ボツ 10.想定外の事態が起きると、本当に声が出ないのね。


「なっ……えっ……?」
 咄嗟に呑み込んだ息が止まる。
 呼吸の仕方を忘れて、かすれて出た声の後に思いっきりむせた。

 イブキは方舟に居ない。
 それだけじゃなくて、今イブキがいるのは移民艦だって。

 移民艦って言えば、方舟がこの星に墜ちる時に、空中でドラゴンのブレスに吹き飛ばされて世界各地に散らばっていったのは記憶に新しい。あれからまだ一週間も経っていないし。
 散らばったうちの数隻は方舟の通信が届く範囲にあって、もう少し受け入れ体制が整ったら、救助部隊を派遣するって話になっていたはず。
 ただ、そのどの移民艦も日本の移民艦じゃない。

 そもそもダンジョンって何?
 移民艦が取り込まれたって、一体何が起きているっていうの?

 イブキ……今、どこにいるの?

『ちょっ、ミモザ。大丈夫? おおうっ、なんだよもうっ危ないな。ちょっとは休ませてくれよ。いや、ごめんミモザ、今ちょっとゆっくり話をしている時間がないから、落ち着いたらまた電話する――』
「ゴホッ、イブ……待って……」
 電話が切れて、耳元から音が消えた。

 最初はイブキの声が聞けて安心したのに、その慌ただしさにすぐに不安で胸が一杯になった。
 溢れてきた涙に、自分ってこんなに涙脆かったかなって、まるで他人事のような感想が浮かんでくる。

「イブっ……かはっ。ゴホッ、ゲホッ――」
『ちょっと、先輩っ!? どうしたんですか、大丈夫ですか!』
 やっぱりうまく呼吸ができなくて盛大にむせていたら、私の後ろの壁の向こうから、佐々木さんの声が聞こえてきた。そういえば隣って、佐々木さんだっけ。

 仮設住宅だから壁が薄いんだった。まだテレビもラジオもなくて、夜になったら、時間を潰せるものなんて手持ちの携帯端末くらいしかない。そんな状態で私が意味もなくむせていたら、普通に気づくよね。
 ドタドタと足音が遠ざかっていったと思ったら、部屋のドアが激しくノックされる。

『葛城先輩っ! 扉、開けますよっ……って、なんでこれ開かないのっ?』
「ケホっ……待っ……て、ゲホッゴホッ――」
 床を這うように扉までたどり着いて扉の鍵を外すと、扉が開いて佐々木さんが文字通り飛び込んできた。ただ、扉の直前でうずくまっている私にぶつかりそうになって、咄嗟に私の両肩を掴む。

「彼氏さんと話をしているのかと思ったんですが、何かトラブルでもあったんですか?」
 しゃがみ込んだ佐々木さんはパジャマ姿で、白地にたくさんの苺がプリントされていた。酸欠気味でボーッとし始めた頭で、私もこんな可愛いパジャマ着ていたら、イブキが喜んでくれるのかななんて、思考が脱線し始める。
 ちなみに私は、寝る時はいつも紺のジャージ。色気の欠片もない。

「ちょっと、先輩。顔真っ青じゃないですか」
「ごめ……うま……く、息が」
「落ち着いて、まずゆっくりと息を吸い込んでください」
 背中を擦ってくれて、ゆっくりと息を吸い込もうとするんたけど、何でか今度は唾の飲み方が思い出せなくてまた咽る。

「ちょっと、失礼しますね」
 そう言って、うずくまったままの私を、横に移動した佐々木さんが横抱きに抱え上げた。そのままベッドまで運んで座らせてくれた。私はまた、驚いて息を呑みこんだ。

「えっ、えっ?」
「待っててくださいね、コップにお水汲んできます」
 流し台に向かった佐々木さんが、コップに水を汲んですぐに戻ってきた。

「はい。落ち着いてゆっくり飲んでくださいね」
「あ……り……」
 コップを受け取る。
 目の前心配そうに私の顔を見ている佐々木さんは、いつもの佐々木さんだ。でもこの娘の一体どこに、私を抱き上げるだけの力があったんだろう。
 身長はよく中学生に間違えられるくらい小柄だし、華奢な体つきからは筋肉の欠片すら感じられない。余分なお肉がないから、想像以上に力持ちだってことは知っているけれど、それだって私の身体を抱えて運べるほどの筋肉はないはずなのよね。

 少し考えて、取り敢えず聞いてみることにした。
 声は……うん、落ち着いたから何とか出そうだ。

「……ねえ佐々木さん。さっき、私抱っこしてベッドまで運んでもらったんだけど、重くなかった?」
「あ、それなんですけれど、私もびっくりなんですよ。さっき先輩に携帯改造してもらったじゃないですか、あの時からなんですけど身体が軽いんですよ」
「……えっと、意味が、わからないわ」
「ですよね。私も何だかわかんないんですが、何か不思議なエネルギーっていうんですかね、それが体全体を巡っていて、とにかく調子がいいんですよ。ずっと悩んでいた冷え症も改善した感じで、足の先がポカポカしているんです。それだけじゃなくてですね――」
 話を聞いていると、とにかく体の調子が良くなってさっきまでトイレにはまっていたんだとか。お通じも良くなったんだって。

 原因は携帯電話ってこと?

 そっか。私の非日常も、この携帯電話が始まりだったんだっけ。

 本来ならあの日、バスに轢かれて落としていたはずの命だった。それがこの携帯電話が、不思議仕様に変わったことで生きられた。命が繋がった。
 あれ? 何だろう、本質が違う気がするんだけど……?

