ボツ 12.人型に可変する乗り物に乗っている人が、知人だとは思わなかったわ。


 まるでスローモーションのようにゆっくりと振り抜かれる太い腕に、私は目を見開いたまま瞬きすらできなかった。極限の状況で、脳内の時間が引き伸ばされているんだと思う。

「きゃあああぁぁ――」
 私の右腕にしがみつく佐々木さんの、その細い腕に力が入る。
 狼の歯のない口がいやらしく笑ったように見えた。

 実際には、一瞬の出来事だった。
 その太い腕が当たった瞬間、またしても私が、私の存在が世界の理を覆す。

 車の左側面が潰れて本来なら車ごと一緒に吹き飛ぶはずなのに、私と佐々木さんをその場に残したまま、人の形に穴が空いた車体だけが、壁に向かって吹き飛んでいく。
 振り抜かれた狼の腕が私達の形に抉れて、目の前を通り過ぎていった。真っ赤な血が遅れて吹き出す。飛び散った血が、私と佐々木さんを赤く濡らした。

 突然軽くなった右腕に気がついて、慌てて両手で佐々木さんを抱え上げる。あまりの事態に気絶しちゃったんだと思う。

『ギャアアアァァァ――』
 狼にとっては、完全に想定外だったのかしら。
 横倒しに倒れて転がったあと、私達から離れるように後ろに飛び退った。

 事態は更に悪化していく。

『グアアアァッ』
 入れ替わるように複数の巨大な狼に囲まれた。光が遮られて、ただでさえトンネル内が薄暗いのに、さらに暗く視界が悪くなった。逆に囲んだ狼の爛々と輝く赤い瞳が恐怖を煽っている気がした。

「さ……佐々木さんは……私か守るわっ……」
 なんて息巻いて、言葉が理解できないような魔獣に宣言してみるもののの、いったい自分に何ができるのか考えると絶望的なことに気がついた。
 そもそも、今だってなんとか佐々木さんを抱きかかえているけれど、恐怖からか足に力が入らない。なんとか気合でぎりぎり立っているような状態で、ちょっとでも気を抜けばたぶんうずくまる自信だけはあるのよね。

 それに、守るって、いったいどうすれば守れるのかしら。

 噛み締めた歯が、震えてガチガチと音を立てていたうまく噛み合わせられない。
 華奢で軽いはずの佐々木さんも、気絶してからは想定以上に重い。

 争いごととは無縁の生活で、喧嘩だって口喧嘩ぐらいしかしたことがない。
 両親にだって叩かれたことはなかったし、もちろん私が両親に暴力を振るったことだってなかったわ。それだけ日本は、平和な国だったんだと思う。

 このタイミングで、腰元の携帯電話からコール音が鳴り響く。佐々木さんを抱きしめて、固まったままの私が電話に出られるはずがなく、しばらく鳴ってからコール音が止まった。

 そうして私が動けないでいると、狼の一頭が一気に動き始めた。

『ウギャンッ、キャンッキャンッ――』
 私達を噛みちぎろうと開けた大口は、閉じると同時にすべての歯が砕け散った。悲鳴を上げながらすり抜けていく。続けざまに二頭、三頭と立て続けに狼の顎が襲いかかるも、砕け散る歯とそれに合わせた悲鳴に、四頭目の狼はは既のところで襲ってこなかった。
 警戒心が増したのだと思う。狼たちは私達を遠巻きに取り囲んだまま、でもまだ諦める気はないのかしら、今も地響きのような唸り声を上げている。

 対して私達は、やっぱり無傷だった。
 私の謎の力は佐々木さんにも作用しているみたいで、一切の怪我を負っていない。でもだからといって、事態が好転するわけじゃなくて、このままだと逃げることもできないからむしろ悪化しかしないと思う。

「誰か……」
 そう呟いたときに、トンネルの先から光が見えた。
 エンジンが唸る音が大きくなっていく。見えたのは、変わった形の一台の車だった。

 鈍色をしたその車は、見た目はレーシングカーかな。コクピットは中央にあるだけで、普通のレーシングカーと違ってやけに車体がぶ厚い。コクピットの側面には細長く巨大な鉄板が乗っていて、尖った先端がこっちを向いていた。
 どう見ても走るためだけの車の厚さじゃない。
 模様なのか縦横に無数に走った筋が、路面の段差で跳ねた瞬間に大きくずれ動いたのが見えた。

 大狼が気づき、半数が新たな脅威に顔を向けた。
 先陣を切って二頭の狼が駆け出す。

 そしてそれに併せるかのように、車が変形を始めた。

 まるで見えないなにかに躓いた様に、車両後部が跳ね上がった。模様に見えた切れ目が広がり、コクピットを中心に車両前部が脚に、後部が腕に変わる。体や腕に比べて小さな頭部は、恐らく全方位型のカメラかなんかだと思う。
 全体的にカッコいいんだけど、ヘッドライトがあった場所がつま先になっていて、そこが今も前を明るく照らしているのは多分設計ミスか何かよねきっと。

 それは、それこそ物語の中にだけにあった、変形する人型ロボットだった。

 あっけにとられた私は、佐々木さんを落としそうになって慌てて抱え直した。
 移民船として宇宙を旅をするにあたって、いずれ起こりうると予測される宇宙戦に向けて、人型ロボットの開発をしているって噂には聞いていたけれど、さすがに夢物語だと思っていた。
 それがまさか、既に実用段階になっているなんて。

 ロボットに襲いかかる巨大狼に対してロボットは、私の想定を超える動きで舞った。
 狼とすれ違いざまに、まるで生きているかのように滑らかな動きで、その場で体ごと一回転、その左手に持つ巨大な鉄板を振り回した。その一閃だけで、あっさりと二頭の狼の首が宙を舞う。

