百三十五話 月の女神


「それで、ミュシュはどの位で元の姿に戻れるんだ?」
「そうですね、半兎人の状態が長かったので、儀式の間で一週間ほど過ごさないといけないかもしれません。
 半兎人は過負荷の魔力を全身にくまなく行き渡らせる秘術で、通常は出兵した後に戻ってきて、すぐに兎人に戻す決まりになっています。ですから、ミュシュのように二千年を超えて半兎人だったケースは今までになかったのです」
「長くてどの位なんだ?」
「ミュシュ以外ですと、百年が長い方ですね。その際も兎人化の儀で二時間はかかりました」
 そういう意味では、ミュシュが兎人に戻る一週間の予測は規格外の早さなのかも知れない。

 ちなみに兎人を半兎人化をするためにかかる時間は十分程だとか。
 かれこれ二千年近く半兎人化は行われていないようで、ナナナシアの人や魔族が持っている技術がいかに衰退したかがよく分かった。
 それ以外で月に襲来するものは隕石程度らしく、大半が兎都ルナナリアから見て月の後ろ側に着弾していて、たまに横から飛来する隕石も、大兎たちが外側に大きく展開しているバリアで弾いているため、被害は全く無いようだ。

「いずれにしても、一週間もすれば大きくなったミュシュに久しぶりに会うことができます。半兎人の状態ですと体の成長も止まっていますから、もしかしたら私が知っている小さいままのミュシュかも知れませんが」
「それなら俺たちも、それを待ってからナナナシアに帰った方が良さそうだな」
「ぜひ、そうしてください。もっとも、一週間の間は眠ったままに見えますが、意識はありますしちゃんと聞こえています。時折、話しかけてあげてくだると助かります」
「瑠美達三人がずっと交代でいるみたいだから、大丈夫だと思うよ。俺たちも顔を出す予定だからな」
 それを聞いて安心したのか、メルシュ女王は頭を下げたあと部屋から退出していった。

「ナナナシアの歴史って、もの凄い長いのね」
「いい時期もあれば悪い時期もあるってことか。願わくば、いま俺たちが過ごしている今の時代がよりよい時代であってほしいものだな」
「そうね。ナナナシアが懸念していた、『人間に魔力が無い』時代が終わったから、これからはもしかしたら平和な時代が続くんじゃないかしら」
「ああ、そう願いたいものだ」
 間違いなく俺たちは、これからもずっとナナナシアの大地で生きていく。
 そうなれば、戦争のない平和な時代が続いてくれることを切に願うしかない。

 まあもっとも、世界的に見ても魔獣が跋扈しすぎていて、人と魔族の生息域が変わらない現状ならば、世界の版図が変わることはないとは思うけれど。



 翌日、朝食を食べてからゆっくりしていると、ドアがノックされて案内の者が入って来た。ルナナリアとの面会の許可が下りたようで、昨日と同じメンバーの篤紫、桃華、コマイナ、ヒスイの四人で付いていくことにした。

 瑠美達三人は朝食だけ食べると、揃ってミュシュ所まで顔を出しに行っている。ミュシュに声をかければ、ちゃんと聞こえていることを伝えると、凄く喜んでいた。
 三人とも何気にミュシュのことを気に入っているんだと思う。ルルガの工房に行く前までは、オルフェナと一緒でずっとマスコットだったもんな。

「メルシュ女王は、執務のため同行ができないと言っていました。本当はご自身でご案内したかったようなのですが、月に一度の結界視察と重なっていまして、やむを得ず私が案内することになりました。
 申し遅れましたが、私は第一王子のエルシュと申します。よろしくお願いします」
「エルシュ……王子? というと、ミュシュの……」
「ええ、兄になります。弟がお世話になりました」
 ただの案内人だと思っていた兎人が、まさかの王子様だったらしい。
 金髪に碧眼の絵に書いたような王子様だ。服装が王族っぽくなく、かなりラフな格好だから気が付かなかったぞ。

 部屋を出て廊下を進んだ先にあったエレベーターに乗った。全員乗ったことを確認してから、エルシュがボタンを操作するとエレベーターが音もなく階下に下りていく。
 やがて一階まで降りると、建物の奥に進ん裏側からお城を出た。

「あら、すぐに塔があるのね」
「ここがこの国の中心になります。塔の一階には誰でも入場ができます。月の雫は、こちらで作られていますね。
 そして二階には、ナナナシア様がいらっしゃいます」
「月の雫って言うと、誰かが毎日そこで涙を流しているのか?」
「篤紫さん、さすがにそれはないと思うわよ」
「そうですね、訪れた月兎が涙を流せばそれが月の雫に変わります。ですがさすがに涙を流すためだけに訪れる方はいませんよ」
「そりゃそうか」
 近くで見ると、塔はとてつもなく大きかった。
 直径がどの位あるのか分からないけれど、目の前にあるのは壁だった。