「それでこれ、背面接触だけで他の人にコピーできるんですよね? あ、さっき見ていて、アプリも設定の中にある魂樹複製の項目も確認できています。でも、私が勝手にそれやっちゃっていいのかなって……」
「項目があったなら、別に問題ないと思うわ」
「ほんとですか? 教えてあげたい人、っていうかコピーするだけなら知り合い全員にやってあげたいんですけど……」
 顎に指を当てて、悩み始める。
 呼吸を整えながら待っていると、大きく息を吐いた佐々木さんが顔を上げた。

「あとですね、魔法も使えるらしいんですよ」
「……えっ? ま、ほう?」
「先輩知らないんですか? ほらここ、見てくださいよ。魔法大全アプリ。補助魔力器官から魔力を汲み上げる……っていう部分がイマイチよく分かりませんが、どうやら魔法使いになれるみたいなんです」
「……? ……ふえっ??」
 絶句した。確かに、書かれている。
 佐々木さんの携帯電話の画面には『魔法大全』っていうアプリが開かれていて、魔法の種類別に選択できるようにアイコンが並んでいる。
 試しに佐々木さんが押した生活魔法の項目の中には、イラスト付きでどんな魔法なのかが説明されていた。ざっと見せてもらったけれど、別に呪文とかはなくて魔法はイメージで発動できるのだとか。
 つまるところ、このアプリは魔法のイメージングを補助するためのアプリななんだと思う。

 意味がわからないんだけど。
 そもそも、そんなアプリがあったことすら知らない。

「他にもほら、世界中の薬草が分かる『薬草辞典』でしょ、ポーション? を作れる『錬金手引』もあるんですよ。ひと通り見てみたんですけど、結局のところ魔力とかいう力が使えないと何にもできないんですけどね」
 佐々木さんに携帯電話の説明をさせたら駄目だって、身に沁みた。

 しばらく、どんなアプリが追加されて、どんな機能があってそこに何が書かれていたとか、色々説明してくれた。
 でも、魔獣大全アプリとか便利だと思った。カメラと連動していて、写真を撮って魔獣の詳細が分かるだけでなく、マイ魔獣リストで保存しておくことができるらしい。

 佐々木さんが色々と説明してくれたお陰で、ちょっとだけ心が落ち着いたかな。

 イブキは……落ち着いたら、電話してくれるのかな。
 ちゃんと電話が繋がった。多分、今は色々忙しいかもしれない。何だか戦っていた様な感じだったし、だとしたら今は電話をしている場合じゃないよね。

「それでですね、先輩。この超絶便利な携帯電話なんですけど、本当に他の人にも勧めていいんですか?」
 一瞬、判断を尋ねられていることに気が付かなくて、目を瞬かせて佐々木さんを見つめていた。しばらくして気がついて、首を横にかしげた。

「えっと……いいけど、私が?」
「だってこれ、先輩の作り出した技術なんでしょう? どう考えても未知のテクノロジーが使われていますし。普通に現代の科学でも再現できないような、機能や仕組みが満載なんですよ。
 だいたい、いくら使っても電池が減らないどころか、電池表示すら無くなっているんです。アンテナは立っていても電話会社もどこだかわからないし、そのくせネットは使い放題。動画だって今までと同じ様に見れますし、何なら見放題じゃないですか?
 その通信速度だって、私の知っている光回線より遥かに早いのに、アプリで計測不能なんて意味不明な速度出しているんですよ。試しに、知っている映画をダウンロードしたら、瞬きする間に終わっていたんですから」
「えっと……は、ははは――」
 もうね、笑うしか無かった。

 電話会社がどこかって言われると、多分私?
 記憶をたどると、私の携帯電話が今の状態になった時に、私を起点にしてネットワークを構成したとか何とか言っていた気がする。ついでに四日くらい前にも、方舟の携帯電話網を取り込んだって言われたような……。
 そもそもだよ、方舟の表層が壊滅状態だから、電話会社だってあの時点で使用不能になっていた可能性があるのよね。

 じっと、私の目を見つめていた佐々木さんの目が、ちょっとだけ穏やかになった。

「先輩、ちょっと元気になりましたか? 彼氏さん、戻ってきたらちゃんと私が叱ってあげますからね」
「か、彼氏なんかじゃないわよ、まだ。それにいつ、帰ってくるかわからないのよ」
「それでもです。無事なら、いずれ帰ってくるはずですから」
 何ともいい笑顔で笑った佐々木さんは、おもむろに私をギュッと抱きしめてくれた。身体は小さいけれど何だか頼もしくて、ちょっとだけ涙腺が緩む。

「それはそうと、これ。超絶技術の携帯電話ですが、明日取り敢えず師匠に相談してみます。ちょうど作業がお休みの予定ですし、ちょっと会いに行ってきます」
「師匠って?」
「私が言うのもなんですが、彼は変態科学者です。その代わり知識はものすごいですし、機械音痴だった私がこの世界に入ってやっていられるのは、あのときのスパルタ教育の賜物なんですよ」
 近くの椅子に座り直した佐々木さんの顔が、笑っているのにちょっと引きつっているような気がする。
 誰なんだろう。相当正確が破綻している人なんだよね……。

「それでですが、よかったら先輩も一緒に行ってくれませんか?」
「わ、私?」
「ほら私だけ行くより、元を持っている先輩が言ってくれれば説明とかしやすいですし」
「……それなら、明日の予定はないので行けないことはないけれど」
「じゃあ、お願いします。では、また明日」
 行くとは言ったものの、多分それなりに心配だったんだと思う。私が一緒に行くことがわかった途端に、顔いっぱいが笑顔になった。
 そのまま、スキップするような足取りで私の部屋を出ていった。

 ……そこまで、なの?
 今度は逆に、私が苦笑いを浮かべることになった。

 ただ結局その日は、イブキから電話がかかってくることはなかった。