 それを見て、冷静さを失った残りの狼たちが、私達の隣から次々に駆け出していった。
 漆黒だった狼の体毛が、赤黒く燃え上がる。たったそれだけで、駆ける狼の速度がグンッと上がった。脚が触れた地面が燃え上がって、その吹き上がる熱風でトンネルり照明が焼け切れてく。
 その熱風は当然私達のもとにも届いたけれど、攻撃判定された熱波は、私の元に来ると涼しい風に変わってそのまま吹き抜けていった。私が何もしていないのに。

「え、消えた……?」
 ロボットの方だって、ただ襲われるのを待っているわけじゃなかった。
 巨大な鉄板――後でよく見たら大きな剣だった――を構えて腰を落としたロボットの全身の関節から、蒸気のような何かが吹き出した直後に、鈍色だったボディが一気に蒼に染まった。
 そして次の瞬間、視界から消えた。

 トンネルの両壁から激しい打撃音が聞こえる。その音と同時に、視線の端でトンネルの壁が大きく窪むのが見えた。
 炎が、全身を覆うように赤黒く燃えるていた狼の炎が、突然すっと消えた。壁の打撃音が聞こえる度に、狼が胴体の中程から輪切りになって、走っていた勢いで地面に転がって跳ね跳んでいく。
 そして最後にひときわ大きな打撃音とともに、壁に着地したロボットが姿を現した。

「キャッ……」
 渦巻くような風が、私を通り抜けていった。

 ほんとうの意味で瞬く間に、たくさんいた大狼が最初の一頭だけになった。
 その一頭も劣勢だと分かったのか、壁際を足を引きずりながら後退していき、やがて暗闇の中に消えていった。

 息絶えた大狼の断面が灼熱しているのか、赤くあたりを照らしていた。たぶん燃え続けているのよね、徐々に狼の体躯が小さくなっていき、やがて小さな済の塊になった。

 力が抜けた私、そのままその場にへたり込んだ。私が支えていた佐々木さんも一緒に崩れ落ちて、なんとか私の太ももの上に頭が乗って、自然と膝枕するような体制になった。
 終わった……のかしら……?



 大きな金属音に驚いて視線を向けると、ロボットが立ち上がってこっちに歩み寄ってくるところだった。新しく、肩口にある照明が辺りを照らしていて、真っ暗だった視界がある程度視認できる程度まで明るくなった。
 通常モード(?)に戻ったのか、蒼く変わっていたボディの色が最初の鈍色に戻っている。

 ロボットはゆっくりと私達の側まで歩いてくると、その場で片膝を付いて跪くような体制でゆっくりと静止した。コクピットのハッチがゆっくりと開いていく。つま先のライトがやっぱり哀愁を漂わせている。
 中から出てきた人を見て、私は大きく目を見開いた。

「え、どうして。小鳥遊おじさん……?」
「その声はもしかして、ミモザちゃんか?」
 この人、知っている。イブキのお父さんだ。名前は確か、小鳥遊レイジだったかしら……エリクシルポッドの開発者である、世界的に有名な科学者なのよね。
 コクピットから飛び降りてきたレイジは、焦ったような顔で私の前で屈んだ。伸びてきた手が私の頭に触れる。安心したのか、レイジの口が大きなため息が漏れた。

「すまない、俺が湾岸出入り口を壊したせいで、ミモザちゃんを危険にさらさてしまったようだ。遠目に見てあの魔狼に襲われていたようだったが……無事、なんだよな? 真っ赤なのは返り血か。それに横にいるのは、結衣?」
 そういえば、今更だけど佐々木さんの下の名前知らなかったな。結衣っていうんだ、佐々木結衣……後で、携帯の名前書き換えておこう。
 そもそも佐々木さん――結衣とは、今所属している復興チームで出会ったから、一時的な仲間だと思っていたから、自己紹介だって苗字だけだった。だから、今までも『佐々木さん』で済んでいたのよね。逆に佐々木さんは、右舷推進機関の主任をしていた私のことを知っていたみたいで、それで『先輩』って呼ばれているんだけど、元々の所属聞いたら全然関係なくて先輩ですらなかったの。

「私達二人は無事です。ただ、乗り物が……」
 視線を向けると、壁ぎはには既に私達が乗ってきた車があってて、既に原型を留めないほど真っ黒になっていた。どうやら、狼が発した熱のあおりで焼け焦げてしまったらしい。

「ところで、小鳥遊おじさんはなぜここに?」
「結衣からこっちに向かっていると連絡があってな、道中の魔物程度は駆除しておこうと思って、ちょっとだけ油断した。大量の魔物に囲まれて、油断した隙きに湾岸入り口を破壊していてな、気がついたら大量の魔物が地下道になだれ込んでいった次第さ。あれだったら機体になんて乗らずに、生身のまま戦えばよかったよ」
「生身って、意味がわからないのですけど。それより、佐々木さんが言っていた師匠って、小鳥遊さんなんですか? 何だか世界は狭いですね……」
 一瞬、生身で戦うってどういうことか気になったけれど、とりあえずちょっと狭いけれど、人型から車型に戻ったロボットの後部席に乗り込んで、レイジの研究室に佐々木さん――結衣と三人で向かうことになった。
 二人乗りの車だから当然狭かったけれど、華奢な結衣とスレンダーな私だったから、そんなに座席が狭いのは苦にはならなかったわ。
 それより血まみれなのを気にしたら、後で洗えばいいって笑ってくれたからちょっとだけ安心した。笑顔がイブキと重なって、ちょっと胸が苦しかったけど。

 でも何だか世間は狭いなって、しみじみと感じた。