、ってことなのよね」
 上体を起こすと体の節々がまるでちぎれるかのように痛んで、思わず眉間にシワを寄せた。自分たちの船を守るためとはいえ、東京都一円ほどもある巨大な船をまるごとダンジョン化させるなんて、流石に無理なことをしたと思う。
 もっとも、その反動がこの程度で済んだのだからある意味で良かったんだけど。

 私がいるのは予想通り病室で、さらに病院の最上階なのかもしれない。窓の外にはトキオシティの広大な街並みが広がっていて、立ち並ぶ木々が風に吹かれてゆっくりと木立を揺らしていた。
 空は気持ちがいいくらいに晴れ渡っていて、遠くの方に見える外壁際から入道雲がせり出してきている。

 この景色はあのとき、私が『今の私を思い出せた』ことで守り通すことができたんだなって。心の底から感じた。



 宇宙空間で方舟がこつ然と現れた方舟とすれ違った時に、私はすべての記憶を思い出した。
 ううん、ちょっと違うかな。宇宙船がすれ違った際にも、私のこの体には地球で育った私がいた、その元々の私に重なるように私が入ったのかもしれない。
 何だか状況説明が難しいわね。
 少なくとも、地球で『ミモザ』として過ごしてきた時の記憶も、方舟で思い出した時に記憶していた『違うミモザ』としての記憶も、どっちも私の記憶なのよね……。

 いずれにしても、今の私にとっても太平洋沖にあった海底火山が噴火して、その噴煙で地球全てが暗闇に覆われた記憶は、恐ろしい思い出として私の頭にこびりついている。
 平均気温は一気に下がっていき、光と温度を失った植物がどんどん枯れていった。
 多くの動物や昆虫が息絶え、海が濁って魚介類も一気に減っていく。大気の循環が淀んで風が乾き、土壌からも水分が失われていった。空気中の酸素が減って二酸化炭素が増えたことで、酸素マスクが必需品になったっけ。

 物語の中にだけあった『終末の地球』が、たった一つの火山が噴火しただけで現実のものになった。

 だから、久しぶりに見た青空は、何だかホッとした。

 災害で世界からは戦争がなくなったけれど、体力がない国があっという間に衰退。多くの命が失われていく光景が、毎日のようにニュースで取り上げられていた。

 そして実現した、人類移民計画。

 日本が東京湾沖に建設していた新東京都が、そのまま方舟に転用されて一気に計画が進んで、工事の総責任者だった父と一緒に私は宇宙に飛び立った。

 堅物だった母は最後まで宇宙に出るのを反対していて、結局あの暗闇に包まれた地球に残ることになった。地下に潜んで地球の回復を待つといって、あの忙しい時期に父に離婚届を叩きつけて家を出ていったっけ。

 最後に見たあの冷めたような目が、今でも思い出される。
 私もその時すでに父と一緒に方舟の工事に携わっていたから、母から見たら私も同じ目をしていたんじゃないかって思う。



「ミモザっ!」
 病室に人がなだれ込んできたことで、私の回想が中断された。先陣を切って飛び込んできた父『善一郎』に、自分でもわかるくらい頬が緩んだ。

「船長、おはようございます」
「いや……ここでは普通に、父と呼んでくれないか……?」
 私たち親子のいつもの会話に、ちょっと緊張していた空気が和んだ気がした。
 あとから続いて病室に入ってきたのは、管制室にいたいつものメンバーだった。

 操縦士の裕司。副操縦士のポルナレフ。計器類を担当している早苗に、オリヴィエ、ロイド。
 それから倉庫区担当の賢造に、フォルト、実乃梨。福機関士のナタリーに琢郎。ちなみにだけど、私は機関士長だったりする。
 最後に保健士の……え、アンジェリーナ……ママ?

「ミモザは、体の数値は安定しているからね、あとは本人がエリクシルを経口摂取すればなんとかなると思うよ。体には損傷はない、じきに良くなるはずだ。ただまだ目が覚めたばかりだから、あまり長い時間の面会は控えてほしい」
 びっくりして視線を向けたままの私に気がついてか、アンジェリーナは私に分かる程度に頷くと、部屋の隅にある医師の診察机に歩いていった。
 私は何だかアンジェリーナから視線が外せなくて、その背中をずっと追っていた。

「おい、ミモザ。えらいボーッとしてるが、大丈夫なのか?」
「あっ、ええ。おと……船長、大丈夫よ。ちょっとアンジェリーナが知り合いに似ていただけだから」
「うがーっ! だからな、今は公務じゃないんだから父でいいだろうよ、なあ」
「そのくらいにしてあげてミモザ、それにアンジェは新東京都建設チームからのチームメンバーじゃないの。見知った顔でしょ?」
「もちろん知ってるわよナタリー。言ってみたかっただけよ」
「もう、びっくりさせないでよ。記憶障害とか心配しちゃうじゃない」
 ここにいるのは本当に気が置けない仲間で、いつもの何気ない会話に花が咲いた。
 アンジェリーナの件は、ちょっと……いや、すっごく気になったけれど、あとでいいか。とりあえず医師だからここに残るんだよね。だから、みんなが帰ったあとで話をすればいいかなって思った。


