3話 全てが失われた都


 俺は地面に腕をついて、ゆっくりと立ち上がった。体からぱらぱらと瓦礫片やガラスが地面に落ちた。
 軽く体の表面を払うと、細かい破片が床に散らばった。
 血だと思っていたのは、もしかしたら自分が浸かっていた液体だったのかも知れない。そして一歩足を踏み出したところで、俺は足を止めた。

「う、うぐっ。早急に、靴が必用だな……」
 足の裏に瓦礫片や砕けたガラスなど、色々な破片が突き刺さっていた。
 痛い。滅茶苦茶痛いぞ、これは。

 改めて、周りを見回してみても瓦礫以外に何もなさそうだった。
 くそっ、靴でもあればいいのに。いやそもそも、それ以前に服が欲しい。寒くはないけれど真っ裸、さすがに何か羽織るものがないと怪我をしそうだ。
 あ、腕にガラスの破片が刺さってる……。

 しばらくそのまま固まっていたけれど、周りに使える物も無い。このままここに固まっていても、どうしようもないことが再確認できただけだった。
 そう言えば真っ黒な塊になっていたはずの男と女は、いつの間にか無くなっていた。
 大きくため息をつく。その勢いで、二歩目を踏み出した。

「うぐっ……」
 足の裏に刺さる瓦礫やガラスに、くぐもった声が漏れる。
 歯を食いしばって、歩みを進めた。
 そういえば……出入り口はどこにあるんだろう?


 周りは殊更に酷い惨状だった。
 少し歩みを進めると、砕け散ったガラス片が溶けて床に固まっていた。床がつるんとした感触に変わった。足に瓦礫やガラスの破片が刺さらなくなったのはいいものの、ある意味状況は最悪に近かった。
 ガラスがこれだけ溶けていると言うことは、相当な高温に晒されたと言うことだ。
 今は、冷えて固まっているけれど、この部屋の温度が生き物が生きられないほどにまで上がったことに他ならない。当然ながら、衣類などまともに残っているわけがない。

「……行き止まり……か……」
 自分では、あの黒服や豪華な衣装を着た女達が来た方に進んだつもりだった。ただ、進んだ先は完全に行き止まりだった。
 壁が開く……とかなら、たぶんどうしようもない。動力が完全に沈黙している。
 思わず、俺は上を見上げていた。

「出入り口が何もないのなら、壁を登ってあの空いた空間から外に出なければならないのか……」
 天井は全て吹き飛んでいる。
 縁までざっと見て五メートルか……いやそもそも、何で俺は色々なことを知っている?
 自分の体を、改めて見下ろす。
 全裸だった。
 うん、それは知っている。

 問題は、体が十代半ばくらいまで成長していることだった。
 そもそも、あのガラスの筒の中で、どの位生きているのか自分で把握できていない。二回ほど睡眠を挟んで、体が急に成長したことは分かっている。
 でもだからこそ、どの位の間眠っていたのかが分からない。

 一晩だけかも知れない。
 逆に十年単位の期間を眠っていたのかも知れない。
 いずれにしても、今の自分には時間を確認する術がなかった。

 さらに、最初から色々な知識がある。
 誰かに教えて貰ったわけでもない。
 普通に考えて、溶けたガラスを見て高温に晒された結果だなんて、初見で分かるはずがない。今足の裏に伝わる温度は、あくまでも冷たい。
 目に入る色々なことを、当たり前に知っている。

 これは、何か異常なことなんじゃないのか?

「と言っても、知らないよりも知っている方が生存確率は上がる……か。
 どのみち今は、食料と衣服の確保が最優先なんだけど……」
 結局、小一時間探しても、何も見つけられなかった。
 完全な袋小路。
 もしかしたら、電力的な何かが通っていたなら外に出られた可能性がある。
 でも、どう見ても、どれだけ探しても、何も動力になる物が無かった。一切のものが止まっていた。

 歪んだ長椅子の脚を少しだけ直して、その上に横になった。
 さすがに……疲れた。
 分かった事は、自分が入っていたガラスの筒を中心にして、熱波が広がっていたと言うことか。
 半径で二メートルか三メートル位は、瓦礫やガラス片がそのままの姿で残っていた。そこから先は、全てが溶けて固まっていた。

