ボツ 2.目が覚めたら私は私で、一安心したわ。


 ゆっくりと、目が覚めていく。
 私が起きたことをセンサーが察知して、天井の証明がゆっくりと明るくなった。

 この見覚えがある天井は、私の部屋。
 イブキだったらきっと、『知っている天井だ』なんて言うよね。そんなことを思いながら、ベッドを抜け出して着替えを始めた。

 時計を見るとまだ朝の四時。今日は朝早くから仕事の打ち合わせがあるから、いつもより二時間早く起きた。そんなことを思っていたら、大きなあくびが出た。

 そういえば今朝の夢、変な夢だったな。
 妙にリアルだったっていうか、何なら自分が実際に体験したような、それでいて何だか懐かしく思えたから不思議な夢だったよね。
 葛城ミモザとして二十年近く生きてきた人生とは別の、違う世界のミモザの人生。
 ミモザは人間の姿をしていたけれど、元々は産業用に管理されていたダンジョンコアで、一緒にいたイブキの力で肉体を得る事ができたみたい。

 そんな事を考えていたからかな、まるでテレビで物語を観たあとのように、あそこにいた金髪のミモザがダンジョンコアとして記憶してきたたくさんの映像とか、いろいろな知識とかの記録が、私の記憶に溶け込むように広がっていく。
 さすがによくラノベであるような、色々思い出したからあの子が転生したのが私だ――とかは、さすがに思わないけれど。それくらいに、あの金髪をしたミモザのことが理解できた。

 まあでも、それだけよね。
 私は葛城ミモザで、日本生まれの日本育ち。私は私だもの。

 いつも食べているシリアル食品に牛乳をかけて、ちょっと柔らかくなったところで急ぎ気味に食べる。
 洗面所で、長い黒髪の先にできた寝癖をさっと直して、鞄を肩にかけて玄関から飛び出した。

 バス停に向かう歩道を早足で歩きながら、何の気無しに上を見上げた。
 透明で巨大なドーム状の天井があって、その一番高いところに太陽代わりの照明が淡く光り輝いていた。まだ朝の四時過ぎだから、明るさはこんなものよね。
 そのドームの向こうには、真っ黒な雲が視界全てに広がっている。

 「方舟……ね」

 聖書に描かれた神話の時代の物語に使われていたらしい船の名前だけど、今の人類は実際に方舟が必要な事態に陥っていて、今現在私たちがその方舟を造っているのよね。

 その原因が半年前のあの日、太平洋の巨大海底火山が何の前触れもなく噴火したからなの。

 私はその時もここで、ここの都市開発に携わっていたの。
 もともとが新東京都として東京湾の湾上に建造していた超大型建造物だったんだけど、巨大火山の噴火の直後に、人類移民計画『方舟』っていう世界規模のプロジェクトに転換、格上げされたわ。

 それだけ、太平洋の巨大火山の噴火はすごかった。
 洋上に吹き上げた噴煙が、あっという間に地球の上空を、まるで雲のようにすっぽりと覆い尽くしたわ。日の光がほとんど届かなくなって、地表は一気に寒冷化が進んで、あっという間に植物の殆どが枯れ果てた。当然というか動物もたくさん絶滅したの。
 テレビでも地獄が来たとか、世紀末だとか毎日のように特番が続いていたわ。

 津波も発生したらしいんだけど、運良く日本までは届かなかった。ハワイとか、アメリカの西海岸には大きな被害が出たってニュースで報道されていたっけ。
 それだけじゃなくて、急激な環境の変化は普通に私たちにも影響があったわ。それこそたくさんの人たちが亡くなって、対応が間に合わなかった国もたくさん無くなったの。噴火の前兆とか全く無かったらしいから、ほんとあのときは大騒ぎだったのを覚えてるわ。

