12.4話 Soul awakens


 悪魔はじっと私の瞳を見つめていた。
 まるで、心の深淵をねっとりと覗き込まれているような、そんな錯覚に襲われる。無意識のうちに呼吸が浅くなっていて、思わずむせ返った。

 状況は最悪に近かった。
 今現在、王都にはあの悪魔に対抗できる魔人が一人もいない。全ての王族が、数刻前に邪人の侵攻に対して出動していて、王都には何の戦力が無い状態だ。
 そんな中、顕れた巨大な悪魔。
 今いるのは普通の『人』と、『半魔人』のイブキだけ。とてもじゃないけれど、目の前の強大な存在に対抗することができそうにない。

『我を喚んだのは、お前か……?』
 反射的につばを飲み込む。
 どうしても悪魔の瞳から視線を外すことができなかった。視界の隅で、フェルネスがビクッと跳ね上がったのが見える。
 意識を保つために強く歯を食いしばった。
 気を抜くと、あっさりと意識が飛びそうになる。

 こんな時に、『僕』が出てきてくれたならば、この事態が打開できるのでは――そんな淡い期待が頭をよぎる。

『お前が我を喚んだのではないのか? 何故答えんのだ』
 再び、倒れ伏したままのフェルネスが跳ねた。
 悪魔の声が再び頭の中に響き渡った。

 私は……お前みたいな禍々しい悪魔など、喚んではいない。そもそもお前は何者なのだ?

 悪魔の声は、頭の中に直接響いてくる。ただ、フェルネスが跳ねているのを見るに、声の対象が私個人だけではないことが分かる。
 しかし未だに悪魔の真っ青な瞳は、執拗なまでに私の瞳を捉えている。恐らく視ているのは、私の中にある膨大な魔力なのだろう。

 そもそも何故、王都の上空に悪魔が顕現したのか、全くもって分からない。
 口を開けようとするも、喉がカラカラだった。
 冷え切った身体が、動くことすらできないほど固まっていた。

 唐突に悪魔の口が、真っ赤に燃えるような口が、まるで嗤っているようにニタリと開いた。
 部屋の窓ガラスにひびが入る。

『埒があかぬな。どれ、こんな街などいっそ滅ぼしてしまおうか。
 お前が本気を出さぬのなら、外側からジワリジワリと潰してゆこうではないか』
「……は?」
 悪魔が軽く腕を振るう。
 手の先から放たれた漆黒の炎が、遙か彼方にある国壁に着弾、窓から見える範囲の壁が全て吹き飛んだ。そのまま奥にあった森、その先の山を抉り大爆発を伴って土砂を上空に吹き飛ばした。
 地形が、一気に変わった。

 その様子を、呆然と眺めることしかできなかった。
 完全に規格外。
 その威力自体が、通常の魔法の規模じゃない。とてもじゃないけれど、半魔人になったとはいえ普通の人と変わらないような私には、とても対抗できるような相手じゃなかった。

 これが、もしかして『魔人』が見ている世界の一部なのか?
 悪魔は私に、何を期待しておるのだ……。

『まだ……温いか――』
 微動だにできないまま、想像を超える魔法の威力に戦慄していると、目を細めた悪魔が再び腕を振るった。
 国壁のすぐ手前にあった街並みが、再び黒い炎に蹂躙され、抉れるように吹き飛んだ。家が、人の命がまるで埃を払うかのように失われていく。

 待て。待つんだ。
 私達人がいったい何をしたというのだ。
 どうしてこんな、一方的な殺戮が許されるのだ。
 あの邪人族は、我々に何の恨みがあって侵攻し、蹂躙してくるのだっ。

 この悪魔だって、何の権利があって町を破壊するのだ。

『ふははははっ、本気を出さねば全てが灰燼に帰すぞ』
 再び振るわれた悪魔の手が、さらに街を抉る。

 私の中で、何かが弾けた。

『これでもまだ静観するというのか。それだけ多大な魔力を持っていながら、いつまで経っても戦いの舞台に上がって来ないのか。見かけ倒しか。
 急がんとお前の知り合いが、全て消え失せることに――』
「ふざけるなあああっ!」
 立ち上がったイブキの体から、金色の魔力が吹き上がった。
 部屋の温度が一気に変わる。
 暖かい魔力が部屋の中を満たした。真っ白だったフェルネスの顔に、朱が差したように見えた。



 私はここで――僕はこんな所で、悪魔に関わっている場合じゃない。早く工場の探索に行かないといけないんだ。

 だがしかし、それには私の目の前にいる悪魔が――。

 うん。すっごく邪魔なんだよね、あの悪魔が――。

 私が半魔人ではなく、もっと強ければ――。

 大丈夫だよ。僕の夢なら、僕はどこまでも強くなれるよ――。

 さあ行くぞ。私――。
 うん行くよ、僕――。


 金色の魔力で、凍えるように冷たかった身体がじんわりと熱を持ってきた。
 周りを金色に満たしながら、『イブキ』はゆっくりと窓際に歩いて行く。その間も、決して悪魔から視線は外さない。
 両手で割れた窓の枠を開けると、部屋を満たしていた金色の魔力が外に向かって吹き出して行く。悪魔の瞳が細められたのが分かった。

