六十二話 コーディアル・パープル


 篤紫が天井を見上げると、天井には染み一つなかった。さすが王族の別荘なだけあって、部屋の隅まで掃除が行き届いている感じだった。
 天井からつり下げられた明かりが、柔らかい光を放っていた。照明に魔石を使うのは、この世界も変わらないようだった。見たところ、使っているのは魔術に似た何かで、さすがに仕組みまでは分からなかった。

『ねえ、コーディアル・パープル? いつ私の城に来てくれるのかしら?』
 何だろう、全く意味が分からない。
 隣に座っているのは、昼間街を破壊しようとしていた、魔王ペアチフローウェルその人だった。机に片肘をついて、上機嫌で篤紫の顔を見つめている。

 向かい側に居る夏梛とリメンシャーレは、取りあえず経過を見守ることにしたようだ。お茶が入ったコップに両手を付けたまま、篤紫と魔王の会話に耳を傾けていた。

 篤紫はため息をつくと、視線を下ろして魔王に向き直った。

「おまえは、桃華じゃないのか?」
『モモカって誰よ。私はペアチフローウェル、魔王よ』
 桃華と同じ顔で、可愛らしく首を傾げる。
 正直、何が何だか理解が追いついていなかった。まさかその日のうちに、魔王自らが遊びに来るなんて思ってもいなかった。
 目の前に居るのは、桃華の姿形をした悪魔族の女性だった。そこに何一つとして敵意は感じられない。

『ところでコーディアル・パープル。そこの二人は誰? あなたの召使いかしら?』
「いや、二人は俺の家族だよ。娘の夏梛に、孫のリメンシャーレだ」
『ふーん、コーディアル・パープルは子持ちなのね。いいわ、それでも。
 あなたたち、一緒に付いて来てもいいわよ』
「だから待て、ちょっと待て。突然どうしてそういう話になるんだ」
 篤紫の制止に、魔王は口を尖らせた。
 可愛らしく『むーっ』などと唸っているけれど、正直言ってどう扱っていいのかが分からない。夏梛とリメンシャーレに顔を向けると、二人とも困ったように顔を横に振るだけだった。

「なあ、ペアチフローウェル。少し話が聞きたいんだけど……」
『ええいいわよ。私に何が聞きたいのかしら?』
 声をかけると、ふくれていた顔が一転、嬉しそうに首を傾げてきた。なんとも、やりづらい。

「まず、昼間……正確には昨日から時間を止めたのは、ペアチフロ……長いな。魔王でいいか?」
『え、嫌よ。イヤ。魔王って役職の名前だもの。短くするならペアチェがいいわ』
 ペアチフローウェルが、目をキラキラさせながら、癖なのか手で巻角に触っている。
 もう、その略し方だと、そのまんまなんだよな。たぶん桃華が脳内翻訳したものだ。桃と華を英語にしてみると……。

Peach Flower

 これを変読みして、ペアチフローウェルって読んでいるらしい。ここだけで、桃華がなぜ魔術を使えないのかが、よく分かると思う。


「それでペアチェ。昨日時間を止めたのは、ペアチェなのか?」
『いいえ、私じゃないわよ? 全然関係ないわよ。私だっていきなり時間が止まったからびっくりしたのよ。
 でもちょうど周りが止まっていたから、遊びに出かけたのよね。そうしたら、コーディアル・パープルがいたのよ。あなた強いでしょう?
 普段はじぃじがうるさくて外に出られないから、ほんと嬉しかったわ』
 つまり、あの停止した世界で篤紫たち以外に動けたのは、ペアチフローウェルだけだったと言うことか。

「それで最初、なんであの硬い喋り方だったんだ」
『えー、だって勇者とか来たときに、あの喋り方をするのが魔王国の決まりなのよ。だから仕方ないのよね。もう、魔王なんて面倒くさいだけだわ』
 ペアチフローウェルと話をしていると、何だか自分たちと変わらないような気がしてくる。喜怒哀楽があって、普通に素直な女の子。
 篤紫がイメージしたのは、ナナナシアでもあった人間族と魔族の無駄な確執。ただ、かつてのナナナシアと違って、ここでは人間達も普通に魔法を使っている。それでも人間にとって、魔族と魔王は敵対の対象のようだ。

