6.ミリエルは天使なんだって。天使ってなんだろう。side.イブキ


 意識がゆっくりと戻ってくる。
 ゆっくりと瞼を開けると、森の中だった。緑色の葉っぱの隙間から差し込む光が宝石みたいにキラキラ燦めいている。風で大きく枝葉が動くたびに隙間から青空が見えた。
 梢が風に揺れてざわめく音が耳に入ってくる。

 どうやら地面には着けたらしい。仰向けで、頭が下向きだけど。
 視線を足元に向けると、そびえ立つ大樹の幹、遥か上にベッドが刺さっていた穴が見えた。
 僕の周りにはすり鉢状のクレーターができていて、押し広げられて潰された地面が変な縞模様になっている。知らなかったけど、僕が展開していた魔力の防壁にかなりの回転がかかっていたらしい。

 ああ、生きている。心の底から思った。
 何とか無事、地面に着地できたんだなって、気を抜いて息を吐いたと同時に頭がズキッと痛んだ。さすがに百キロ以上の速度から急停止すれば、身体に無理がかかるよね。慣性力って怖い。
 そう考えれば命があっただけでも良かったと思う。

 それにしても、鼻につく匂いがものすごく臭い。

 顔を匂いのする方に向けると、一緒に落ちたミリエルのきれいな顔があったんだけど、残念美人なんだよね。口元まわりには虹色のキラキラがついていて、流れたキラキラが黄金色の髪だけじゃなくて、悲しいかな僕の肩にもかかっている。もうね、勘弁してほしい。
 もっとも、中途半端な防壁魔法しか使えなかった僕が悪いんだけど。
 慣性力も制御できればよかったんだけど、経験不足だと思う。僕のイメージにその慣性力を緩和できるだけのイメージがないんだ。

「身体は……うん、普通に動きそう」
 白目をむいたままのミリエルを脇に動かして、僕はベッドから下りた。ちゃんと地面に足がついて何だかホッとした。
 深い森の中……なんだよね?
 周りを見回すと、数十メートル間隔で直径が五メートル近くある大樹が聳え立っていて、なんだか自分が小人になったような錯覚を受ける。

「うん……」
 声にベッドを見上げると、ミリエルが何だか幸せそうな顔で、自分の口元のキラキラを拭っているところだった。キラキラがさらにミリエルの顔に引き伸ばされていく光景に、思わず口を開けて固まった。
 く、臭くないのかな……?
 それに頭が下向きなんだけど。何でこの体勢でいつまでも寝ていられるんだろう……。

 ミリエルは……この際置いておいて、ベッドの土台に目を向けると、目の前に扉があった。どうやら今は地面に埋まっている、さっき頭の上側に見えていた扉だけじゃなくて、どこからでも開けられるように、四方に扉が付いているようだ。
 とりあえず目の前の扉を開けてみる。
 中を覗き込むと、ありがたいことに、ベッド下の空間は全部が繋がっていてどこからでも荷物が取り出せるようになっているようだ。
 明かりが点かないからちょっと薄暗いけれど、キャリーバッグと、それからリュックサックが入っていることが確認できた。さらに顔を中に入れて覗き込んでみると、奥にクーラーバッグが二つ、それに寝袋らしい布の塊があるのが見えた。
 けっこうたくさんの物が入っているんだね。

 入っていたものを一つずつ取り出して、クレーターの上の平らな地面まで運んだ。
 きっと、あのポッドから目が覚めた後で大抵のことに対応できるように、必要最低限の物資が用意されているんだろうね。クーラーバッグを開けると、中に保存食が一式入っていたので中から乾パンとチーズ、パック入りの牛乳を取り出してお腹に入れる。
 しばらくすると、身体にゆっくりと魔力が満たされていくのを感じた。

 よし。これなら、簡単な魔法が使えるよ。

 荷物が濡れないように、少し離れたところに移動してから、魔法で頭上に温水を作って頭から被った。それからキャリーバッグから衣服を取り出して袖を通す。
 やっと裸から解放された。

「あっちは……まだ、寝てるんだ」
 荷物を整理しながらクレーターの底に目を向けると、ミリエルが相変わらずベッドの上で幸せそうな顔で寝ている。
 寝返りを打ったところが、ミリエルの畳んだ翼が地面に引っかかってまた元の位置に戻っているけど。

 取り敢えず僕は、クーラーバッグの上に腰を下ろした。
 そうして小さなため息を付いた。

 困ったことにちょっと頭の中が混乱しているんだよね。
 い服を着て落ち着いて色々思い出してみたら、どうやら僕の頭の頭の中には二つの記憶があることが分かった。

 一つは地球人として、日本で育って大学に通っていた日本人としての記憶。
 日本人のレイジと、オーストラリア人のアンジェリーナの間に生まれたハーフで、生まれも育ちも日本。大学の研究者だったアンジェリーナと一緒に長野県に住んでいたんだ。ちなみにレイジは、単身赴任で東京湾沖の新東京都建設に携わっていた。
 大学で学生生活を謳歌していたら、太平洋の海底大火山が噴火して、地球が真っ暗闇になった。それで、アンジェリーナからその建設中の新東京都を利用した人類移民計画の話を聞いて、その後、夜寝て起きたら目の前が青空だった。

