「えっと……僕は小鳥遊イブキ、呼ぶ時はイブキでいいよ。君は?」
僕が声をかけると、膝を抱えて俯いていた天使がゆっくりと顔を上げた。
当面の問題として、この部屋からどうやってか脱出しないといけないんだけど、見た感じ艦の電気が完全に落ちているんだよな。そういう意味だと、僕がエリクシルコフィンから出たのはホント絶妙のタイミングだったのかもしれない。
おそらくだけど、部屋がひっくり返っている状況と、さっきまで部屋ごとシェイクされていたことから察するに、僕が乗っていた移民艦は錐揉み状態で吹き飛んで、どこかに墜落したんじゃないかな。
「イブキさん……ですか。いつまでもうなだれていても仕方ないですよね。
失礼しました、私は神界において天使第七階位に在位している天使で、名をミリエルといいます」
「神界?」
「ええ。私たちが神界と呼び、そう認識している世界のことですよ。こことは別の世界で、いわゆる並行世界にある、全く違う世界のことですよ」
「えっと……うん?」
何となくイメージはできるんだけど、並行世界って言われてもピンとこないよ。理論とか、未来が違う枝分かれした世界っていう意味での並行世界なら知っているけれど、別の世界……あるんだ。物語の中だけだと思っていた。
でもまあ、今は相手の名前だけわかっていればいいか。
取り敢えずは自己紹介が済んだから、次はここからどうするかだよな。
電源が全て落ちて、真っ暗な部屋にあるのはさっきミリエルが作り出した光の玉だけ。本来何かあった時に点灯しているはずの非常灯ですら、完全に消えている。
何となく詰みな気がするけれど。
「ところで、イブキさん。お願いがあるのですが……」
「何かな、僕にできることなら」
「折れた翼を引っ張って、取ってもらえませんか? たぶん邪魔になると思いますので」
「……待って、取るの? 引っ張って?」
「ええ、お願いしたいです」
びっくりしてミリエルの目を見つめちゃったんだけど、しっかりとうなずき返してくれた。
これ何の罰ゲームなんだろう?
折れていない方は普通に動いているから、引っ張ったりしたら痛いんじゃないかな。とはいえ、できるかできないかって言われたらできる範囲だから、しゃがんだままのミリエルの後ろに回って、恐る恐る折れた方の翼に手を伸ばした。
「ひ、引っ張っていいの?」
「気にせずに、一気にお願いします。たぶん、二十年くらいしたらまた生えてくる予定ですので」
「……マジか」
覚悟を決めて、両手でミリエルの翼を引っ張ると、プチッという軽い音とともに根本から引きちぎれた。もっとこう、抵抗とかあると思っていたからおもわずたたらを踏んだ。
ミリエルの体から離れた翼は、あっという間に根本から緑色の結晶に変わっていき、柔らかかった翼は僕の目の前で翡翠みたいな宝石に変わった。想定外だったからずっと手に持ったままだったんだけれど、後で思った。僕の手まで結晶化しなくてよかったな、って。
「あのさ、これ、どうなってるの?」
「私の体だった翼が私から離れたことで、神力結晶に変化した状態でしょうか。もともと神界は神力……ここの世界では、たぶん魔力と呼ばれている力でしょうか。神界を構成しているのが魔力そのもので、私たち天使は意識とか魂とか呼ばれている構成体が魔力を集めて受肉した生命体なのです。ちなみに魔力密度が上がっていくと、行く行くは神になります」
「えっと、その体って魔力? でできているの?」
「そうですね、肉体を構成しているのは全て魔力ですね。ですから私の体から離れた翼が制御を失い、魔力結晶に変化したというわけです。ところでその翼、記念に差し上げますよ?」
「え、いらないけど」
立ち上がったミリエルに翼を返すと、残念そうな顔で結晶化した翼を受け取ると、片手で空間に穴を開けてその中に無造作に放り込んだ。
「ちょっ、今の何?」
「並行世界の間に無数の『無』が広がっているのですが、そこを自身の魔力で満たすと倉庫みたいに使えるのですよ。魔力を扱える世界であれば、ごくごく一般的な技術ですよ?」
「それって、魔法かな? 僕も使えたりする? あ、駄目か。そもそも魔力ないかも」
今の所、容姿は物語の中に出てくるハーフエルフになってはいるけれど、そもそも地球人の僕が魔法を使えるわけがないもんな。
子供の頃、小説を読んで自分も魔法が使えるだろうと思って、必死に練習したけれど何も起きなかったのは、僕の黒歴史ではある。あの時は家に遊びに来たミモザに見つかって、痛い子を見るような目で苦笑いされたっけ。
「ここの世界の法則に則ってですが、イブキさんなら普通に魔法、使えますよ?」
「……そうなの?」
「ええ、少なくとも体の中に魔力を作る器官があるのは感じますから。私から見て体の真ん中やや左側から、はっきりと魔力を感じますよ」
実は僕は、魔法使いの卵だった件について。
ってことは、心臓の反対側ってことか。
もしかしたら僕は、本当にハーフエルフになったってことなのかな?