 瓦礫すらも溶けて固まっていた。

 この状態だと、壁も溶けたのだろう。継ぎ目が全くなかった。
 床と壁の境にも一周、壁が流れて固まったような不自然な塊があったから、間違いないと思う。

「つまり、この壁を登るしかないのか……全裸で」
 俺は、横になって天井を見上げたまま、この日一番のため息を吐いた。



「登れるわけが、ないだろう……」
 お腹が、空腹を訴えて大きな音を立てて鳴った。
 目が覚めてから探索を初めて、既に半日は経っているはずだ。
 見上げれば、太陽が真上にさしかかっていた。差し込む日差しが、やけに熱く感じる。
 ああ……全裸だからか。

 壁は開かない。床も溶けた瓦礫で全て塞がっている。
 こうなると、外に出るために壁を登らないといけないのだけれど、何回確認しても引っかかりになるような場所がまったくなかった。

 何か特別な力が使えるのかと、胸元に少し飛び出ている緑色の石を触って見るも、何の力も湧いてこなかった。
 完全に体に一体化していて、取れる気配もない。

「こいつはいったい、何なんだ? あの日の感覚からすると、俺の体と一体化した感じなんだけど。
 体に石を埋め込まれただけか……わからん」
 手で胸元の石を触れて見るも、やっぱり何の反応も無かった。


 壁際の日陰を探して、そのまま壁により掛かる。正直言って、突破口が見当たらない。
 ジャンプをしてみても五メートルも飛び上がれる脚力も無いし、壁を破壊できるほどの怪力があるわけでもない。
 うん、試してみたよ。垂直に一メートルは飛べた。でもそれだけ。
 俺の身長は二メートルの無いと思う。一メートルジャンプできたとしても、二メートルは確実に足りない。

 ……ん? 二メートルあればいいのか。
 そう言えば、さっき寝転がったベンチがそれくらい無かったか?
 俺はあわてて、駆けだした。


 案の定、脚が変形したベンチは立てれば二メートル近くあった。
 全てが焼け溶けた中でこれだけ無事だと言うことは、もしかしたらあとから上にあったものが落ちてきたのかも知れない。
 変形していた脚は、その時の衝撃で曲がったのか。

 慎重に壁に立てかけて、その上によじ登った。
 たぶんチャンスは一回だけ。
 もの凄く足下が不安定な気がするけれど、残り一メートルと少し。何とかなるような気がする。
 ゆっくりとしゃがみ込んで、一気に飛び上がった。

 飛び上がったと同時に、思いっきり両手を伸ばす。
 視界の端、壁に立てかけただけのベンチが倒れていくのが見えた。
 まずい、少しジャンプが弱まったか?

 徐々に飛び上がった速度が遅くなり、指先が、両手の指先が三本ずつ何とか縁に引っかかった。やった、ここから出られる。
 指先に感じるのは、何か固い地面だった。これなら、何とかよじ登れる。これがもし軟らかい土だったのなら、よじ登る前に滑り落ちていたと思う。

 ゆっくりと、両手で体を持ち上げた。徐々に体全体が持ち上がっていって、やがて顔が壁の上に出た。
 目に入ってきた景色に一瞬息を呑んだ。
 それでも、先に体を上に持ち上げることに集中する。やがて片方の腕が地面に付き、そのまま体を上に持ち上げた。必死に腕を伸ばし、腕をさらに伸ばした先で、タイルか何かの継ぎ目に指が引っかかった。
 そして、そのままの勢いで腕をひいて、体ごと壁の上に転がり出ることができた。

 荒く呼吸を繰り返し、全身に感じていた緊張がゆっくりとほぐれていく。
 落ち着いたところでゆっくりと上体を起こした。

「なあ、なんなんだよこれは……」
 改めて周りを見回す。

 全て崩壊していた。

 ビルが家が、全て崩れ落ちていた。
 いやなぜかそれが、ビルだったことを知っている。家だったことを知っている。
 ここが大都市だったことを、知っている。

 見渡す限り、瓦礫の山だった。

 俺は、呆然と周りを見回すことしかできなかった。