はっと目を開けると、目に入ってきたのは複雑に絡みついた木の枝に、ポッカリと空いた空間から見える青空だった。枝の先にはたくさんの葉っぱが茂っていて、風で大きく揺れている。
どうやら僕は、ものすごく大きな木の中にいるみたい。たださすがに、予想していなかった光景に、思考が追いつかない。
目の前の穴が、自分とベッドが飛び込んでできた穴だと気がつくのに、少しだけ時間がかかった。
「……な、なんとか助かったんだ」
周りを見回すと、丸く抉った大樹の幹に、乗っていたベッドごと嵌まり込んでいた。
てっきり地面にベッドごと追突して、衝撃でクレーターができると思っていた。もちろん僕は底に埋まった状態で目が覚めるはずだったんだけど、これは嬉しい誤算だ。
「確か、ベッドの下に物入れがあって、そこに色々収納されているんだっけ……」
着衣を何も着ていないから、すっごく寒い。
とりあえずベッドの縁から逆さ向きに覗いてみる。ベッドの下には小さな扉が見えていた。よかった、なんとか物入れは開けられる。
これがもし反対側だったら、木の幹にめり込んでいて開けることができなかった。
ただ、どうやって取ろうか迷う。
ベッドは半分以上が幹に刺さっているんだけど、逆を言えば今見ている場所は幹から外に露出しているんだよね。つまり、ベッドの下には何もなくて、遥か彼方に地面が見えている。横に伸びた幹でもあればいいんだけど、運が悪いことに僕の真下にはそんなに都合よく幹がない。
「手を伸ばして……無理だ。届かない……」
設計上、平らな床の上で目覚めるようになっているみたいで、手を伸ばしても取っ手に手が届かなかった。
たぶんエリクシルポッドのまま飛び出していたら、環境に合わせて対応してくれたと思うんだけど、僕はすでにベッドごと排出された後だったから、はっきり言ってどうしようもない。そもそもあのままエリクシルポッドの中に入っていたら、ドラゴンブレスに灼かれて消滅していたはずだから、現状が最善な状況だとは思うんだけど。
でも普通に詰みじゃないかな、これ。
目線を上げると、遥か下にある地上まで目測で百メートル以上ある。幹の途中には横に伸びた太い枝があるんだけど、落下コースがずれていて、とても飛び乗れる距離じゃないんだよね。たぶん十メートルは離れているかな。
僕はため息を付いてベッドの上に座り込んだ。
木はものすごく大きいから、幹の突起を掴んでクライミングとかできそうだけど、相手が木だから、掴んだ樹皮が剥がれる危険性が常にある。降りている途中で掴みどころを失って落っこちたら、普通に命を落とすよね、これ。
「ロープはないし、これって断崖絶壁の途中にいきなり放り出された状態だよね。はあ……」
あとは、魔法か。
正直言って、魔法で何とかできるようなイメージが思い浮かばない。
身体の中に魔力があるし、魔法が使えないわけじゃないけれど、魔法っていうのは魔力を物理法則に変換する作業なんだよね。言うなれば自分を起点に、例えば炎を出したり、水を放出したりできる。風を出したり、石礫を飛ばしたりできるんだけど、全て使う人のイメージ次第なんだ。
僕は自分が空を飛ぶイメージが浮かばない。だから、空を飛ぶことができないんだ。
もしできるとすれば、ここから飛び降りて、ドラゴンに襲われたときみたいに魔力そのものを圧縮して、防壁にしてそのまま地面に墜落すれば一応は何とかなると思う。
もっとも、今はそれ以前の問題が発生しているんだけど。
『――ああああぁぁ、落ちますわああぁぁ』
僕は大きくため息を付いた。
同時にお腹が空腹を訴えてくーっと鳴った。
魔族には唯一の欠点があって、寝起きは魔力がスッカラカンなんだ。もちろん今の僕は寝起きだから、体内の魔力が空っぽだ。
