ep9 わたしはまた大切な人を失った。ただ無力だった


 しばらく平穏な日々が続いた。
 林檎を収穫して、街に売りに出かける。メルフェレアーナとのお出かけが、とても幸せだった。
 日本にいた頃、麗奈はカギっ子だった。

 父親は警察官で、ほとんど家にいなかった。
 帰ってくる時も、麗奈が寝てから帰ってきて、起きる前にはいなくなっていたっけ。重要なポストに就いているのは知っていたけど。
 だから、寂しいとは言わなかった。言えなかった。
 母親は、会社を経営していた。
 休みもほとんど無くて、小さい頃から自分で食事を作っていたっけ。不満は無かった、でも愛情は感じていなかった。
 たまに顔を見ても、それが母親だと思っていなかった。

 だから、メルフェレアーナと一緒に過ごす日々は、本当に幸せだった。麗奈はメルフェレアーナに自分の理想とする母親像を重ねていた。
 一緒に果樹園で林檎をもぎ、街まで売りに出かける。一緒に料理を作って、隣のベッドでお休みの挨拶をする。そんな当たり前の日常が過ごせていた。
 もう少しすると、蜜柑の収穫が始まると言っていた。

 でも、麗奈は思う。
 この今の幸せが怖い。ずっと欲しかった時間だけれど、あの日、最初に街に出かけてからずっと胸の内に引っかかっている。
 たくさんの人の前で魔法を使っちゃった。多くの人が見ている前で、ワンドを手放して魔法を使っていたと思う。みんなが見ていたはず。魔族は狙われると言っていたのに。

「どうしたの、麗奈ちゃん? 疲れたのなら、一休みしようかしら」
「ごめんなさい、考え事をしていたの」
「まあまあ……それなら逆にすごいわね。もう既に、無意識のうちに魔法の制御ができているのね」
 りんご園で最後の収穫を終えて、いつも通り魔法の練習をしていた。
 魔法で風を操作して、落ちているたくさんの葉っぱを浮かせて色々な絵柄を作る。五秒くらいそのまま維持して、また違う絵柄を作る。
 物思いにふけて操作していたら、平面だったはずの絵柄が、いつの間にか立体になっていた。

 思わず見とれて目を瞬かせると、葉っぱがばらけて地面に落ちていった。
 あ、しまった。わたしが操作していたんだった……。

「麗奈ちゃんはこの間、街中で魔法を使ったことを悩んでいるのね」
「えっ……」
 思わず、横にいるメルフェレアーナの方に顔を向けていた。いつも通り優しい笑顔で、手を伸ばしてきて麗奈の頭を撫でてきた。
 麗奈は何か言おうと口を開きかけて、そのまま口をつぐんで俯いた。
 やっぱり、問題だったんだ……。

「魔法はね、私たち魔族にとっては、そもそもが体の一部なのよ。
 魔力を持っているのなら、魔法を使うと言うことは、生きるのに呼吸をすることと同じ。本当は魔法を使わないようにする方が難しいのよ。
 麗奈ちゃんだって、意識せずに呼吸を止めることはできないでしょう?」
 メルフェレアーナの言葉に一瞬考えて、当たり前のことを言われていることに気づいた。あわてて顔を上げると、首を縦に振る。
 やばい、はずかしい。

「だから魔法は自然体で使えることが、ごく当たり前のことなのよ。さっきみたいに、意識せずに魔法を使えるのが理想なのよ。
 ただ、闇雲に魔法を使っていると、周りに迷惑をかけてしまうわ。だからこそ今よりももっと、正しく魔法を使いこなす必要があるのよ」
「魔法……でも、私たちは魔法を使ったら狙われちゃうんじゃないの……?」
「大丈夫。あなたは、それすらも越えられるわ。自信を持ちなさい」
 わからないよ。
 メルフェレアーナの本意が読めないよ。

 確かに自分でも分かる。わたしの中にある魔力は桁違い。膨大な量の魔力が使い切れずに眠っている。
 練習でも継続して魔法を使っていると、メルフェレアーナの方が先に魔力が無くなっていた。魔力制御をしながら大きな魔法を使うには、もうメルフェレアーナには魔力が足りないんだって。
 でも魔力が無くなっても気絶とかしないし、一時間くらいで回復するから、生活するのには問題にならないって言っていた。

 だからこそかな、メルフェレアーナは人間社会に混じっても生きていけるように、エルフの誇りでもある耳を削ぎ、普段から魔法を一切使っていない。
 魔力を使うのは、ここの家を隠匿するための魔道具に魔力を注ぐだけだって。

 それなのに、わたしが魔法を使いこなせるように一生懸命教えてくれている。

 何でなんだろう。
 どうしてわたしには、魔法を使うように勧めてくるんだろう……。

 麗奈が物思いにふけっていると、横に腰掛けていたメルフェレアーナが軒先から庭に下りた。数歩歩いたところで振り返る。
「私たち魔族はね。自身の最大魔力の減少で、自分たちの寿命が分かるのよ。魔力は最後の五十年で、全盛期の十分の一まで落ち込むのよ。
 私の魔力はもう既に十分の一よ。だからあなたを見たときに、最後のお勤めだと思ったのよ」
 何だろう、胸が苦しい。

「私はね、昔は人間族と戦っていたのよ。
 魔族の主権を獲るために全てを背負って、先頭に立ってみんなを引っ張って戦っていた。でも、人間達に比べて絶対的に数が少ない魔族には、人間に勝つことなんて、そもそも無理なことだったのよ。
 徐々に仲間が減っていって、最後には私と私の部族だけになった」
「ずっと、人間と戦っていたの……?」
「かれこれ三千年かしら。撤退したのはつい最近……結果的に老いには勝てなかったわ。気づいたら私にはもう、戦うための時間すら残っていなかった。
 だから、あなたは私の希望なのよ。魔力だけ見ても私の全盛期よりも遙かにたくさんの魔力を持っているわ。
 それになにより、あなたは魔族。どうやっても人間族との対立を避けて通れないわ。
 ……ごめんなさい、話が暗くなっちゃったわね」

