5.2話 大惨事


 依吹には、正直何が起きたのか理解が追いついていなかった。
 同級生である樹生が、目の前で事故に巻き込まれそうになっていて、気が付いたら体が動いていた。
 同時に風がまるで手に取るように動いてくれた。
 あの風は何だったんだろう。

 それよりびっくりしたのが、左腕だけで樹生を抱えて、反対側の歩道まで走り抜けることができたことか。結果的に依吹は、樹生を助けることができた。
 必死の思いで動いて、気が付いたら自分は樹生を小脇に抱えて反対側の歩道に立っていたのだ。

 そして依吹も樹生も、傷一つ負っていなかった。唯一汚れたとすれば、最後に尻餅をついた樹生のお尻に、砂埃が付いた程度か。

 立ち上がった樹生と二人で事故現場を眺めて、自分たちが生きていることがどれだけ奇跡的なことだったかを、心底感じた。


 目の前の事故は、凄惨を極めていた。

 大型トラックは中央分離帯のブロックに突き刺さって炎上。大型トラックの運転手は帰らぬ人となっていた。
 そのトラックの荷台は反動で横倒しになって、さっきまで依吹がいた歩道に乗り上げて、その先にあった店舗に食い込む形で止まっていた。
 朝の通勤時間帯だったけれど、たまたまその歩道にいたのは依吹だけだった。
 トラックの荷台が突っ込んだ店も営業時間前で無人だったため、シャッターがひしゃげているだけに見える。
 事故で交通の流れが止まっている。

 しばらくして警察のパトカーが来て、一帯は通行止めになった。

 巻き込まれて大破した車は全部で五台だった。経過を見ていた限り全員が軽傷で、大型トラックの運転手以外の死者は出なかったようだ。事故の規模からしたら奇跡だったと思う。
 あれだけ派手に舞い上がって転がった車も、中の運転手はシートベルトをしていたおかげで軽傷だったらしい。

 そもそも車が宙を舞う光景を、初めて見た。



 その場で呆然としていた依吹と樹生は、警察の事情徴収の後、しばらく経って現場に駆け付けた校長の車に乗って、一旦学校に運ばれた。
 
「依吹君っ、樹生君、大丈夫だったの?」
「おい、スゲー事故だったって言うじゃん。何があったんだよ」
「ほら見て見ろよ、もうネットニュースに上がってるぞ。ここにいるのって、依吹と樹生じゃねえの?」
「あ、ほんとだ。なに二人して立ちすくんでんだよ」
「ねえ、二人とも体は大丈夫なの?」
「お……おう……はははっ」
「……いや、あれは無理だって……ははははっ」
 念の為と、保健室で検査を受けていたら、クラスでいつも駄弁ってる友達が押し寄せてきた。
 未だに事態に対して頭が追いついていなかったけれど、いつものクラスメイトの顔を見たら何だかホッとして、肩の力が抜けた。何だかんだ言って、気が張っていたんだとと思う。
 依吹と樹生は顔を見合わせると、思わず大声で笑っていた。

 それから事故の話をして、クラスメイトが先生達に追い払われて、しばらくしたらそれぞれの両親が迎えに来た。大事をとって、二人とも帰宅することになった。



「さっきの、何だったんだろうな……」
 念の為に医者で診察して貰って、異常が無いことだけ確認した後、依吹と里奈は自宅に戻ってきていた。一緒に車で移動していた玲二は、二人を自宅に降ろすと、一安心した顔で仕事に戻っていった。
 今俺はベッドに横になって、両手を上に伸ばしてさっきの空気をこじ開けた感覚を思い出していた。

「空気の壁があって、それを無理矢理こじ開けたんだっけ」
 上に突き上げていた腕を左右に開くも、普通に空気を掻いただけの感触しかなかった。
 あれは、幻だったのか……。

「まあ、いいか。結果的に二人とも助かったってことだな……っと、電話か」
 依吹は起き上がって、勉強机まで歩み寄ると音が鳴っているスマートフォンを手に取った。
 画面を見ると、水野志織と表示されていた……って、志織かっ!?
 びっくりし手からスマートフォンを落としそうになって、慌てて空中を二度ほど飛ばした後なんとかキャッチできた。つい上がった息を、なんとか落ち着かせる。

「……も、もしもし?」
『あ、もしもし依吹くん? もう大丈夫なの?』
「お、おう。だだ、大丈夫だぞ」
 顔が熱くなって、真っ赤になっているのが自分でもわかった。
 やべえ、志織の声だ。電話越しだといつもより二割増しくらい可愛く感じるぞ。
 いや待って、こんなの不意打ちだろうに。

 この『水野志織』の電話番号はこの間、それこそ樹生に協力してもらってやっとの思いで交換した電話番号だ。まさか、向こうから電話がかかってくるなんて思っていなかった。
 いやそりゃあ、電話番号を交換すれば、どっちかが電話をかけることになることぐらい、わかり切っているけれど。うわ、マジか……。

『ほんとに? 伊吹君、何だかいつもと違う感じだよ。やっぱり事故の影響なのかな、わたし心配だよ……』
「いやほ、ほ、本当に何ともないって。いいいいつもの俺だよ?」
『あー、やっぱり様子がおかしいね。もうすぐ授業が終わるから、お家にお邪魔してもいいかな? それとも、わたしが行ったら迷惑?』
「そそそんなこと、ないよ? いいいいいぞ、だ大丈夫だ」
 うおーい、もしかしてお家ってここのことか? 俺んちに来るってことなのか?
 いやそりゃあ、来てくれるのは嬉しいけれど、俺部屋の掃除してないぞ。
 あー、別に部屋に上げる必要はないのか。
 でも家に来るんだよな、何だか緊張してきた……。

 いや待て俺、落ち着け俺。これじゃただのコミュ障じゃねえか。
 ゆっくりと深呼吸。
 スーハース―ハー。
 よし、大丈夫だ。

『あのね、伊吹君はコミュ障なんかじゃないよ? うん、深呼吸して、落ち着いてね。大丈夫だよ』
「うわあああぁぁっ、声に出てたあっ」
『うんうん、ちょっと元気が出た感じ。お家にいるのは、伊吹君だけなのかな?』
「い、いや、ははは、母親がいるぞ?」
『そっか、里奈おばさんがいるんだね。それなら、この間借りた本も返せるから、ちょうどいいね。
 それじゃ、また後で依吹君ちに寄るね』
「お、おう。いや本って何だ? いつの間に、えっ、お母さん? えっえっ?」
 一人であたふたしていたら、いつの間にか通話が終わっていた。
 もう一度深呼吸をして、いまだにドキドキとうるさい心臓を落ち着かせた。知らない間に、志織と里奈か交流しているってことなんだよな。
 何その不意打ち。心臓に悪いぞ。

 依吹は、フラフラと後退るとそのままベッドに仰向けで倒れ込んだ。

 そして、再びなり始めるスマートフォン。

「もも、もしもし?」
『おう、依吹か。やっと電話がつながった』
「ちくしょう。てめーは、樹生かいっ!」

 何だか無性に恥ずかしくなった依吹は、思わず通話を切っていた。