 その時点で、将来的に人類が取れる手段は二択だったの。
 地球の自浄能力に期待して地下に潜るか、新天地を求めて宇宙に飛び出すか。

 今、私達が造っているのが、新天地を求める派の巨大宇宙船なのよね。



 静かな住宅街を抜けて、大通りに出た。
 まだ都市開発が途上だから、通りに面した店舗の殆どが空き店舗なの。来月の出航を目指して移住が進んでいるんだけど、この辺はちょっと住宅価格が高めの地域だから入植者がまだ少ないのよね。

 バス停に着いて時刻表を確認すると、次にバスが来るのが五時二十五分。ちなみに時計を見るとまだ五時になったばかりだった。昨日のうちに確認しておけばよかったな、なんて思っても後の祭り。
 椅子に座ってバスが来るのを待つことにする。

 そういえば、今日は幼馴染のイブキが方舟に移住手続きをする日だったわね。
 さすがに寝坊したらいけないから、電話をかけてみる。待ち時間もあるし、しばらく会えていないからちょっと声が聞きたい。こんなときでもないと、なかなか電話を掛ける理由が見つけられない自分に、ちょっと情けなくもなるけど。

 数コール鳴ったあと、イブキが電話に出た。

『ああ、僕の知っている天井だ……』
「ちょっとイブキ、何変なこと言っているのよ。朝よ、起きた?」
『ん。おはようミモザ』
 知っているはずのイブキの声なんだけど、妙に違和感を感じる。私の知っているイブキに電話したはずなんだけど、電話の向こう側にいるイブキが何だか知らない人のような気がして、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

「イブキがさ、輸送船に乗るのって今日よね、準備は出来てる? 着るものと、大切なものは鞄に入れた? ちゃんと、方舟のチケット持ってるのよね?」
『ああ。大丈夫だよ。準備は出来てるよ』
 不安が胸に広がってきて、思わず一気に喋っている。
 何でかな、心做しか声音がいつもと違って優しい気がするの。
 いつもは電話してもそっけなくて、会話がほとんど成立していなかった。声のトーンだって凍えるかと思うくらい低く冷たかったのに。

 鞄から水筒を取り出して一気に飲み干した。

「ほんとに? イブキって忘れっぽい所あるから、私が起こしてあげないとずっと寝てたと思うし」
『いや、今日はさすがに起きるよ?』
「あのね、イブキは棺桶組じゃなくて方舟維持組なんだから、今日、乗り遅れたら次はないのよ。それこと私の知っている限り二ヶ月、ずっと先延ばしにしてきて、今日の便が方舟維持組としてはもう最後なんだから。方舟も来月の頭には出航することが正式に発表されたから、そろそろ棺桶組の搬入だって始まるのよ?」
『棺桶って……ははは、確かに聞いた話だと移民艦に乗る人達は、そんな感じみたいだな』
 動揺してるのかな、私、自分でわかるくらいに電話を持っている手が震えている。

 数日前、大学で薬草の研究をしているイブキが、やっと方舟への移住を決意してくれたときは嬉しかったわ。ずっと研究以外に全く興味を持っていなかったから、何回もお願いしてやっと方舟に乗ってくれる話がまとまったばかりなの。
 巨大火山の噴火後も研究施設はそのまま使えていたから、移住すらギリギリまで渋っていたのに。会話だってほとんど、私から一方的なものだった。
 ほんと、話すだけでも苦労していたのに。なにこれ、何で普通に会話が成立しているのよ。

 今、水筒のお茶を飲んだばかりなのに、もう喉が渇いてきている。
 かすれそうになる声を、必死に隠してできるだけ普段どおりの声を絞り出す。大丈夫かな私、不自然さとかないかな……。