 そしてその真っ青な瞳が、喜びに大きく見開かれた。

『見つけたぞ。お前が我の贄だな――』
「さっきからごちゃごちゃうるさいよ。もう動かないでよね」
 悪魔に手を伸ばし、金色の魔力をまっすぐ打ち出した。
 手の平から伸びた『イブキ』の金色の魔力が、悪魔に纏わり付き動きを阻害する。纏わり付いた金色の魔力が、悪魔の魔力に反発してバチバチと盛大に火花を散らす。

『いいね、いいねっ! これだ、これだよ。このあと絶望に染まるお前の表情が、我にとっての最高の贄だ。いいねいいね。実に愉快だ。
 そしてこの見える範囲全てを駆逐し、我は神となるのだっ!』
「そんなことは僕が――私が許さん。お前と差し違えてでも、この王都を守ってみせる」
「い、イブキ様っ、いけません。魔力を全開で放出してはいけませんっ!
 お体が、その身体そのものが魔力に溶けて失われてしまいますっっ!」
 意識が戻ったフェルネスが、悲痛の叫び声を上げる。
 
「フェルネス……すまん。あれを討つには、私では恐らくこれしかできないのだ――全力でやっと、あの悪魔を上回る程度なんだよ。ごめんねフェルネス。
 それから――すまぬ、アリアレーゼ。もう一度相見えると約束したが……さっきの約束は、守れそうにない」
 イブキは窓の枠に足をかけ、そのまま空中に舞い上がった。

「い、イブキ様あああぁぁっ!」
 フェルネスの悲鳴が、一気に後方に消えていく。



 悪魔が纏わり付いていた金色の魔力を引きちぎり、おもむろに拳で殴りかかってくる。それを片手で受けて、逆手でその拳を横殴りに殴り返した。肉が引きちぎれる音とともに、悪魔の腕が曲がってはいけない方向に湾曲する。

『いいねえ、そうでなければな』
「お前は誰に喚ばれて、ここにいるのだ」
『知らん。そんなことは端っから興味が無いのでな。
 我はお前のその魔力を喰らうだけだ。それ以外の有象無象など取るに足らん』
 次々に殴りかかってくる悪魔の拳を、全て受け流し、そして叩き飛ばす。
 金色の魔力が強まるとともに、『イブキ』の身体が膨らんでいく。

『いいね。神と為るか。少しだけ待ってやろう。成熟した魔力を食らってこそ、我の昇華もより華美なものになるであろう』
「お前の少しだけ待つというのは――ずっと攻撃し続けることなのかな? それは待つとは言わないんだよっ」
 吹き上がった金色の魔力が、悪魔を上空に吹き飛ばした。
 金色の魔力は、黄金色の輝きを持つ鎧に変わっていき、『イブキ』の全身を包み込んだ。

『なんだ……その力は? お前のその魔力は、神をも越えるのかっ!』
 四つの拳だけでなく、足をも使って熾烈に攻撃を仕掛けてくる悪魔の顔が、驚愕に歪んだ。

 変化はそれだけに終わらない。
 金色の魔力の間から虹色の魔力が溢れ出し、『イブキ』の体を一気に膨張させていった。神々しい鎧を纏ったイブキは、あっという間に悪魔の十倍の大きさにまで膨らんだ。
 眼下に見える王都の街並みが、米粒のように小さくなった。

『ぬうっ、なんだその馬鹿みたいな力は。お前にはそこまでの力は無いはずだ、なにをしたんだああっ』
「うるさいね――ただ私は独りでは無かった。それだけの話だ……」
 悪魔よりも遙かに大きくなった『イブキ』の身体に、悪魔が必死に攻撃を仕掛ける。
 鬼気迫る悪魔の表情は、もう一切の余裕が無かった。
 その『イブキ』の神化は、悪魔の想定を遙かに超えていた。
 攻撃が通らなくても、逃げるという選択肢はない。それほどにまで、瞬間的に実力がひっくり返っていた。

『来るな、寄るでないっ! ぐっ、ぎゃあああぁぁぁ――』
 巨大な『イブキ』に無造作に掴まれた悪魔が、瞬時に虹色の魔力であっけなく溶けて消えた。
 神と化した『イブキ』は、さらに無造作に腕を凪ぐ。
 振り払われた腕で、上空に展開していた禍々しい魔方陣が、激しい火花を散らしながら遙か上空に霧散して飛んでいく。

 そして、崩壊が始まった。
 既に身体の全てが魔力となった『イブキ』は、もう既に身体を保つことができなくなっていた。パラパラと、まるで捲れ落ちるように纏った黄金色の鎧が地面に向けて落ちていく。
 地面に触れた鎧は、まるで水が水面に落ちるかのように、光の波紋となって世界に広がっていった。
 崩壊した王都が、目映い光に包まれて破壊される前にまで巻き戻っていく。

「アリアレーゼ……願わくば、共に未来を歩みたかった……」
 その呟きは、光の中に消えていった。

 そして『イブキ』は、ひときわ光り輝いた後に、辺り一面を光で真っ白に染めながら爆散した。
 光の粒となった『イブキ』は一気に星を包み込み、世界の全ての場所に降り注ぐ。負の力を一瞬で溶解させ、その優しい光で包み込み浄化させていく。

 その日、世界から全ての邪人が消滅した。

『イブキ』もまた、世界から失われた。

 そして私は――。

 そして僕は――目が覚める。