とぼとぼと駅に向かって歩く。
あれからしばらく呆然としていたんだけど、途中で気がついた。私は別に今すぐに外に出られなくても、特に問題はないんだって。
仕事場は消滅しちゃったし、肝心の方舟は未知の星に不時着した。その不時着にしたって、船体から生えた翼に守られて海に軟着陸した始末。
当然だけど、外がどんな環境かわかっていない。
こんな状況で一般人の私が外に出るなんて、どう考えても無茶だよね。
なんで外に出ようって思ったんだろ?
周りを見ても瓦礫ばかり。方舟のインフラを支える電源を機関区が担っていたから、その機関区が消滅した今は完全に停電状態で、辺りは静まり返っている。
時折の吹き抜ける風で、木立が擦れる音は聞こえてくる。
うん、とりあえず家に帰ろう。
ふと、なにか声が聞こえたような気がして、耳を澄ませてみた。どうも下の方から声が聞こえているような気がするんだけど。そういえば私、通話中だった電話切ったっけ……?
あわてて腰元に浮いていた電話機を手繰り寄せると、画面に『葛城百合子』の表示があって、ずっと通話したままになっていた。うん、電話切ってなかった。
「……えっと、もしもし?」
『ミモザか。無事か、何があった、体は何ともないのか、機関区勤めだったから消失した時は絶望的だと思っていたが、よくぞ、よくぞ……』
「お、お父さん?」
母である葛城百合子に電話していたはずなのに、いつの間にか父である葛城宗一郎に電話の相手が変わっていた。もう一度電話を耳から離して画面を見てみてけれど、発信先はやっぱり葛城百合子になっていた。
何でだろう、何で二人が一緒にいるのかな。父は方舟の船長だから、緊急時でもなければ一緒にいるはずがないのに。あ、そっか今ってその緊急時か。
『どこか痛いところはあるか? 今どこにいるんだ、すぐに迎えを送る。お前の他に誰かいるのか? もう、一度に色々と起きすぎてさすがの俺ももう――』
「ちょっと、お父さん落ち着いて。私は大丈夫だから」
『ああ、そうだ。大丈夫だ。私は方舟の船長だからな、常に冷静沈着てあらねばならん。心配せずともすぐに救援を向かわせる。そこから動くでないぞ』
「もう。わかったわ、期待せずに待っているわね」
相変わらずの過保護っぷりに思わず頬が緩んだ。
そもそもここに、どうやって来るんだろう。場所とか伝えてないのに。
非日常の中にあっていつもの日常の会話に、気が緩んでいたんだと思う。
想定外の衝撃が、私を襲った。
突然、後頭部を強打されて、私の体は文字通り吹き飛んだ。
瓦礫が散らばるアスファルトに顔面を強かぶつけ、そのまま跳ね上がった下半身に引っ張られるように空中で二転、三転してから背面から瓦礫の中に突っ込んだ。
全身に痛みを――感じなかった。相変わらずの謎強度になった体には一切の衝撃がなかった。これ、何があっても絶対に死なないやつよね。
地面に強打した顔に触れても、傷一つとして付いていない。さすがに砂埃は付いたからさっと払う。
手足も異常なし、というか衣服すら汚れがついた程度で破れても居ない現実に、内心苦笑いを浮かべた。着衣がはだけて――とかないから、私としては助かるけれど。
『グギャギャギャッ!?』
無傷で瓦礫から起き上がった私に、襲撃犯の方がびっくりしたようで、その緑色をした生き物は、様子を見にすぐ近くまで来ていたにもかかわらず慌てて私から距離をとった。
濃い緑色の肌の、醜い顔の子供。身長は私の胸くらいかな、この間小学生になった従兄弟があれくらいの身長だった気がする。
先の尖った耳に薄汚れた茶色い髪、その髪の隙間からは鬼のような角が生えている。
でも子供じゃないわね……もしかしてこれって、あのゴブリン?
物語の中にだけいる、想像上の生き物よね。もっともあれか、ドラゴンと遭遇済みだから今更感はあるけれど。
『グギャッ?』
『グギャグギャギャ』
私が考え事をしていたら、最初一体だけだったゴブリンがいつの間にか五体に増えていた。みんな同じような腰蓑を身に纏い、手には思い思いの武器を持っている。棍棒に鈍色の剣、刃の欠けた斧を持っているゴブリンもいれば、両手で槍を構えているゴブリンもいる。
全員が武器を構えていて、間違いなく私に害意を向けている。
嘘っ、待って私、丸腰だよ。
そもそも方舟に来たのだって作業員としてだから、一応名目上は軍扱いの方舟維持隊に所属しているけれど、軍人みたいに戦う術は持っていない。
ただの一般人なのに。
慌てて逃げようとして、足がもつれて瓦礫の中に転んだ。
気がつけば体が震えていて、思ったように体が動かなくなっていることに気がついた。恐怖が体を支配している。いくら怪我をしなくなっているとはいえ、心までは変わっていないことに安心した反面、かつてない危機に戦いた。
どうしよう、怖い。
「イヤッ、来ないでっ!」
とっさに手元にあった小さな石を掴んで、ゴブリンに向けて投げつけた。
シュンッと、何だか聞こえてはいけない音とともに、意味不明な速さで飛んでいった小石がその軌道上にいたゴブリンの肩に当たって、突き抜けて彼方に消えていった。遅れてゴブリンの肩から肘、首の辺りまでの範囲凹んでいったかと思ったら、円形に抉れるように吹き飛んだ。
思わず息を呑んだ。
残ったゴブリンの体も、更にその後に襲いかかった衝撃波みたいなもので、弾けるように飛んでいき数回バウンドした後、ピクリとも動かなくなった。
静寂が辺りを包み込む。
な、なななな、何が起きたの?