 うん、意味わからないよね。

 もう一つの記憶は、ナナナシアっていう星で育った、ハーフエルフの五歳児の記憶。ハーフエルフ自体が存在しない世界だったから、僕はいわゆる世界初の人種だったよ。
 そこでも、両親はレイジとアンジェリーナだったかな。地球と違ってアンジェリーナはエルフだったけど。
 その世界の僕は、眠った時に夢の中で『どこか違う世界の僕の時間』を過ごす病気(?)に罹っていたんだ。だから眠るたびにどこかまの違う僕の時間を体験して、その記憶をはっきりと記憶したまま目が覚めていた。
 冷静に考えると不憫だよね。
 物心ついたときからずっとそんな状態だったから、よく夢と現実が混同しなかったなって思う。

 そこでの最後の記憶は、遺跡探索でものすごい探索した日の帰りのことだったっけ。
 新しく家族になったミモザと四人で宿に泊まって、そこで寝た時に、初めて違う夢を見たんだ。夢に真っ赤なドレス姿の女の人が出てきて、襲いかかってきたんだ。夢には他に、レイジとアンジェリーナ、それから少し前に家族になったミモザがでてきた。
 その真っ赤なドレスの女の人と戦って倒して、空間に満たされた真っ赤な水の中で溺れて、そのまま気絶したのかな。それで目が覚めたら目の前が青空だった。

 うん、こっちも意味がわからない。

 で、今の僕。
 感覚的には、地球の記憶の続きなんだろうなって思う。

 遥か上空で最初に目が覚めた時にちらっと見えたのは、記憶にある日本列島だった。特徴的なあの形は、はっきりと分かる。そこまでは何とかわかるんだけど、僕って地球人なのかな。正直自信がないんだよね。
 身体は大学生の二十一歳の身体なのに、さっき何気なく触った耳は先端が尖っているから、人間じゃなくてハーフエルフなんだと思う。耳を整形した記憶とかはないから、間違いないんだ。
 それに、日本人――というか、地球人は当たり前だけど魔法なんて使うことができないはずなんだよね。でも咄嗟にとはいえ、さっきからいくつかの魔法を使ってる。

 はははははは……。
 僕って何者なんだろう。

「あぁ……とっても臭いです。何ででしょうか……とっても臭いのですけど……」
 物思いに耽っていたらどうやらミリエルが起きたみたいだ。顔をベッドに向けると、起き上がったミリエルが寝ぼけ眼で口元を拭っている。そもそも汚れた手で口元を拭っても、汚れたままだと思うんだけど。
 僕は大きなため息を付いてから、クレーターの縁から底に向かった。ミリエルにはさっき、空中で魔力を分けてくれた恩がある。おかげで無事地面に着地することができた。だから放っておくことはできないかな。

「さすがに汚れたままだと大変だから、ちょっと綺麗にするね」
「……ふぇっ?」
 ベッドの脇に立って、まだ呆然としているミリエルの頭の上に手をかざして、魔法で温水の塊を作った。ミリエルの顔と髪にこびり付いた汚れと、同じようにベッドに広がっている汚れを綺麗に流すイメージで、一メートルくらいに膨らんだ温水をミリエルの上からゆっくりと落とした。
 洗濯機をイメージして、ちょっとだけ回転をもたせて通過させる。

「うぶっ! くぽっっ! くぼぼぼぼっ――」
 水球が腰のあたりに差し掛かったところで、問題が発生した。回転する水流がミリエルの背中にある翼に絡みついたみたいで、中で激しく回り始めた。大きな翼のせいで、回転力がダイレクトにかかっている。
 つ……翼があるのを計算に入れてなかったよ……。
 ミリエルを包み込んだ温水は数秒で下に流れ、そのまま流れ落ちてベッドを綺麗にして地面に染み込んでいった。

「きゅう……」
 そして目を回したミリエルは、再びベッドに倒れ込んだ。
 なんか……ごめん。



 しばらくして目が覚めたミリエルにしっかりと謝ったら、笑って許してくれた。
 地面に落ちた瞬間のことを覚えていたらしくて、自分が胃の中のものを戻しちゃったことを逆に謝られたんだけど。

 で、改めて自己紹介したんだけど、ミリエルは天使なんだって。
 天使ってなんだろう?

「えっと、神界にいる神族のお仕事をサポートするのが天使族の勤めで、階位によってできるお仕事が違っているのが天使族なんです。と言っても、ただの役職なんですけどね」
「神族っていうのは、他の世界を管理している神様のこと?」
「え、何ですかそれ。他所の世界になんて干渉しませんし、できるわけないじゃないですか。そもそも自分の世界のことだけで大変なんですから」
「……うん?」
「今いるここが、違う次元の違う世界だっていう前提で、ざっくりお話しても大丈夫ですか?」
「う、うん?」
 思わず僕は首を傾げた。

 な、なんで世界の話になるんだろう。
 どこかで僕は、質問を間違えちゃったのかな……。