それから一ヶ月はあっという間に過ぎた。
ミュシュは順調に回復して、あれからずっと留美、咲良、紅羽の三人に振り回されていた。何故かそこにエルシュまで引きずり込まれて、メルシュ女王が何だか嬉しそうにしていたかな。
一人、人数が合わない気がしたけれど、本人たちがいいみたいだから放っておきましょうと、桃華が言っていたからまあいいのかもしれない。
ヒスイも新しい体に慣れて、相変わらずゴーレム五体を引き連れて、あちこち散歩して歩いていた。習慣的なものは変わらなかったみたいで、何だか安心した。
魔神晶石車が自走できなくなって、ヒスイも变化できなくなったことで移動手段が一つ減ったけれど、コマイナのホワイトケープがあるから大きな問題はないかな。それにナナナシアに帰れば、オルフェナもいる。
「何か考えことかしら?」
バルコニーに続く扉が開いて、真っ青なロングドレスを着た桃華が歩み寄ってきた。あれから桃華は毎日メルシュ王女とお茶会をしているみたいで、体型が近いからかお互いのドレスを交換して着ているらしい。
近未来的な街並みに反して、中心に立っているお城は尖塔が立ち並ぶ西洋風のお城で、桃華曰く琴線をしっかりと弾いているらしい。触れる程度じゃないんだね……。
「いやな、ナナナシアに戻ったら一旦自宅に戻って、ゆっくりしたほうがいいのかなって思ってさ」
バルコニーから見下ろす正門脇には魔神晶石車が置かれていて、後部扉の入り口には数日前から誰も並んでいない。移住は最終段階に入っていて、あとは三十六方位を守っていた大兎が到着するのを待つだけだって、エルシュが言っていた。
そのあとは、最後に残った一体のワイバーンに運んでもらって、ナナナシアに戻るだけだ。
篤紫の言葉に、桃華が何だか寂しそうに首を傾げた。
なんだかんだ言って桃華は、普通じゃない旅行にずっと付いてきてくれている。普通なら愛想尽かすような内容なのに、ずっと横で支えてくれている。
「あら、もう旅は終わりかしら?」
「まさか。そもそも観光らしい観光はできていないから、旅自体はする予定だよ。
ただ初っ端からメチャクチャな旅行で、色々あって月まで来たけれど、一旦ここらへんでしばらく休んだほうがいいんじゃないかって思ってな」
「お休みなら、一月ほどしっかりとったわよ?」
いつも通りキャリーバッグを召喚して、何もないバルコニーにテーブルセットを取り出した。続いて横においたサイドテーブルで、お茶を淹れ始める。
待って、何でナナナシアの補助がないのに、当たり前のようにキャリーバッグ召喚できるの。来るときは手ぶらだったのに、なんで?
「だから私としては、家に一旦戻るのは賛成だけれど、できればこのまま旅は続けたいわね。あ、でも家に寄るならせっかくだから夏梛にオルフ、シャーレにペアチェも連れていきたいわ。
それにほら、今回は旅行じゃないもの」
「……そうか、確かにな。考えてみれば今回は、ヒスイの調子が悪いのを治すために、グラウンドキャニアンを目指していたから、旅行じゃないのか」
「そうよ。それにホワイトケープには乗車人数の制限がないんだから、行ける人はみんな連れて行ってもいいかもしれないわね」
「結局また大所帯か、まあ俺たちの旅行はいつもこんなもんなんだろうな」
そもそもだ、ホワイトケープの中に商館ダンジョンがあって、さらにその駐車場にには魔神晶石車――もう車じゃなくで馬車形状なんだけど、その中にも大樹ダンジョンがある。
そもそも、世界そのものを積んだまま旅をしているようなもので、いったい旅とは何なのか、などと思わないでもないけれど。
ティートローリーを押したコマイナが、メイド姿でケーキを運んできた。イチゴが多めのショートケーキが全部で三つ、それをテーブルの上に乗せると、桃華が追加で取り出した椅子に腰掛けた。
伝統的なロングスカートのメイド服なのに、背中が大きく開いているから何だか違和感がある。二対ある純白の翼に干渉しないようにするには、それしかないんだけど。
「篤紫様、桃華様と何をお話していたのですか?」
「一度家に帰ったら、みんなを引き連れて今度こそゆったりした旅に出ようって話だよ。コマイナのホワイトケープであちこち行く予定だから、しっかりと頼むぞ」
「そういう事でしたら、お任せください。むしろそれが本領ですから」
穏やかな風が吹いている中で、ゆっくりとケーキを口に運び、紅茶を嗜んだ。
まさかこのときは、この会話がフラグになっているなんて、到底思わなかった。
三十六方位を守っていた大兎が上空のバリアを抜けてゆっくりと降りてくる。見上げた月の空が、三十六個の白い塊で埋まる光景は、なかなか壮観だった。
ワイバーンは昨日のうちに、一頭を残して全部が大樹ダンジョンに移住が終わっている。野生だと思っていたワイバーンなんだけれど、どうやら兎人族の家畜だったようで、牧場(?)担当の兎人さんが怪しい棒を振るとワラワラと集まってきた。
さすがにこのときばかりは魔神晶石馬車の後部を、ダンジョン拡張で無理やり大きく広げて通り抜けてもらった。
久しぶりに、魔力を大量に使った気がする。なぜか魔力が一向に枯渇する気配はなかったけれど。
そして今日も、大きな兎さんのために、今日も馬車の後部を広げて通ってもらった。
