七十二話 アーデンハイム王国の暗雲


 篤紫たちがアーデンハイム王国の国境門まで行くと、なにやら門の辺りが騒がしくなっていた。
 道中の魔物は、行きと変わらなかった。むしろ、ゆっくりと魔物達が平和になった魔物の巣窟に移動しているようにも感じられた。

「ねえおとうさん? あの人達、何かこっち睨んでない?」
 門の前では、武装した集団がじっとこちらの様子を伺っていた。その中に、出がけに見送ってくれた門番はいないようだった。

「そこの五人! そこで止まれ。それ以上近づいてくるんじゃない!」
 門の上、壁の上にある通路にもたくさん人が居て、全員が弓を構えていた。声はその壁の上から聞こえている。声を拡声しているようだ。
 言われたとおり歩みを止めて、篤紫は首を傾げた。

「何だろう、俺たちここの辺境伯領では何もしていなかったはずだぞ?」
「ペアチェちゃんも、おとうさんの変身魔道具ちゃんと付けてるんだよね」
『ええもちろん付けてるわ。さすがにこれを付けずに、街に入ろうなんて思わないわよ』
 このためにわざわざ、ヒスイにも子供用の服を着せている。帽子もかぶっているから、ぱっと見は分からないはずだ。もっとも、本人は可愛い服が着られたことが嬉しかったのか、すこぶるご機嫌だ。

「きさまらが魔王国の回し者だというのはわかっている! 大人しく武器を捨てて投降せよ。さもなくば、敵と見なし攻撃をかける!」
 キリキリと、一斉に弓を引く音が聞こえる。
 どうも状況は最悪に近いようだ。あっという間に一触即発の事態になっている。

「どうなっているか分からないけど、さすがに一旦退散だな……」
「でも、動いたら攻撃してくるんじゃないの?」
「たぶんな。でも何とかして王都まで行く必要がある、何だか嫌な予感がする」
『私が人間を見誤っていたということね。この程度の攻撃など簡単に吹き飛ばせるけど、篤紫はそんな結末なんて望んでいないわよね』
「ああ。もちろん、無駄な戦いは望んでいない。
 土壁を立ち上げて、一気に後ろに引こう。土壁は夏梛、頼めるか?」
「うん、任せといて」

 夏梛が土壁を立ち上げるのと、壁の上から弓を射るのはほぼ同時だった。もとより、投降しても生かしておくつもりがなかったようだ。
 土壁は高さ五メートルにも及んだ。後ろに振り返って、元来た道を一気にかけ出す。

 その後ろで、土壁が爆発した。
 高速の矢が次々と篤紫たちに降り注ぐ。土壁程度では壁にすらならなかったと言うことか。
 焦る。焦ったところで、篤紫には範囲魔法も範囲攻撃も持ち合わせていない。

 篤紫の左肩に矢が突き刺さり、思わずよろめいた。視界の端で、足に矢を受けたリメンシャーレがバランスを崩して倒れていくのが見えた。慌てて向きを変えて駆け寄って、リメンシャーレを抱き上げた。
 夏梛が走りながら、後方に爆炎魔法を展開する。炎に包まれて、矢が一気に焼滅する。

「おとうさんっ!」
「止まるな、駆け抜けるんだ」
 第二波の矢の雨を、ペアチフローウェルが黒い爆炎で焼き尽くす。ただの弓矢だと思って甘く見ていた。次々に飛来する矢を、夏梛とペアチフローウェルが交互に焼き尽くしながら、街道をただひたすら駆け抜けた。最後の矢が数メートル後ろの地面に刺さっていた。
 体感で十キロくらいは駆けただろうか、気がつけば魔物の巣窟と書かれた看板まで辿り着いていた。正直、意味が分からなかった。

 念のため、看板にしたがって山の間、峡谷になっている場所を抜けて、魔王国側に抜けたところで、やっと全員が足を止めた。
 篤紫はリメンシャーレをそっと地面に下ろして、まず自分の肩に刺さった矢を抜いた。すかさずペアチフローウェルが回復魔法を使う。肩が温かくなって傷が塞がったのか、痛みが一気に引いていった。

「篤紫さん、ごめんなさい……」
「いや、いいんだ。俺も油断していた」
 リメンシャーレのふくらはぎに刺さっている矢を、ゆっくりと引き抜いていく。返しがびっしりと付いた矢は、痛々しいほどにふくらはぎの肉を抉っていった。
 矢が抜けたところで、ペアチフローウェルがすかさず回復魔法をかけた。緑色の光が切り裂けたリメンシャーレのふくらはぎを包み込んだ。
 傷は、まるで逆再生するかのように塞がっていき、あっという間に綺麗な肌に戻った。