「えっと、使ってみたいんだけど……どうすればいいの?」
「魔力を感じられれば、難しくはないと思いますよ。ちょっと両手、いいですか? 私の魔力を、流してみましょうか」
「はい」
そうしてミリエルと繋いだ手から、温かいなにかが流れ込んできた直後、僕の体の中にある魔力器官が動き始めた。
まるでミリエルの魔力に反応するかのように、胸の真ん中から両手に向かって熱い力の奔流が通り抜けていって、ミリエルの魔力を一気に押し出していく。慌てて手を離すと、弾かれるように二人の手が上に向かって跳ね上がった。
そして僕の手から、紫色の雷が真上にある床に向かって伸びて着雷した。紫電は轟音とともにその床を破壊して、そのまま真っ直ぐに突き抜けていったらしい。空いた穴から、青空が見えた。
「……」
「……」
ミリエルにすら想定外だったんだと思う。二人でバンザイをしたまま、同時に上を見上げてしばらく穴の向こうに見える空を見つめる。
また同じタイミングで顔を戻して、二人してその場に尻餅をつくようにへたり込んだ。
両手がしびれている。
それはどうもミリエルも一緒みたいで、しきりに手を揉んで感覚を確認しているみたい。
今になって、全身から汗が溢れ出てきた。何だか足も震えてたいるような感じで、無意識にへたり込んだのはそのへんが原因なのかもしれない。
「も、ものすごい魔力量ですね。さすがに押し返されるとは、思いませんでした」
「僕には何が何だか……」
とはいえ、魔力が全身を巡っているのを感じられるようになった。
こうなるとあとは簡単で、ミリエルに魔法のコツみたいなものを教えてもらったらすぐに使えるようになった。
要は魔法はイメージで、自分の体内から放出した魔力を『現象』に変換することで魔法として成立するようだ。うん、一気に自分がファンタジーになったよ。
ミリエルの真似をして、光の玉を作ってみたら似たようなのができた。イメージが悪かったのか電球型のそれは、LEDみたいな青白い光を発していたけれど。
そしてまた、二人で上を見上げている。
「穴、大きくなりませんね」
「紫色の雷は再現できたけれど、穴を広げるほどの威力はないみたいだし」
上に空いた穴は直径が十センチ程で、どう考えても僕らが通れる大きさじゃない。まあ、海の中に落ちていなかったのが確認できた、とか、酸欠にならなくて済んだとか、色々利点はあったけれど。
そういえば、ちょっと息苦しくなってきていたのを感じたのは、気のせいじゃなかったらしい。宇宙船だから、密閉性は高いもんな。
ちなみに狭間空間の倉庫も使えるようになったよ。
今は何も入れるものがないけれど。
さて、忘れていたわけじゃないけれど、ここから脱出する方法を考えないといけない。
取り敢えず周りを確認してみる。
床だった天井に穴が空いたこの部屋は、多数のエリクシルコフィンがある船室の一つだ。予備の部屋だったのか、僕が入っていたエリクシルコフィン以外は空っぽなんだ。
部屋の外へ出るための扉は二つで、両方に非常口を表すプレートが付いているんだけど、本来非常時でも点灯している明かりが、今は消えている。まあ、電源が完全に落ちているみたいだから仕方ないか。
扉は自動ドア。まずどちらかの扉を無理矢理にでもこじ開けて、通路に出ないといけないんだけど……。
「あのさ、ミリエル。肉体強化とか、魔法で使えるかな?」
「何でですか、肉体なんてわざわざ強化してどうするのですか?」
って会話を、ちょっと前にして困っているところなんだ。
だってだよ、物語だと魔法を使えるようになって、ほとんどみんな肉体強化の魔法を使うよね?
でもミリエルの口ぶりからすると、無駄だと。そもそも何のために肉体を強化するのだと。だからちょっと気まずくなって、開いた口を閉じて周りを観察していたんだ。
「そもそもどういう経緯で、体の機能を強化する話になったのかわかりませんが、イブキさんみたいに普通の体の方が無理に肉体を強化したら、一気に体の組織が破裂して命を落としちゃいますよ?」
「そういうもんなの?」
「そうですよ。私みたいに、体そのものが魔力で構成されているのならば、多少の強化を掛けてもその負荷に耐えられますが、タンパク質で作られた体だと修復機能は高い反面、性能限界は低いのですよ」
「ああ、確かに多少の怪我をしても、早く元の状態に治るかも。え、てことはミリエルは怪我すると治らないってこと?」
「いえ、治りますよ? 切り傷程度であれば、一年ほど魔力を補填し続ければ元に戻ります」
「……え、一年? マジか」
どうやら、魔力で構成された体と言っても万能じゃないらしい。
「そもそも体の動きをサポートさせるなら、体の表面に魔力を纏って、その魔力を操作すればいいだけですよ?」
「魔力を……纏う?」
まさに目に鱗。
てかミリエルって違う世界の人だよね。
何でこんなに僕たちのことに詳しいの?