29話 南極


 大樹の幹を調べると、木の幹に隠れるように場違いな形のスイッチがあった。
 手を伸ばしかけて、その手が止まった。

 ただ未だに、心のどこかで迷いがある。
 手紙に書かれていたことが、どこまで本当のことなのか分からない。特に最後の部分。あそこだけは、もの凄い違和感を感じた。
 アンジェリーナの名前が出ていたわけじゃないし、状況証拠を列挙していけばある程度は偽造できる。

 あの日、アンジェリーナは頭を打ち抜かれて穴の底に落ちていった。同時にレイジもドラゴンに補食された。
 その後どうなったのか、知るすべはない。
 どうして手紙が、車の中に用意されていたのかも分からない。
 でもまあ……。

「俺が動くことで世界が変わって、人間にも魔族にも暮らしやすい世界になるのなら、行ってみてもいいのかもな」
 何の確証もない。
 世界に対して恨みもない。
 本音を言えば、普通に平穏に暮らしたいだけだ。

 でも人間同士が、何かを奪い合い争い合う姿は、ただただ悲しかった。
 物が足りていないから、それを巡って敵対する。それは単純に水であったり、生活するための必需品の場合がほとんどだ。
 そしてお金を求め、権力を掴み合い、あからさまな格差が生まれていく。その過程で、たくさんの命が失われていく……。

 ボタンを押す。
 隣の木肌が音もなくずれていき、そこにこの場にそぐわない鈍色の扉が現れた。鈍色の扉の横にあるボタンを押すと、鈍色の扉が左右に開いた。
 レイジは手紙と爆弾が入ったリュックサックを、しっかりと背負い直す。後は手持ちの袋に、食べられそうなものをいくつか詰め込んだ。

「武器は……いらないか、持っていないし」
 中の小部屋に入ると、背後で扉が閉まった。
 これは……エレベーターか? 独特の浮遊感の後に、下に向けて降下していく。
 ずいぶんと長い時間、下に降りていたような気がする。やがてエレベーターは停止した。

 暗闇に明かりが灯っていく。
 レイジは廊下を進み、先端が尖った乗り物がある場所に出た。

「これは鉄道とか、そんな感じの物か?」
 乗り物の前には線路があって、大きく口を開けたトンネルの、その先に続く暗闇の中に延びていた。
 何でここにこんなものがあるのだろう……。
 もしかしてこれが南極まで繋がっているのか。

 乗り物の側面にあるパネルに手を触れると、パネルが光った後すぐ横の扉が開いた。
 この施設は、いつの時代のものなのだろう。
 エレベーターもそうだったけれど、一切の劣化の跡がない。全てのものが当たり前のように稼働している。

 乗り物の中は意外に狭く、座席を数えてみると十席しかなかった。
 レイジが座席に座ると、ガタンと言う音がして乗り物が動き始めた。しばらくガタンゴトンと音がしていたけれど、やがて一切の音が聞こえなくなった。
 窓があって、外にはトンネルの壁がもの凄い早さで流れていた。

 疲れていたのかも知れない。
 そんな代わり映えしない窓の外を眺めていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。



 窓の外は一面に真っ白だった。
 目を覚ますと、どうやら目的地に到着したらしい。乗ってきた乗り物が完全に停止していた。
 何だか車内が、異様に寒いような気がする。

 いや待って。ここまで来たら、その……なんだっけ。南の魔術塔? そこまで運んでくれればいいのに。
 正直言って、一気に行く気が失せた。
 窓ガラスに手を触れると、冷たい。凍っていると言っても過言じゃない。

 立ち上がって、乗り物の中をあちこち探してみる。
 うん、防寒具はないな。
 南極が寒いなんて知らなかったから、何の対策もせずに来ちゃったよ。

 手紙を読んで色々考えた。その結果ここまで来た。
 世界をリセットしないといけないらしい。でも考えてみれば、何で俺なんだ?
 たぶん、ここってかなりシリアスな場面なんだと思う。
 無理だ。とりあえず笑うしかない。

 百歩譲って……もういいや、行こう。南の魔術塔。


 レイジが扉を開けて乗り物から出ると、一気に体感気温が下がった。
 慌てて振り返ると、乗り物の扉が閉まるところだった。乗り物は無人のまま、ガタンゴトンとレールを走って少し先のトンネルの中に消えていった。
 これは、詰んだか?
 指先から一気に感覚がなくなっていく。
 レイジはその場にうつ伏せに倒れ込んだ。
 極寒の中レイジが意識を手放すのに、それほど時間はかからなかった……。



