ボツ 3.慌てて写真を引っ張り出してみたけど、やっぱり人間だったよ?


 ミモザと約束したから、今日は早く家を出ないといけないって頭では理解していた。
 方舟へ向かう輸送船は予約制とはいえ、定刻で出発しているから遅れたとしても待ってもらえない。その前に、バスにだって乗らなきゃいけないのに。

 でもあれから、どうしても鏡の前から離れられなかった。
 耳の先が尖っている。別にどうってことない自分の容姿の変化を、どうしても受け入れられずにいる。

 いま鏡に写っているのは、僕だ。僕なんだよな。
 髪の色は黒で、髪型だって数日前に久しぶりに駅地下の理髪店に行って、短めに切りそろえてもらったままだ。変わっていない。
 瞳の色だって黒だし、何なら肌の色も日本人特有の肌色だ。ずっと大学の研究室に籠もっていたから若干白っぽいけれど、問題ないはず。
 身長は……視界が変わっていないから同じだよね。でもこれは自信ない。高校を卒業してから身長なんてわざわざ測る機会がなかった。大学生になると身長まで測るような健康診断なんてないからね。
 あとは何だっけ、服装は……関係ないな。体重は、これも最近計っていないからそもそも意味がない。虫歯を治したあとは、うん、ちゃんとある。
 僕がしっかりと把握している僕だ。

 でも耳の先端だけ、あからさまに尖っているよ。

 なにこれ。

 一体どうなってるんだろ。

 ゆっくりと耳を引っ張ってみるんだけど、やっぱり自分の耳の感覚はある。間違いなくこの耳は僕の耳だ。

「どうやって、僕が人間だって確認が……そうだ、写真っ!」
 腕時計を見ながら、階段を駆け上がった。まだ時間は間に合う、バス停まで全力で走って二十分でいけるから、もう三十分は時間が稼げる。
 もしバスの時刻に間に合わなかったとしても、長い間車庫で眠っているレイジの車に乗って、直接空港まで行けば事足りる。車は空港の駐車場に乗り捨てすればいい。どうせ宇宙に飛び立ってしまえばもう、地球に戻ってくる機会なんて二度とないんだから。
 まあ車は、バッテリーが生きていればいいけど。

 心のなかでたくさんの言い訳を並べて、手は一生懸命に写真を探した。
 最後だからって、全部の荷物を適当押し入れに放り込んだ自分に腹が立つ。雑誌の入った箱をひっくり返して、底の方にあった高校の卒業アルバムを引っ張り出した。

 果たして写真は全体写真にしか写っていなくて、肝心の顔が小さすぎて耳まで確認できなかった。

 ならばと、パソコンを起動させて画像を検索。念の為、家の中の全部のデータと、インターネット上のデータも含めた考えられるすべてを検索して、二件だけヒットした。

 流石にこれは想定外だったんだけど、ミモザのSNSアカウントに、僕とのツーショット画像があった。
 でもそこに写っている僕は何だかとてもつまらなそうな顔をしていて、きれいな顔で笑っているミモザに関心がないのか、顔をそらしてどこか遠くを見ていた。

 これ……本当に、僕なのか……?
 照れ隠し、とかじゃなくてこれは、完全に無関心……だよな……。

「日付は、三月二日。卒業式の日に撮った写真なんだ……」
 少し横を向いているから、僕が確認したかった丸い耳が確認できる。確認できたんだけど、最初気にしていた耳なんかよりも、その画像に写っている自分の表情に何だか悲しくなってきた。

 どうして僕は、こんな顔ができるんだろう。

 一緒に確認できたもう一枚の画像も、撮った場所が変わってミモザの両親が一緒に写っていた。そこでも僕は何でかな、ミモザの表情が明るいのにも関わらず、反対に僕の表情ははあまりに酷くて、自分のことなのに心底落胆した。
 パソコンの電源を落としてから、ベッドに腰を落として携帯電話に保存した画像の、二人の姿をじっと見つめる。