本来、魔力器官って優秀な器官で、もし一瞬で魔力を使い切っても一時間ほどで満タンまで補充される回復力をもっているんだ。うまく魔力を調節すれば、延々と魔法を使い続けることだってできる。
そんな魔族の魔力器官の悪いところなんだけど、睡眠をとったり意識を失ったりすると、逆に一時間かけて魔力が解放されて、体内から全て無くなるんだ。
再び魔力の生産を再開するには、起きて、食事をとって、それが消化されて、そのあと栄養素と老廃物に分かれて身体に吸収される時に初めて、老廃物が魔力器官に吸収されて魔力が補充される。
なんていうか、起動がものすごく遅いイメージかな。
まあ、命に関わることじゃなかったから、今まではそんなものだと思っていたけれど。でもさすがに今は、その仕様が恨めしく思える。
『魔力はあるのにいいぃぃっ、飛べませんのおおぉぉ――』
「……何だろう。上から声が聞こえる気がする……?」
気になって上に顔を向けると、誰かがまっすぐ僕のところに落ちてくるところだった。
金色の髪を振り乱し、背中に生えている純白の翼を必死に羽ばたかせているんだけど、どう見ても動かしているだけで飛んでいるようには見えない。
そもそもだよ、身体の大きさに比べて羽ばたいている翼が小さすぎるような気がする。あれじゃあ普通に考えて、飛ぶことはできないと思うんだ。
って、そうじゃないっ。
「えっ、ちょっ、待ってよ。なんで僕に向かって落ちてくるのさっ」
「あああっ、そこの誰かああぁぁ。どうか私を受け止めてくださいいぃぃっ」
「いやいやいやいや、無理だって、無理無理無理――」
口とは裏腹に、身体が勝手に動き出す。
僕は慌てて立ち上がって、腕をいっぱいに広げた。どこから落ちてきたのかは分からないけれど、幸いなことにそこまで落下速度は出ていないように見える。
相手も僕が受け止める意志があるのを理解してか、同じように大きく腕を広げて落ちてくる。
「わっ、わわわっ」
「うぐっ。さすがにっ、重いよっ!」
足を広げて腰を落とし、受け止めた瞬間に身体を回して衝撃を流す。勢い余って落ちそうになりつつも、無理やり身体を捻って二人でベッドの端に倒れ込んだ。ギシッとベッドがきしむ嫌な音が聞こえた。
下敷きになりながらも、何とか落ちずにベッドに乗ることができた。思わず安堵の息が漏れた。
「あのっ、あのっ。助かりました。ありがとうございます」
「うん。最初はびっくりしたけど、無事で良かったよ……あの……?」
「どうかされましたか?」
僕の目と鼻の先にきれいな顔があって、すっごくドキドキするんだけど。こんなに顔が近いのに、気が付かないのかな。
髪が長くて声も高いから、女の子なんだと思う。金色の髪と同じ金色の瞳が、びっくりしたように見開かれているんだけど……わかっていないのかな。裸の僕に着衣とはいえ覆いかぶさっているんだけど。
「いやね、決して重くはないんだけれど、僕の上からどいてもらえるとありがたいかな……」
「あっ、失礼いたしましたっ」
やっぱりイマイチ分かっていないような顔で、翼をバサバサと羽ばたかせている。なんで腕を使って起き上がらないんだろ。
「あれっ、おかしいです。やっぱり飛べない感じです。なんででしょうか……」
「……」
動きに合わせてベッドがギシギシと軋む。
着衣越しに当たる薄い胸板に、どうしようもなくもなくドキドキしていた僕は、違和感に気がついて一気に顔が青ざめた。
「あ、ちょっと。今、失礼なことを考えていますよね? こう見えて、天使族の中でも胸はある方なんですよ」
「そそ、そんな事考えてないよ? じゃなくて――」
幹に対して斜めに突き刺さっていたはずのベッドが、動くたびに角度を変えていたらしくて今はもう平らになっていた。
やばい、これって絶対落ちるじゃんっ!