「うあ……寒い……」
 いつも通り蘇った。蘇ったはいいものの、うつ伏せだったこともあって息が苦しくて、慌てて起き上がった。座り込んだ状態で、いつも通り大きく息を吸い込んでいた。
 教訓。南極で深呼吸をしてはいけない。
 肺に激痛が走って、思わず両手で胸を抱えた。
 さらに一気に体温が奪われていき……。

「あぁ、だめ……だ……ざようだ、おげ……」
 意識が一気に遠のいていき、蘇ったばかりだというのにまた命を失った。
 当然ながら、即座に蘇る。
 そしてそのループがしばらく繰り返された後、徐々に体に寒耐性が付いたのか、命を落とすまでの時間が長くなっていった。

 そしてレイジは、大きなため息を……すんでの所で息を吸うのを止めて、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
 結局のところ寒さに対する耐性はある程度付いたけれど、寒いものは寒い。ついでに、肺に関しては性能が変わらないみたいで、大きく息を吸い込むと普通に逝く。
 南極点……がどの方向かすらも分からないけれど、とりあえず足を進めることにした。
 そして痛感した。退路が断たれるってこういうことなのか。

 徒歩で戻ろうと思って、落ち着いて振り返ったら……トンネルが崩れていて海水か流れ込んでいた。
 さすがに、トンネルは脆くなっていたようだ。
 だから俺には最初から、先に進む選択肢しか残っていなかったことになる。



 見晴らしの悪い視界の少し先に、大きな塔がそびえ立っていた。
 猛烈な吹雪が視界を真っ白に染めている。

 向かっていた方向は間違っていなかったようで、気の遠くなるほどの時間歩いて、やっと塔が見えていた。
 いや、実際にはそれほど時間はかかっていないのかも知れない。
 あまりの寒さに、既に感覚がおかしくなっていた。

「……ここが、みんなが言っていた南の魔術塔か……って、うわっ」
 上に気をとられていて、足元にあった何かに躓いた。
 そのまま雪の中に派手に倒れ込んだ。

「アンジェ……すまない。俺、無理だと思う……」
 ゆっくりと、軋む体に鞭を打って起き上がった。
 再び一歩ずつ、冷たくなった足を動かして前に進んでいく。
 やがて、さっきまで遠くにうっすらと見えていただけだった塔が、視界いっぱいに壁となって立ちはだかった。

「やっと……着いた……」
 塔の壁に手をつこうとして、一切の力が入らなかったため前のめりに倒れ込んだ。そのまま壁に強か顔を打ち付けて、再び雪面に転がった。
 でもここまで来ることが出来れば、もう体勢なんてどうでも良かった。背中に背負ったリュックサックを必死にたぐり寄せて、中から四角い板をとりだした。

「本当にこれで、破壊できるのか……?」
 横になったまま、手元の板を眺めた。

 魔素消滅爆弾。

 これは過去の遺産。負の遺産でもあるのか。
 気が付いたら荷物の中にあったと言うべきか。
 結局この兵器は、本当は誰から託されたのか、真実が分からずじまいだった。
 ただこれで、この星の全てをリセットすることができる。

 あとは、どこかの誰かさんが何とかしてくれるはずだ……。

 指先が動かないから、手の平で板を挟んで持ち上げて、何とか壁にくっつけた。途端に、何かに反応したのか板が吸い付くように壁に張り付いた。
 表面に文字が浮かぶ。
 全く読めない。文字自体は見たことがあるけれど。
 確か、魔術文字だったと思う。

 唯一読めた数字が、五十九からカウントダウンを始めた。
 別に魔術文字が読めなくても、あと一分以内に爆発するのか。なら、何も心配する必要が無いな。

 力が一気に抜けた。
 そのままゆっくりと雪原に仰向けになった。
 ふと、リュックサックから手紙が落ちていることに気が付いた。

 アンジェリーナが残していった……だろう手紙。
 手紙では再会の約束をしていたけれど、既に一万年が経過している。到底今の状況から、アンジェリーナと再会できるなんて思っていない。
 それ以前にあの日、俺の目の前でアンジェリーナは命を落とした。
 再会なんて、望めるわけがないのに。

 願わくば、来世では一緒に過ごしたい。
 魔石を胸に埋め込まれた改造人間じゃなくて、ごくごく普通の人間として。
 この石のせいで、俺の人生は滅茶苦茶だった。

 ほんとに俺は、誰に対して復讐すれば良かったんだろう……。

 いつの間にか、吹雪が止んでた。
 視界いっぱいに青空が広がっている。
 目頭が熱くなったのと同時に、凍結したのか瞬きができなくなった。

 そうか、もう終わりなのか。

 それでも自分はきっと、まだ世界を無くしたくなかったんだ……。
 意識がゆっくりと遠くなっていく。

 視界が、世界が真っ白に染まった。