「あとはそうね、家を出る前にちゃんとエリクシルを飲んで、気密服をしっかりと着ないとだめよ。そのまま外に出たら、火山灰吸ってすぐに肺が炎症起こしちゃうわよ」
『わかってるよ。朝食を食べたあとで、ちゃんと飲むから』
「本当に大丈夫? やっぱり今から、私が迎えに行こうか?」
『方舟からか? いやいいよ。機関部の最終整備で忙しいのに、主任のミモザが抜けちゃだめだろうよ』
 なんだか居たたまれなくなって、つい出来もしないことを口走った。
 イブキに言われたとおり、これから職場で大事な打ち合わせがあるから、イブキのところに駆けつけることは叶わないのに。

「エリクシル飲んだ? ちゃんと飲まないと、気密服の中で窒息しちゃうから」
『ああ、それならもう実際に体験しているからよく分かる。少し前に一度、慌てていてエリクシルを飲まずに気密服着た時があってさ、窒息しそうになった。さすがにあのときは死ぬかと思ったよ』
「馬鹿なの? さんざん注意してって言っていたのに、忘れてたの?」
『だから、慌ててたんだって。大学のエリクシルポッドが誰かに抜き取られて、空調が全て止まっていたんだ。たまたま僕は薬草を育てていた温室にいて気が付かなくて、真っ暗な研究室に戻ったときに先に明かりを確保しようとして……』
「それで気密服を着たと」
『そうそう。その時はまだ、エリクシルがそんなに重要なものだなんて、理解していなかったんだよ』
 エリクシルのことも、誰よりも知っているはずなのに知らない。
 イブキと、イブキの母親であるアンジェリーナとの共同研究が生み出した、世紀の大発明である『エリクシル』なのに。

 でも何だか、そんなことどうでも良くなってきたの。

「エリクシルはね、生体ナノマシン集合体よ。飲むことで壊れた細胞を蘇生し続けることができるから、気密服で完全に外気と遮断されても酸欠すら蘇生するから生きていられるのよ。考えてみれば、何だか不思議よね。
 五百ミリリットル容量のエリクシルで、その効果は八時間。あなたのお母さんでもある、アンジェリーナさんが発明した物よ?」
『そしてそれを謎利用して、うちのお父さんが、無限発電機関のエリクシルポッドを作った……と』
 いつものイブキじゃなくて、すっごく違和感があるんだけど、何だか涙が溢れてきた。

 私は、今のイブキのほうが好き。
 すっごく好き。ずっと好き。大好き……だよ。

「ね、ちゃんとエリクシルを飲んでから気密服を着るのよ。約束だから」
『ああ。わかったよ。それじゃあ、そろそろ出かける準備するよ』
「……あ、イブキちょっと待って」
 だから、電話を切る前にどうしても聞きたかった。

『どうした?』
「……あのね……イブキってさ、前から『僕』って言ってた?」
『ん? 僕は前から僕だよ。なんで?』
「……そっか……うん、そう、だよね。それじゃ、方舟で待っているわね」
 耳から電話を離して、終話をタップした。
 知らず識らずのうちに俯いて、自分でも知らないうちに止めていた息を、ゆっくりと吐き出した。

 あのね、イブキ……あなたに、早く会いたい……。

『ドカーン――』
 突如として、静かな繁華街に響きわたるガラスが割れる音。激しく物が壊れる音の中に、軋んだ木が折れる強烈な破砕音が響きわたる。
 背筋に悪寒が走って、慌てて顔を上げた。

「え……嘘……」
 横倒しになった大型の乗合バスが、天井をこっちに向けて迫りくるところだった。

 それを、呆然と眺める。
 っていうか私、こんな状態で『呆然』以外に動くすべを持ち合わせていない。

 もうね、私死ぬんだなって、思った。

『生体ダンジョンの生命の危機を察知、緊急体制に移行』
 そして、世界の色が消える。

 時が止まり、見えるすべての物がモノクロに変わった。
 私の方に滑ってきていた乗合バスが、私の数メートル手前で突然ピタリと止まった。

「えっ……なに? いったい何が……起きているの……?」
 声が、掠れる。

 私の『非日常』が始まった。