 さっき電話に出たとき、ミモザがすごく嬉しそうだった。
 考えてみれば今までずっと、幼馴染のミモザに冷たくあたっていた気がする。うちの両親がずっと家にいなくて、ミモザには家族ぐるみでお世話になっていたにも関わらずだ。

 僕はこの家で、ほとんど一人で生活していた。

 父親のレイジは結構有名なエネルギー学の研究者で、母親のアンジェリーナにしたって都心の大病院で医師として医療従事している傍ら、生物物理学の研究をしている。そんな関係から、物心ついたときから僕の家には両親の姿はなかった。
 両親には愛されていたと思う。でもそれ以上に、二人が忙しかったってだけなんだ。だからたまに帰ってきた時は精一杯、まるで会えない時間を埋めるように可愛がってもらったのは覚えている。
 でもそれだからこそ、居ないときとの気持ちの落差が激しすぎて、僕の心は荒んでいっていたんだと思う。今更ながら、自分のことを理解した。

 そしてそれは、自分でもほとんど自覚がないまま、ミモザに対しても冷たく当たっていたわけで。

「くそっ、やっぱり僕が悪者だったんじゃないかっ」
 時計を見る。大丈夫だ、走ればまだバスの時刻間に合う。

 一階に駆け下りて気密服を着た。呼吸が止まって一瞬、窒息するような感覚に襲われたけれど、エリクシルのお陰で体組織が再生されて窒息が無かったことになる。ただこの、呼吸をしていないのに生きていられる感覚には未だに慣れることができない。
 リビングのエリクシルポッドを抜いて鞄に放り込むと、玄関を飛び出した。



 薄暗い住宅街を走る。
 路端に佇む街灯の明かりが、空気中に漂う灰を白く際立たせていた。視界は白く霞んでいて、数メートル先くらいまでしか視認できない。確かにこれだけ灰が舞っていると、生身のままだとすぐに肺がやられちゃうだろうな。
 道に積もった火山灰は、清掃車が週に数回は掃除しているはずなんだけど、毎日降り続いているからか、今も結構厚く積もっていて気を抜くと足を取られそうになる。

 人通りがない道路には、ほとんど車が走っていない。時折、気密性の高い電気自動車が道に積もった灰を巻き上げながら、前照灯を灯して白く染まった世界を走り抜けていく。

 街は、別に無人ってわけじゃないんだ。
 もともと日本の家屋は気密性が高いから、巨大火山が噴火したあとも少し手を入れれば地上に住み続けられた。そもそも避難のための地下空間は限られているから、地下に避難しきれなかったていうのもある。
 今も、通り過ぎた家の窓から明かりが漏れていた。

 大通りに出ても、やっぱりほとんど人通りがない。
 誰もが同じような気密服を着ていて、そこはかとなく未来感を感じるんだけど、昔のSFにあった未来予想図が想像していた未来は、こんな終末の未来じゃなかったと思う。
 専門家の予測だと、太平洋の巨大火山に蓋をしない限り、少なくとも百年先まで噴火が止まらないらしい。さすがに今の人類の技術をもってしても、高熱の溶岩に耐えられる程の巨大な蓋はとてもじゃないけど実現しそうにない。

「よかった、間に合った」
 交差点を曲がると、少し先に見えたバス停にはちょうどバスが到着したところだった。窓越しの車内に見えた座席は、だいたい半分くらい埋まっている感じだった。
 閉まりかかっていたドアが、走り寄る僕を確認してくれたのか再び開いた。

 荷物を小脇に抱えながら、僕は急いでバスに乗り込んだ。




 バスに乗り込むと、突如として強烈な目眩に襲われて意識が飛びそうになった。僕は乗り込んだ勢いのまま、勢い余って床に倒れ込んだ。
 心臓の鼓動が早い。起き上がろうとして、手足に力が入らなくてすぐにまた転んだ。

