「私の元の体だったアンジェリーナは物語の世界のエルフが大好きでね、同僚に頼んでわざわざ耳を長く整形してもらったんだよ。そこに私が入って、本物のエルフになったって状況だね。まあ、種族的にはエルフじゃなくて前のマナエルフだと思うんだけど」
この、私が聞きたかったこの話を聞くことができるまで、結構な時間がかかったんだよね。
というのも、何だか興奮していたアンジェリーナが違う話ばかりしていたんだもの。
やれ、やれ電気を利用した科学技術は凄いだの、やれ、ガソリンなどの揮発油を使った燃焼機関は考えたこともなかっただの、すごく地球の科学技術に興奮していて。私もそれに対してそのまま生返事することしかできなかった。
たぶん事情を知っている私に、話をしたかったんだと思う。同僚に話しても当たり前の技術だから、頭でも打ったと思われそうだもの。地球人だから、知っているのが当たり前だからね。
ともあれ、どうやらアンジェリーナも、変わったのがあの日みたい。
方舟が宇宙空間で大型船とすれ違って、私が私を思い出したのと同じタイミングで、アンジェリーナもアンジェリーナを思い出したって。
まぁ……思い出したっていう言い方も、若干違うような気がするんだけどね。
状況的に見ると、溶け合って重なったって感じかな。自分に違和感とかないから、前の自分っていう感覚もない。実は同じ魂なのかも。
「でもママはそのまんまの姿だけど、私は元の姿と違うわ。見ての通り姿形が全く違うもの。純粋な日本人よ。前と同じなのは、体の中にダンジョンコアがある、ちょっと特殊な体質だけだし」
「それはきっとあれだな、前のミモザちゃんはダンジョンコアが作り出した『仮初の身体』だったからだろう。いわゆる作られた存在、魔法生命体に近いって考えたらわかるかな」
「全然意味がわからないわ」
「つまりあれだ、その姿がミモザちゃんの本来の姿ってことだろう。私が前と同じエルフの姿のままなのだから、理屈としてはほぼほぼ間違いない」
「私の……本来の姿……?」
大きく唾を飲み込む。
何だかのどが渇いて、アンジェリーナが淹れてくれたお茶を口に運んだ。甘い香りが口いっぱいに広がって、飲み込むと遅れて優しい渋みが舌先を揺らしていった。
うん、ちょっとだけ落ち着いた。
「ただな、相変わらず体内で魔力を自力生成できないのは変わっていない感じだな。医療室に運び込まれてきた時に、魔力欠乏状態だったからびっくりしたよ。地上に墜ちて魔獣が侵入してきてからは直ぐに回復した感じだったが」
「魔力が無くなったから、私は気絶したの?」
私が首を傾げると、アンジェリーナは首を横に振った。
えっと……違うんだ……?
「それは関係ないな。墜落の途中でなにか大きな魔法を使ったんだろう? 膨大な魔力を感じたぞ」
「ええ。方舟全体を、ダンジョンコアの力で仮ダンジョン化させたわ」
「気絶した直接の原因はそれだな。生身の身体に大量の魔力を巡らせて、その結果身体が過負荷状態になったからだろう」
「えっ、魔力が無くなって気絶するものなんじゃないの?」
「一般的な物語ではそういう設定の世界もあるみたいだな。ただここでは、魔力器官が本人の意志に関係なく勝手に魔力を生成している。つまり別の器官だな。だから例えば魔力を使い切って体の中から無くなったからと言って、それが命に関わることない」
「えっと……意味がわからないんだけど」
ベッド脇のテーブルに置かれている電気ポットが、コポコポと沸騰を始めた。程なくしてポットから湯気が吹き上がる。
病室のエアコンが涼しい風を運んでくる。
魔力器官――私の記憶には、かんたんな知識しか無い。魔族や魔獣が魔力器官を持っていることは知っていたけれど、それがどういったものなのか知らないのよね。
「まあ今は、そういうものだと知っているだけでいい。そもそも地球人には、魔力器官なんてものはないし、ミモザちゃんのそのコアも特殊なものだ。ついでに言えば、これだけ科学技術が発達していれば、魔法だの魔術だのは、まず出番がないだろうからな」
「確かに科学技術って、魔法以上に便利だから……そっか……あっ――」
一瞬、意識が途切れる。
力が抜けて倒れそうになったからか、咄嗟にアンジェリーナが背中を支えてくれて、ベッドに横に寝かしてくれた。何だか、一気に身体が怠くなったような感じ。
「ちょっとだけ、疲れたかな……」
「意識がなかったとはいえ、一週間寝たきりだったからな。しばらくぶりに起きて話をして、疲れたんだろう。ゆっくり休むといい」
「ええ……ありが……とう…………」
まぶたが一気に降りてくる。
あっという間に私はまた、意識を手放した。
翌日かな。目が覚めて、アンジェリーナに手渡された『エリクシル』を飲んだら、あっという間に身体が軽くなった。
エリクシルは医療用のナノマシン液剤で、アンジェリーナが率いる日本の医療チームが開発した医療機器のなのよね。
液体だけどあくまでも『医療機器』で、ナノサイズ――っていうか、もうピコサイズに近い機械がぎっしりと詰まっていて、引用もしくは患部を浸すことで身体を治してくれるの。
原理としては、老化した細胞を分解しながら再構築させて、あたらしく再生させることで治療をするんだって。再構築している間の細胞機能の代替維持も担っているとかなんとか。治療が終わると自己崩壊して、水に変わるって聞いた。
そして全身をエリクシルに浸すと、老化しないままほぼ無期限で深い眠りにつくことができる。いわゆる、コールドスリープに近いんじゃないかな。