 左を見ても壁。右を見ても壁。その壁がゆっくりと弧を描いて、遙か彼方で見えなくなっていた。
 辛うじて円形の塔だと分かるけれど、遠くからしか見ていなかったから実物がこんなに大きな塔だなんて思ってもいなかった。

「一旦一階にあるルナコアの間に入っていただき、ルナコアの転移でルナナリア様の元に行く流れになっています。
 ルナコアに近付きますから、直接月の雫が生まれる光景を見ていただけますよ」
「ねえエルシュちゃん。月のコアって月の真ん中にあるんじゃないのかしら?」
「ちょっ、桃華。さすがに王子にそれはないだろう」
「そうですよ桃華様……」
 篤紫とコマイナがびっくりして桃華を見るも、当の『ちゃん』呼びされたエルシュは何だかとっても嬉しそうに微笑んでいた。
 塔の壁にある扉の前に立ち、エルシュがゆっくりと扉を開けた。

「大丈夫ですよ。我が国には、王族だから偉いというしきたりはありません。
 それに、桃華さんは満月の時に見られるルナナリア様によく似ていらっしゃる、とても他人とは思えませんから」
「あらあら、まあ……」
 エルシュの言葉に、篤紫とコマイナは再び顔を見合わせていた。
 桃華とルナナリアに、面識はなかったはず。でも似ているというのなら、何かしら共通点があるのかも知れない……そう思いながらふと横を見ると、月の雫を抱きかかえたヒスイがじっと篤紫の顔を見上げていた。
 何となく、ヒスイがドキドキしているように感じた。

「さっきの質問ですが、月とも呼ばれているルナが、ナナナシアの周りを回っていることはご存じですか?」
「ええ、知っているわ。確か、二十七日でナナナシアの周りを一周するのよね」
「その公転の際に、必ずこの塔がまっすぐナナナシアの地表を向いています。ナナナシアの地表からは、常に同じ面が見えるわけですよね」
「それも知っているわ」
「つまりここが、ナナナシアから見てルナの中心になるわけです」
「……何だか難しい理屈だわね」
 扉を開けてみんなで中に入って、篤紫は思わず息を呑み込んだ。

「……こ、これは……すごいな」
 だだっ広い塔の広間に、巨大な黄金色の球体が浮かんでいた。
 大きさが半端ない。
 この塔自体が巨大な建造物で、直径が一キロ以上ある。その中にあって、同じくらいの直径を持った球体が目の前にある。これがルナのコアだと言われれば、なるほど納得できる。
 ダンジョンコアが小玉スイカ位の大きさだから、星のコアがいかに大きいかが分かると思う。

 そのルナコアは、地上から一メートル程浮かんでいて、今まさに月の雫が滴り落ちる所だった。
 下に目を向けると、器があってその器に球体になった月の雫が落ちた。月の雫を乗せた器は音もなく壁の方に滑っていき、次の器がルナコアの下にセットされる。完全に機械制御された動きだった。

「それではみなさん、ルナのコアに触れてください」
 エルシュの言葉に、篤紫はヒスイを抱え上げて一緒にルナコアに触れた。桃華とコマイナもルナコアに触れると、淡い黄金色の光が五人を包み込む。
 視界がゆっくりと白く染まり、またゆっくりと視界が戻ってくる。



 そこは庭園だった。
 周りは森に囲まれていて、その森の中の拓けた空間に池があり、大小様々な島があった。島には複雑な形の松が植えられていて、丸く剪定されたツツジが大きな岩とともに池の畔に佇んでいる。他にもいかにも『和』を感じられるような樹木があちらこちらに植えられていて、それぞれが見事に調和して一つの世界を表現していた。

 目の前の入り口にはアーチ状の門があって、編み込まれた竹が青々とした葉を繁らせている。この竹、生竹なのか……?

「少し歩きますが、私に付いてきてください」
 エルシュが先導して門をくぐり、橋を渡って島に歩いて行く。その後を、その庭園の造形に何度も足を止めながら付いていった。
 いくつ島を経由したか、やがて一つ奥の島にが見えてきた。その東屋ですら、周りの景色との調和を考えられていて、思わず立ち止まって感嘆のため息をついていた。

「お待ちしていました、どうぞこちらに……」
「あら、ヒスイちゃん?」
「そんな……感じだな……」
 東屋の入り口に篤紫たちを待っていたのは、ヒスイとうり二つの容姿をした女の子だった。
 唯一の違いは、全身緑色のヒスイと違って目の前の女の子は、煌びやかな黄金色の髪に、同じ黄金色の瞳をしていることか。それにもかかわらず、着ていたのは和装だった。緑色を基本色にして、色とりどりの花柄が描かれている。

「あなたが、ルナナリア?」
「はい。いつも妹のナナナシアがお世話になっています」
 どうやら、ナナナシアは妹だったらしい。