 何だこれ、体の感覚がおかしい。

「あ、あれ?」
 椅子に掴まりながら何とか起き上がると、バスは既に結構な速度で走っていた。嫌な予感がする。間違いなく僕は、止まっていたバスに乗り込んだはずなのに。
 体を起こして見えた座席には、誰も座っていなかった。そして車窓の外には、灰が一切積もっていない綺麗な街並みが広がっていた。葉を目一杯茂らせた街路樹が、ものすごい勢いで流れていく。

 どうなってるんだろう。
 僕は夢でも見ているのだろうか……。

 何気なくバスの進行方向に顔を向けた。フロントガラスのすぐ前に壁が、交差点の角にあるビルの壁が迫っていた。
 このままバスは、ビルに衝突して大破する。僕に何ができるというのか。

 ゆっくりと流れる時間の中、僕の視線が自然と、歩道の先に向いた。

 心臓の鼓動が跳ね上がる。

「え……なんで……ミモザ?」
 少し先のバス停にベンチに、俯いているミモザが見えた気がした。

 バスがビルに衝突し僕は、勢いのまま前に吹き飛んだ。
 飛び散ったガラスが、僕の体に突き刺さる。猛烈な痛みとともに、口の中に血の味が広がった。どうやら気密服を突き抜けたガラスが、内臓まで達したみたい。
 さっき飲んだエリクシルのおかげで、辛うじて一命はとりとめているけれど、自分でもはっきりと分かる、これって明らかに致命傷だ。既に、体が思うように動かない。

 吹き飛んだ先で、途中の座席に引っかかった僕は、横転したバスの天井に跳ね上げられ、再び座席の側面に落ちて止まった。赤く滲む視界の先では、バスの側面に接した道路ものすごい勢いで流れていた。

 急速に体が冷たくなっていっている。さすがに血が流れすぎている。恐らく、エリクシルの蘇生能力が間に合っていないんだと思う。

 そんな絶望的な状況の中ふと、胸の奥が温かくなった。
 その温かい何かが、じんわりと体に広がっていくのを感じたんだけど、じきにその感覚すら薄れていく。

 そして僕は、ゆっくりと意識を手放した。




「ここ……は……?」
 気がつくと僕は、水の中に居た。
 視界いっぱいに広がるのは透き通った蒼だった。喋ろうとして意識して口を開けると、たぶん肺の中にも蒼い液体に満たされているんだと思う、一瞬溺れるような感覚に襲われた。
 蒼い水が赤く染まり、そしてすぐにまた蒼くなる。

 この感覚は……もしかして、エリクシル……?

 体を動かそうとして、体が動かせない事に気がつく。
 意識も、すごく重い。

『……方舟維持市民課からの回答はありましたか?』
 再び眠りに落ちるように意識が薄れていく中、耳に声が届いた。

『ああ、該当者は無しらしい。方舟維持管理市民リストに照会したが、遺伝子登録がないようだ。さらに各国の移民艦搭乗車も含めて、深眠回生移民の予定リストも検索をかけたようだがどちらにも登録されていないらしい』
『ははは、本当に謎の人物ってことですか。それで、上からはどうするのか回答ありましたか?』
 ゆっくりと、視界が暗くなっていく。

 僕は、小鳥遊イブキ。
 早くミモザのもとに……早く……行かなきゃ。

『完治に一ヶ月かかる報告を上げたら、このまま日本枠で深眠回生移民に登録しろって回答があった。登録は適当なナンバリング登録だけで良いそうだ』
『それはまた……まあ仕方ないのかもしれませんね、方舟にある移民艦の日本枠、かなり余ってますからね。了解しました、都内の病院への移送はせず、このまま深眠処置をしておきます』
『そうしてくれ。今回、本人の同意署名はないが、特例扱いでいいようだ。まったく、今どき密航だって遺伝子照会できるだろうに、それすら――』
 意識が途切れる。

 ミモザのもとへ……。

 その思いは、届きそうになかった。