最後に城に残っていた、メルシュ女王、エルシュにミュシュ。あとは一ヶ月に渡ってお世話になった、城で働いている兎人さんたちが大樹ダンジョンに移っていった。それから、桃華の力技、お城をキャリーバッグに収納して大樹ダンジョンに移設する――まで終わって、最後の仕上げに取り掛かることになった。
ちなみに巨大な城がキャリーバッグから出てきたときには、兎人族だけでなく、桃華の規格外さを知っているはずの竜人族のみんなも呆然と固まっていたかな。俺もびっくりしたもの。
「ヒスイ、頼めるか?」
「はい、お父様。あとはこのルナコアを大樹ダンジョンに移動させれば、準備が終わります」
ルナコアが浮いている等の中で、ヒスイがダンジョン機能を使ってルナコアを収納すると、とたんに外から空気を震わせるほどの轟音が聞こえた。
空気が宇宙空間に抜けていったんだろう。想定はしていたけれど、あまりの音にびっくりした。もし、塔の外に居たら上空に打ち上げられていたんじゃないかって思う。
そのまま、塔の中に持ち込んでいた魔神晶石馬車の中に設置、さらに馬車を横に停めてあるホワイトケープの中にある商館ダンジョンに駐車して、全部の準備が終わった。
ついでに、ルナコアのエネルギーをホワイトケープにある予備魔王晶石に供給できるように加工もした。これで準備万全かな。
そして、外でワイバーンに掴まれたホワイトケープは、宇宙空間に舞い上がった。
目指すはナナナシア。
ホワイトケープのフロントガラス越しに、懐かしい故郷が小さく視えていた。
『おいっ、篤紫っ! 前方から何か大きな物が近づいてきてるぞっ!』
復路の十日のうち、四日が過ぎた頃だと思う。
運転席でぼーっと前を眺めていた篤紫は、突然ルルガから入った車内通信に大きく飛び上がった。
助手席でヒスイを膝枕していた桃華が、怪訝そうな顔を篤紫に向けてくる。
「どうしたルルガ、目視じゃ何も視えないんだが」
実際、見えているのは月から出発した時より、少しだけ大きくなったナナナシアだけだった。視界を遮るものは一切ない。
『強力な魔力場が発生しているんだ。たぶん、空間の歪みもできているぞ』
「そう言われてもな、もし何かが来たとしてもワイバーンに運ばれてるから何も出来ないんだけどな」
『うわ、マジか。言われてみればそうだよな、やばいぞ。どうする』
通信画面の向こうでルルガが慌てている様子に、篤紫は思わず桃華と顔を見合わせていた。
実際、進路進行方向ですら完全にワイバーン頼りなことに変わりはない。ついでに言えば、ホワイトケープと衝突したら壊れるのは相手の方。
そう、高をくくって前を向いたときには、もうそれは眼前まで迫っていた。
「えっ……東京……?」
フロントガラスの向こうに映っていたのは、視界いっぱいのガラス壁だった。そのガラス壁の向こうには、もう二度と見ることはないと思っていた街並みが、円形に囲まれた壁の中に広がっていた。
『篤紫っ、避けられないから急いで何かに掴ま――』
ルルガの声が遠くに聞こえる。
助手席に顔を向けると、桃華も大きく目を見開いていた。寝ていたはずのヒスイが、上体を起こして口を開けて何か言おうとしている。
そして、激しい衝突と同時に、篤紫はフロントガラスの先にあった、ガラスの向こう側に投げ出されていた。
空間の歪み。ルルガが言っていた言葉が頭をよぎる。
「ちょっ、どういう――」
ゆっくり考えている時間はなかった。
一緒に投げ出されたのだろう、驚いた顔のまま目の前に浮いているヒスイを片手で引き寄せる。さらに逆手を伸ばして、お互い同時に伸ばしていた手を絡ませて、ヒスイを挟む形で桃華を抱き寄せた。
視界の端には、ガラス壁に弾かれるかのように横に流れて遠ざかっていくホワイトケープの姿が見えていた。さらにその向こう側、大きな宇宙船が篤紫たちが侵入した宇宙船のギリギリを掠めるように通り過ぎていく。
いや、実際に船体が掠っていたんだと思う。
空中に投げ出されて自由落下を始めた篤紫たちにわかるくらい、周りの壁が、眼下の街が激しく揺れた。
照明が激しく明滅する。
桃華がキャリーバッグを召喚した。
「桃華、なにするんだ?」
「魔法で空飛べないから、これに乗ってなら飛べるとかなって思ったのよ」
「いやいや、いやいや。桃華のキャリーバッグはそんな仕様にはしていないぞ……」
「お父様、私が風魔法を使って落下の軽減をします」
「頼む、ヒスイ。何かあるとまずいから、俺と桃華は今のうちに」
「ええ、準備しておきましょう。変身も久しぶりよね」
篤紫は腰の虹色魔導ペンに、桃華は胸元のペンだっとトップに魔力を流した。虹色の光が二人を包み込んだ。
篤紫の黒髪が深紫色に変わる。
シャツの上に深紫色のロングコートが顕れ、着ていた衣類が深紫色に変わった。背中に描かれた三対の翼の絵柄が淡く光り輝いた。
同じように桃華の黒髪も、深紫色に変わる。
ラフな格好だった衣類は一瞬で深紫色のロングドレスに変わった。ドレスの背中に描かれた翼の絵柄も、淡く光り輝いた。
「いきます」
ヒスイから溢れ出た緑色の魔力が、三人の足元で物質化していく。そうして魔力が変化した大きな葉っぱの上に、包み込まれるように足をつけたる
三人を乗せた葉っぱが、ゆっくりと落下していく。
やがて近づいてきた懐かしい東京の町並みは、恐ろしいほどに静まり返っていた。