「ペアチェさん、ありがとうございます」
「俺もだな、ペアチェ。肩を治してくれてありがとう」
『いいわよ。当たり前のことをしただけよ』
 正直、ペアチフローウェルが回復魔法を使えたことで、本当に助かった。夏梛にしてもリメンシャーレにしても、治癒魔法しか使えない。自然治癒力を使って傷を治す治癒魔法だと、出来て止血まで。抉れた肉まではすぐに治すことが出来ない。
 三人が安堵の息を漏らす中、夏梛が一人だけしゃがみ込んで沈んでいた。
 ヒスイが夏梛の顔を覗き込んで、頭を撫でている。

「あたしの作った土壁……矢を防ぐことが出来なかった……」
「いや待て夏梛、それは違うぞ」
 篤紫が夏梛の前にしゃがむと、ヒスイが首を傾げて篤紫の横に移動した。
 軽く頭に手を乗せると、夏梛を立たせた。

「俺が今着ているコートは、変身の魔道具で作り出した物だ。それなのに矢はコートを突き破って肩に突き刺さった。
 これがどういう状況なのか、夏梛には分かるよな?」
 その場で後ろを向いて、夏梛にコートの穴を確認してもらう。そのまま、虹色魔道ペンに魔力を流して変身を解除した後、再び変身した。コートの肩に空いていた穴が、一瞬にしてなくなった。

「そう言えば、変身魔道具で変身すると、どんな攻撃も通らなくなるんじゃ……」
「見てみれば分かるけれど、矢は木製で先端に矢尻が付いたタイプだ。だから、爆炎魔法で焼き切れたんだと思う。
 ただ、その程度の矢が俺の肩に突き刺さり、シャーレの足にも刺さった」
「そっか、ここは世界の法則が違うってことなんだ」
「俺も完全に想定外だったけれど、あくまでも桃華の神晶石の世界なんだ。だから俺も勘違いしていた。
 あの攻撃なら、スタンピードが発生しても魔物を殲滅して国を守ることが出来る。要はそういう世界だということだよ」

 そもそも回復魔法がある時点で、色々と違いに気がつくべきだった。違う世界に来たんだから、当然この世界の影響を受けて、自分たちもある程度は影響を受けると考えるべきだった。

「でも、もうアーデンハイム王国には入れませんね……」
「大丈夫だ。先に魔王国に行くんだ。急がないと、アーデンハイム王国には時間がない」
「えっ、行く順番が逆じゃん」
『それに、私が魔王国に入ると、魔王国を出られなくなるわよ』
 篤紫がヒスイに目配せすると、ヒスイはコクコクと頷いた。

「馬車を使えば、その法則は抜けられる。ヒスイも問題ないって言っている。
 大丈夫、何とかなる。今はとにかく急ごう」
 篤紫がリメンシャーレを背負って、ペアチフローウェルが夏梛を抱きかかえて飛び上がったところで、篤はふと思い出した。

「なあ、ペアチェ。そういえばこの間の闇空間みたいなのって、俺たちは通ること出来ないのか?」
『えっ、普通に通れるわよ』
「えっと……使ってもらってもいいかな……」
『そっか、わざわざ飛んでいかなくても、魔王国までいけるわね……』



 ペアチフローウェルが自分の前に手をかざすと、黒い闇の塊が現れた。おもむろに手を突っ込むと、また角を引っ張り出した。
『痛い、痛いですぞ。女王様、お願いですから角を引っ張るのはやめてくだされ』
 相変わらずクランジェの扱いが雑だ。闇から羊の顔が出てきた。似たようなコメントを前も聞いた気がする。

『篤紫たちと今からそっちに行くけれど、準備はできているかしら?』
『はっ? 今からでございますか?』
 相変わらずのやりとりに、篤紫たちが苦笑いを浮かべる。

『陸路が時間かかるから、このダークゲートで行こうと思うの。じぃじのところが目印に一番いいのよね』
『……そ、そうでございますか。もちろん、こちらはかまいませんが。
 国民を含めて、全て準備はできております』
『わかったわ、今からそっちに行くわね』
 言うが否や、クランジェの頭を無造作に押し込んでいる。あっという間にクランジェの顔が闇に沈んでいった。何というか、クランジェ頑張れ。

 ペアチフローウェルは、ダークゲートに足を乗せて、踏みつける要領でグッと広げた。丸かったダークゲートが人が立っては入れるくらいまで広がった。そして手を差しだしてきた。
『さあ、魔王国に行くわよ』
 夏梛が、リメンシャーレが、ペアチフローウェルの手を掴みながらダークゲートをくぐっていった。篤紫を見上げて頷いたヒスイも、その後に続いていった。

『さあ、篤紫も行くわよ』
「……ああ、たのむ」
 篤紫は差し出されたペアチフローウェルの手を握ると、意を決してダークゲートをくぐった。

 いざ、魔王国へ――。