「それで、なんでまたここに来たんだ?」
『途中まで行ったら、時間が動き出したのよ。そのまま国に帰ると、また缶詰だったから嫌だったのよね。
 それで戻ってきたら、コーディアル・パープルがこの家にいるじゃない。だから、ここに来ただけよ?』
 もう、何も言えなくなってきた。


「ねえ、おとうさん? 少しいいかな」
「ん? どうした夏梛?」
 それまで静かに様子を見ていた夏梛が、遠慮がちに口を挟んできた。
「あたし思うんだけど、勇者ってムカつかない?」
「あ、夏梛さん。私もそれ思っていました」
「お……おう、そうか?」
 隣のリメンシャーレも、何だか柄にも無くイライラしている様子だった。その二人の様子に篤紫が戸惑っていると、夏梛は椅子から立ち上がってペアチフローウェルに詰め寄った。

「ペアチェちゃん悪くないよ。絶対に被害者だって」
『えっえっ、何かしら? 確か夏梛だったわよね。そんなにプリプリしてどうしたのよ?』
「だって、いつも勇者が攻めてきていじめられてるんでしょ? 絶対に許せないよ」
「私も酷いと思います。私たちの国もですが、魔族って言うだけで、虐げられてきた歴史もありますから。絶対に負けるわけにはいきません」
 リメンシャーレも一緒になって、ペアチフローウェルの擁護を始めた。それには、逆にペアチフローウェルの方がたじたじになっている。ただ、途中から眉間に皺を寄せて首を傾げはじめる。

『えっ、待って。勇者なんて弱いわよ? いつもオハナシして、丁重に帰ってもらっていたもの。
 でもうちの国民はさすがに弱いから、勇者が来たら全員避難済みなのよ。だから、国には被害なんて何も無かったわよ』
「はっ? いじめられてないの?」
「えっ? 負けてはいないのですか?」
『うん? いじめられてないし、負けて帰るのはいつも勇者側よ?』
 何となく、認識の誤差がある気がする。
 お互いに顔を見合わせて大笑いを始めた三人に、篤紫は思わず苦笑いを浮かべていた。



 そのまま三人は、楽しそうに女子トークを始めた。
 篤紫はそっと厨房に行くと、棚からボウルを二つ取りだした。せっかく和やかに女子会をしているのだから、デザートがあってもいいと思う。

 材料は卵に牛乳、それから砂糖。簡単なプリンを作ろうかと考えた。
 つくづく魔法の世界が便利だと思うのが、生活魔法の火種や微風が、かなり使い勝手がいいことか。ずっと変身したままなので、火種すらもけっこうな火力になる。
 牛乳を火種で加熱しながら多めの砂糖を溶かし込む。もう一方のボウルで卵を攪拌して、そよ風の魔法で細かい泡を消した。二つを混ぜ合わせて、さらに攪拌してから、均一に混ざったところで取り出した容器に移し替えた。
 あとはお湯が沸騰する温度で温めて、固まれば完成かな。

 冷たい方が美味しいので、水流と微風を使って冷やしてから、リビングに向かった。
 案の定、女子同士でまだ楽しそうにおしゃべりしていた。
 できたてのプリンをみんなで食べながら、篤紫はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「ところで、なんで俺がコーディアル・パープルなんだ?」
『え? だって、コーディアル・パープルの頭の上に、ちゃんと書いてあるじゃない。本当は後ろにもっと長いんだけど、最初のが名前なのよね?』
 言われて夏梛とリメンシャーレの頭の上を見ても、当然ながら何も書かれていない。

 ただ、コーディアル・パープル自体には一応目処が付いている。篤紫を英語にすると、何となくそんな意味合いになったはずなのだけれど……。
 篤い紫。篤いの方をいい意味で英語訳すると、こんな感じになる。

Cordial Purple
 三人が首を傾げていると、ペアチフローウェルが『ああっ』と何かを思い出して、両手を叩いた。

『そう言えば勇者と魔王にしか見えないんだったわ。いつも普通に見えていたから、大事なことを忘れていたみたい』
 いわゆる、管理者権限とかその辺りと一緒らしい。
 ただ人物の名前が分かる程度なので、それ程意味がないようだ。たぶん勇者が来たときに名乗る必要がない程度の権能だと思う。

「ちなみに、俺の名前は篤紫な」
『あ、名前が変わったわ。篤紫って言うのね。それでいつお城に来るの?』

 ああ、思い出した。
 肝心な話をしていないじゃないか。