 びっくりしたことが、私が一週間の間このベッドで意識が戻らないまま寝ていたことだったかな。善一郎は最初なんて、二時間置きに病室に顔を出していたって言うから、ほんと心配かけちゃったなって思う。
 公務が忙しいのにって、裕司がぼやいていた。善一郎は方舟の船長だったから、墜落して飛べなくなった時に必然的にトキオシティの市長になったみたい。ちなみに裕司はポルナレフと二人で副市長だって、頑張れ副市長。

「それで、表層にある都市部の大半に外から魔獣が侵入してきて、そのまま棲んでいるって……ほんとなの?」
「そうなんだよな。墜落したその日のうちに壁を越えて大量に流れ込んできたんだ。ただなぜか、魔獣は建物の中には一切入ることができないないらしくて、建物の中から眺めている分には安全なんだよ。二層を経由すれば移動自体はできるんだが」
「二層は農業プラントだから、壁際や表層の倉庫地帯以外には重要な施設にしか出入り口がないのよ。だから、住宅地の市民救出が難航しているわ」
 窓の外に見えている表層のトキオシティは、新宿を中心にして東京都を円形にくり抜いた形に都市をデザインしてあるから、外壁に向かうに従って住宅地が広がっている。

 必然的に方舟に住んでいる世代交代型の移民は、市民として外壁に近い場所に多く住むことになる。それで最初に魔獣に侵入されたのが、住宅地だったらしい。
 宇宙に飛び出して外出規制が解除されて、その直後に墜落したわけだから乗っているだけの市民の混乱は想像に難くない。その殆どが日本人で、何かと戦うなんて経験は一切ないもんね。運悪く建物の外にいた人たちが、瞬く間に魔獣の餌食になったらしい。

 ふと、窓の外を見てみると、見下ろした地上に確かにそいつはいた。日本人としては、物語の中にしか知らない生き物が歩いているのが見える。
 小柄で、肌が緑色。かなり遠く離れているはずなのに、醜悪な顔がわかる。
 薄汚いボロ布を着ている姿は、アレよね。普通にゴブリンだと思う。

「現状の戦力なんて、宇宙空間において小型の戦闘機に乗って戦う状況しか想定していなかったから、今の状況は完全に想定外の戦力不足なんだよ」
「そっか、軍務の人だってわざわざ安全な自宅に武器を携行していったりしないわよね」
「拳銃程度なら軍人の嗜みで携行していただろうけど、装填してある弾丸の数から考えても、とてもトキオシティ中に侵入した魔獣と戦える戦力じゃなかったよ――」
 方舟がこの星に墜ちてから一週間かかって、救出できた市民が全体の一割。これが実際の数字だって。

 方舟の前身だった新東京都は、大災害を想定した自立型の都市としての計画されていた。その設計上、各戸には有事の際に一ヶ月は生きられるように保存食が配備されているから、飢える心配はない。水道と電気、ガスは問題なく通じているみたいだし。
 それよりも今喫緊の問題になっているのが、避難先に使われることになっている二層の農業プラントに、人が住める建物が建っていないことだって。わかる気がするわ、都市の設計段階で想定していなかったもの。

「各家庭とは連絡が取れるし、中央庁舎ではそれぞれの家にいる人数まで把握できている。まあ、着実に救出活動は進んでいるから半月もすれば事態は収集するだろう」
「私も体調が戻ったら、救出部隊に参加するわね」
「そうしてもらえると助かる。まあ今は体の回復を優先するんだ、勘が戻るのに時間がかかるだろう」
「ええ、ありがとう。お父さん」
 ひとしきり話をしたあと、みんなそれぞれの現場に戻っていった。



 部屋に残ったのは私とアンジェリーナ。
 みんなが部屋を出ていって、しばらく経って誰も戻ってこないことを確認してか、アンジェリーナが椅子を転がして私が座っているベッドに近づいてきた。

「なんで、ママはエルフのままなの……?」
 地球には人間しかいないはずなのに、アンジェリーナの耳は長耳族系のエルフ特有の、長く尖った耳をしていた。
 髪は漆黒で瞳も黒。物語に登場するエルフが、だいたい金髪碧眼とかだから、そのイメージからすると違和感だらけでエルフらしくはないんだけど。

 アンジェリーナは、サイドテーブルにあるポッドにお湯を注ぐと、二つのコップにお茶を注いだ。一つを私に手渡してくる。
 ふんわりとした緑茶の香りが鼻に香って来た。

「その感じだと、私の知っているミモザちゃんみたいだな。いやしかし凄いなこの世界は、私の知らない機械がいっぱいあるじゃないか。医師なんて肩書があるから全然好きに機械いじりができないんだが、どうしたものか」
「えっ……ええっ?」
「レイジ君もイブキちゃんもいないし、怪我人がいっぱいいるからここを離れるわけにいかない。役職が付くってことは、難儀なことなんだな」
「う、うん?」
 眉間にシワを寄せて本気で悩んでいるアンジェリーナに、私は頭が真っ白になった。

 前の世界で義理の娘になって、確かにそんなに時間が経っていないから素の状態を知らなかったけれど、こんな人だったの?

 私がびっくりして目を瞬かせていると、アンジェリーナの手が伸びてきて私の頭を優しくなでた。

「しかし、このエリクシルっていう薬剤はすごいな、とても私が発明したものだなんて思えないな」
「あ、うん……そうだね……」
 何でかな、ぜんぜん会話にならないよ。

 嬉しそうなアンジェリーナを見ながら、私は大きなため息をついた。