「ちょっと、ストップ。羽ばたくのやめてほしいんだけど」
「ああ、名前ですね。そういえば私としたことが、名前を名乗っていませんでした。神界において天使第七階位に在位しています、大天使ミリエルと申します」
「えっと、僕はイブキ。じゃなくて、今すぐ背中の翼を羽ばたかせるのを止めてほしいんだけどっ」
「どうしてですの? 私が飛ばないとイブキさんの上から退けませんよ?」
何だろう、どこかズレているような気がするんだけど。それよりも、さっきよりも状況が悪化しているのに、この……ミリエルとか言う天使は気が付かないのかな?
案の定、並行から下向きに傾いだベッドは、ゆっくりと幹から抜け始めた。僕は再び仰向けのまま、ベッドの縁に手と足を伸ばしてしがみついた。いや、こんなことしたってベッドごと地面に落ちたら、普通に命を失うんだけど。
そしてベッドが、幹からゆっくりと抜けていく。
「あら……何ででしょう。また、落ちていませんか?」
「だから、あなたが。ミリエルさんが無理に動くから、ベッドが傾いで落ちてるんだよっ!」
「そそそ、そうなのですか? まままままた、わわ、私落ちるんですか?」
「ちょっ待って、そこで僕にしがみついてどうするのさ」
無慈悲にも僕とミリエルを乗せたベッドは、地面に向けて落下していく。
「ななな、何とかできないのですか? ほほ、ほら貴方は魔族なのでしょう、ままま魔法とか」
「魔力が空っぽで、何もできないんだ。目覚めてから何も食べていないし、回復する見込みもないし」
「まま、まままままままま――」
「いやさすがに慌てすぎだよ。ちょっと落ち着いて、まあ状況的に無理だけど」
短い人生だったな。
できることならもう一度、ミモザに会いたかった。あの大きな船の中にいたことは分かっているし、あの感じだと無事地面に着陸できていると思う。
だけど僕は、流石にこのままだと助からないよね。
ベッドの落ちる速度がどんどん上がっていく。
「まり、魔力があれば、ななななななな」
「そうだね、魔力さえあればこの場は凌げるよ。だけどさっきも言ったけど空っぽだから……もしかして、なんとかなるの?」
「ははははははは、ははいぃぃっ」
涙でぐちゃぐちゃに歪んだ顔で、ミリエルが何度も頷く。
なんだろう、すっごく美人なのに台無しなんだけどな。そんな、どうでもいい事を考えていたから、ほんと油断していた。
突然、ミリエルの頭上から眩しい光がほとばしって、その光をまともに見た僕は視界を失った。目がチカチカして、思わず何回も目を瞬かせる。視界が真っ白に染まっている。
そうし僕が混乱ている間にミリエルから、僕の身体を包み込むように温かいものが流れ込んできた。
これは、魔力!
空っぽだった僕の魔力、が全身に満たされていく。
急いで僕を中心に、ベッドとミリエルを包み込むように魔力の膜を展開した。それを厚く、さらに圧縮して強度を上げる。同じものを外側に二枚、三枚と展開したところで、爆音とともに何かが爆ぜた。
頭から地上に向かって落ちていたみたいで、地面にぶつかって止まったことで強力な慣性力が頭に向かってかかる。血が一気に頭に流れて、真っ白だった視界が赤く染まった。
ああ、これはやばいやつだ。
魔力の壁で衝撃は防げても、慣性力を防ぐことができないことは、ドラゴンに吹き飛ばされた時に知っていたはずなのに。
「きゃあああああっ、グフッ! うぇぇっ――」
「あ……まただ……」
すぐそばにいるはずのミリエルから、何だか聞きたくない声が漏れる。
これ絶対、汚れたよね……。
そして僕はまた、意識を手放した。