これのおかげで人類移民計画が実現したんだから、タイミングってあるんだなって思った。もし開発されていなかったら未だに地球人はあの暗闇に包まれた地球から集団で脱出することはできなかっただろうし。
その移民艦には、このエリクシルに浸された移民の人達が、今でも静かに眠っている。ただ星に墜ちる時に空中で散り散りになって世界各地散らばっているから、いずれはその探索も必要になってくると思う。
いずれにしても飲めば、身体が元気になるってことかな。
「外には出ないほうが良いのよね?」
病院のエントランスからは、病院の駐車場に数体のオークがたむろしているのが見える。豚鼻をヒクヒクさせながらじっとこっちを睨んでるから、間違いなく私たちに気づいて待っているんだよね。
アンジェリーナが自動ドアの前まで歩いていったので、私もあとについていった。隣に立つと、腕を組んだまま大きな溜息をつくのが聞こえた。
もちろん、扉が開かないように自動ドアの電源は落としてあるし、鍵もかけたままだから扉は開かないよ。
「あんな状態だからな、無手で外に出るなんて命を捨てに行くようなものだ。他の場所に行くのなら、エレベーターから地下の二階層に降りて、そこを経由して移動したほうがいい」
「そうよね。昨日もみんな言っていたわね」
「魔獣同士のテリトリーが安定していないのか、昨日はこの辺りにいたゴブリンが今朝になったら居なくなっていた。代わりに今は、オークが病院の周りを闊歩している。肉としては確保しておきたいところなんだが、いかんせんここに戦力になる者がいないのでな」
「ママはエルフだから、魔法が使えるんでしょう? オーク程度なら簡単に倒せるんじゃないの?」
「それがね、魔力器官があっても身体の作りは人間のようで、うまく魔力が扱えないのだよ。徐々に慣らしてはいるが、まともに使えるようになるまでかなり時間がかかりそうだ。銃火器があれば対処できるんだが、ここは病院だからな」
「医師と看護師しか居ない?」
「人手不足でね、医師は私だけ。看護師したって各階に二人しか配置できていない。自宅待機組が救出されれば、職場環境は改善されるんだがな」
院内サイレンが鳴った。案内板に顔を向けると休館って表示されていた。二階層経由で、救出された患者が運ばれてきたんだと思う。
もう一回ため息を付いたアンジェリーナが、後ろ手に手を振りながら救命救急室に歩いていった。
顔を外に戻すと、いつの間にか駐車場に居たはずのオークがすぐ目の前まで近づいてきていた。間にはガラスのドアが一枚あるだけ。
私は身長はそれほど高くなくて百六十くらいなんだけど、目の前のオークの身長は二メートルは優に越えていて、遥か高いところから見下される視線は恐怖そのものだった。
突然のことに、身体が固まった。
『イツニナッタラ、ソコカラデテクルンダ? ハヤクオレタチニ、エサヲクワセロヨ』
そして喋った。見上げたオークは嗤っていた。
豚顔なのに、その表情がはっきりと分かる。
初めて向けられた明確な敵意に、身体が強張って動かないのがはっきりと分かった。
このガラスが割れたら、間違いなく私はこのオークに食べられてしまう。逃げるにもすでに手遅れで、手には何も反撃できるものも持っていない。
手遅れ――想定外の事態に、声すら出ない
『オイ、ハヤクアケロ――』
「うるさいよ。ミモザちゃんを虐めるんじゃない、バカ豚が」
自動ドアがひとりでに開く。
唯一私とオークを隔てていた扉が、あっさりと無くなった。結果的に、オークの希望通りになったことで、厭らしい笑みが深くなった。
鼻息が、獣臭い鼻息が顔にかかる。
目を見開いた。
なんで、扉が開くのっ!?
腰が抜けて崩れ落ちる私の腰に、回された手がしっかりと絡みついてしっかりと支えてくれた。
首だけ動かして視界に入ってきたのは、眉間にシワを寄せて不機嫌な空気全開のアンジェリーナの姿だった。そのアンジェリーナの向こうから、無骨なロングライフルの銃口が伸びてきた。それがオークの鼻先に突きつけられた。
「さすがに喋る豚は不味そうだから、本当はいらないんだけどな。善一郎市長様が熟成したオーク肉を食べたいそうだ、運がなかったな」
バシュッ、という軽い音がして、一瞬で目の前に居たオークの頭が蒸発した。続けざまに三発、打ち込まれた光の塊が正確に残りのオークの頭を蒸発させた。
そして静まり返る。
「立てるか?」
「な、なんとか……」
ちょっと足が震えているけれど自分の足で立つと、支えられていた腕が解かれた。
そのままぼーっとしていると、アンジェリーナが倒したオークをエントランスの中に全部引きずり込んだ。全部で四体、首だった場所は焼け溶けて一滴の血も流れていなかった。
そして、目の前で扉が閉まった。
「レイジ君もイブキちゃんも、きっとこの星のどこかにいるからね。そのうち合流できるはずだから、今は早くこの環境に慣れるべきだな。ミモザちゃんは、生き物の命を奪ったことは?」
「な、無いわ……今も前も、一度も無い……」
「それなら早く慣れないとだな。ここは平和だった日本と違って、見慣れた東京の街並みは全て魔獣が闊歩している。まあ……ちょっとびっくりさせちゃったみたいだが」
それだけ告げてアンジェリーナは一体のオークを引きずって奥に歩いていった。
えっと……いま、レイジとイブキの話題って関係あったの?
それよりなんで、アンジェリーナはあの巨体を当たり前のように引きずっているの?
結局、全部のオークが片付くまで、私はそこから動けなかった。