 そう言って笑ったメルフェレアーナの顔は、とても儚くて、すぐにでも消えてしまいそうに弱々しかった。

 人間は、やっぱり愚かだと思う。
 私の元いた世界でも、紛争地帯では同じ人間同士で争い合っていた。人類の歴史は、争いの歴史。切っても切り離せない。
 たまたまわたしの住んでいた日本では、平和な環境が整っていただけ……。
 そしてこの世界では、人間の欲望の矛先が魔族に向かっているだけ。やっぱり人間の持つ根本的な悪意は、全く変わっていないんだと思う。

 ただそうはいっても、人間族の全てが悪だとは思えない。

「わかった。レアーナさんの技術の全てを、わたしに教えてください」
「ええ。私の思い、しっかり継いでね……」
 歩み寄ってきたメルフェレアーナを、縁側の上でそっと抱きしめた。初めて目の前に来たメルフェレアーナの頭を、麗奈はそっと撫でた。



 今年収穫した最後の林檎を、街まで売りに行ってきた。郊外は魔獣の生息域が多いため、わざわざ果樹園をやっている人がいない。
 帰り際の草むらでホーンラビットを見かけたので、メルフェレアーナが投げナイフで仕留めていた。街道脇だったので魔法を使っていない。こういう所でもメルフェレアーナの地道な努力が見て取れた。
 前に果樹園脇でホーンラビットが出たときは、確か氷の魔法で倒していたと思う。

「おかしいわね……」
 逆さに持って血抜きを終えたホーンラビットを袋に入れながら、メルフェレアーナが首を傾げた。
 こみ上げてくる吐き気を押さえながら、側で様子を横で見ていた麗奈は、その何気ない呟きにメルフェレアーナの顔をまじまじと見つめていた。

「うちにクウォン、いるでしょう? あの子は強力な魔獣で、家から街の門までを縄張りにして貰っているの。家の近くは、林檎園の端まで。だから林檎園の近所なら一角兎が出てきてもおかしくないのよ。
 だから逆に、ここに角兎が出ることは絶対に無いはずなのよ」
「えっ……つまり、クウォンちゃんに何かあった?」
「そうとしか考えられないわ。嫌な予感がする。周りの森がやけに騒がしいわ。
 ……麗奈ちゃん、急いで家に帰るわよ」
 はやる気持ちを抑えながら、麗奈とメルフェレアーナは街道を走り出した。


「クーちゃん! あなたたち、何をしているの。どういうつもりよ!」
 家の前では、血みどろのクウォンが倒れていた。体には大量のナイフが刺さっていて、辺りにはたくさんの血が飛び散っていて、激しい戦いがあったことを物語っていた。
 銀髪の男が、ナイフを構えた状態で静止し、こっちに顔だけ振り返った。クウォンの横では、金髪の大男が大きな剣を振り上げているところだった。
 メルフェレアーナの叫び声に、金髪の大男は剣を振り上げた体勢のまま止まった。

「何ってあんた、見ての通りの森の調査依頼に来ただけだぞ。この辺を支配している魔獣がいたから、討伐しているだけじゃねーか」
「ふざけないで。白狼はちゃんとギルドに登録してあるはずよ。それに無闇に人は襲わないはず――」
「知らねーよ。西の森を開拓するのに、危険が無いか調べていただけだ。
 先に襲ってきたのは、その魔獣だぜ。正当防衛さ」
 銀髪の男がニヤニヤと笑いながら、ナイフをもう一本、もう既に動けないクウォンに投げつけた。クウォンの体がビクンと跳ね上がる。
 金髪の大男が剣を地面に刺し、顎に手を当てて眉をひそめた。

「そう言えば、魔族のレジスタンスに白狼を引き連れたエルフがいたと、聞いたことがありますね。
それに、魔族保護団体の方々が、黒髪だったはずですが……はて」
「くっ……」
 金髪の大男の鋭い眼光が、麗奈とメルフェレアーナをじっと見つめてくる。

「それにそっちの黒髪、確か以前に草原にいたエルフの集落にいましたね……」
「はあ? んなわけ……あるのか。確かに死体が消えてた気がするな」
 銀髪の男が視界から忽然と消えた。
 次の瞬間、胸元に強烈な痛みを感じて、ゆっくりと見下ろすと麗奈の胸からナイフの刃先が飛び出ていた。息を吐き出そうとして、口から血が溢れ出す。

「ああ……この刺し具合は、たぶん同じ人間だわ」
「れ、麗奈ちゃんんんっっ!」
 メルフェレアーナがとっさに、麗奈の後ろにいた銀髪の男に向かって、氷の魔法を放った。麗奈の後ろから、気配が消える。
 麗奈は崩れるように膝をついて、そのまま横向きに倒れた。視界の先で、金髪の大男の隣に銀髪の男が戻ったのが分かった。
「ほう、やはり魔族。エルフの姫君でしたか……」

 だめ、レアーナさん。早く逃げてっ!

「ロドリゲスぅぅ! ラディウスぅぅ! 絶対に許さん――」
 五属性全ての魔法を展開しながら、駆けだしたメルフェレアーナの背中から、剣の切っ先が生えてきた。発動待ちだった魔法が、一気に霧散していった。

 メルフェレアーナが崩れ落ちる姿を視界に収めたまま、麗奈の意識は再び遠くなっていった。