『グギャアアアァァァ――』
残ったゴブリンが武器を投げ出して、我先に方舟の外に向かって逃げていく。あっという間に、壁の大穴から消えていった。
一気に気が抜けて、何だか怠くなった体を無理やり動かして、その場で座り直した。
「……えっと、私、何をしたの……?」
はっきり言って、意味がわからない。
転けた状態で振り向いたから、両足を無造作に地面に投げ出して、上半身を片腕で支えている不安定な体勢で投げた小石。そんな状態だから、当然ながら大して力を入れて投げたわけじゃない。
一応確認のためもう一度、近くにあった小石を掴んで無造作に投げたけれど、こんどは普通に放物線を描いて少し先の道路に落っこちた。次は、ちょっと力を入れて小石を投げると、私の手を離れた次の瞬間、空気を切り裂くような甲高い音をたてながら小石は遥か彼方に消えていった。
じっと手のひらを見つめる。
こ、これは……また時間がある時に色々調べてみなきゃかな?
ほんと私の体どうなっちゃったんだろう。
「あれ、さっきのゴブリンは?」
そしていつの間にか、ゴブリンの遺骸が消えて無くなっていた。
倒れて道路を塞いでいたビルを迂回して、元の道に戻ってきた時に、突如として辺りに警報音が響き渡った。
道路にある案内用の電子パネルが点灯して、非常事態の表示と避難経路の表示が交互に表示され始めた。
機関区が消失して完全に落ちていた電気が、復帰したんだと思う。インフラが復帰してすぐに避難の案内とか、ちょっと意味がわからないんだけど。
そして例に漏れず、私の携帯電話が震える。
『方舟最下層に高エネルギープラントを確認しました。魂地設備として取り込みます。また、送電網を魂樹網設備として変換しました。送電網の末端にある端末を魂実とし、運用を開始します』
「ちょっ、待って待って、そもそも魂何とかって何のこと?」
思わず携帯電話の画面に向かって問いかけていた。
いや、そもそもよ。今更なんだけど、私の身の回りに何が起こっているのか、ちゃんと確認しないといけないのよね。
『回答します。先程、ダンジョンコアである葛城ミモザ様を中心にして、方舟全体を対象に魂儀と呼ばれる魔力ネットワークを構築いたしました。
魂樹システムは数種類あり、個人が持つ末端端末を魂樹。魂樹を複製、及び管理する端末を魂幹、コアのサポートとして魔力エネルギー管理と、総括管理をするために魂地があります。
これら全てを合わせて、魂樹システムと呼称しています』
「……うん、わからないわ」
携帯電話の画面に流れる文字を追って、何とか理解しようと思ったんだけど、正直『魔力』とか言われた時点で首を傾げた。
魔力って、なに?
『全トキオシティ市民に警報発令! 全トキオシティ市民は直ちに、屋内に避難を開始ししてください』
広域放送が何か言っている。
顔を上げると、空に翼竜が飛んでいた。少し離れたところには、真っ赤に燃える鳥が火の粉を撒き散らしながら飛んでいた。
視線を落とす。
倒れたビルの上には三つ首の大きな黒い犬が居て、鈍色の巨人に炎を吹きかけている。そのまま視線を横にずらすと、半壊したビルとビルの間に巨大な蜘蛛が巣作りを始めていた。
更に視線を回すと、巨大な剣を持った豚頭の巨漢が、巨大な蟷螂と対峙していた。豚頭が一歩踏み出すと、蟷螂が鎌で威嚇しながら一歩後退る。
見たこともない、物語の中だけにいた伝説の生き物たちが、あちこちで争いを繰り広げている。
なんなの、これ。
そして私の前には、いつの間にか見上げるほどに大きな、それこそ路線バスとかと同じくらい大きな漆黒の狼が、その赤く煌めく瞳で私のことをじっと見ていた。
一難去って、また一難……なのかな。
たぶん今、絶体絶命だと思う。