29話 時間停止


 桃華は色が反転した世界を必死で駆けていた。
 両腕に抱きかかえた夏梛とカレラちゃんを、強く抱きしめる。

 シズカさんに、絶対に託さなきゃ。
 時間が止まっている今は、まだ動ける。でも、時間が戻った時におそらくわたし私の体に何かが起きる。

『 加速と肉体強化を経ずして時間を止めた代償は、必ず返ってくるから 』
 魔女っ娘が言っていた言葉。
 この全てが止まっている時間の中で自由に動けているのだから、間違いないのだと思う。

 さっき、シズカさんが曲がった角を、スピードを下げてゆっくり曲がる。
 時間が止まった世界で、生きているものも全てモニュメントのように停止している。
 もしぶつかったら、どうなるのか分からない。

 案の定、ベビーカーを押した女性がいた。
 当たらないように避けながら、通りを駆ける。

『魔法による時間停止は、魔術の時間停止の100倍魔力を消費する。
 あなたの魔力がどのくらいあるか知らないけど、急いだ方がいいと思うよ』

 去り際に聞こえた魔女っ娘言葉が、脳裏をよぎる。
 そういえば、名前を聞きそびれちゃった。

 二つ角を曲がったところで、道が分からなくなった。
 焦る。未だに、声が出ない。
 このときほど、自分の方向音痴が恨めしく思ったことはなかった。



『困ったことが起きたら、我に電話するがよい』
 オルフェナの言葉を思い出した。
 慌てて、近くにあったベンチに夏梛とカレラちゃんをそっと座らせる。
 腰元のスマートフォンを縋る気持ちでたぐり寄せた。

 スマートフォンは――動いている!
 オルフェナを呼び出す。

『う――む――。も――も――か――か――。
 ど――う――し――た――の――だ――?』
 もどかしい。ひどく間延びした声が耳元から聞こえる。
 しまった、私いま声が出ない。

『ま――っ――て――お――れ――。
 ……。
 ……………。

 待たせたな。
 時間停止か。その分だと声も出ないのだな』

 目から涙が溢れてきた。
 チートなオルフェナがありがたい。時間を止めることができても、原理を知らない自分では何もできなかった。

『その分だと、シズカ殿を探しておるのだな?
 少し待て、地図を確認する。

 その場所からだと、尖塔が見える方向に進んで、二つ目の大通りを左だな。
 そこにレイドス殿と一緒にいるはずだ。
 魔力が恐ろしい勢いで減っておるな……もってあと5分か。
 急ぐがいい』

 スマートフォンを手放して、夏梛とカレラちゃんを抱え上げる。
 はやる気持ちを抑えて、オルフェナに言われた方向へ駆け出した。




 既に時間感覚は分からない。
 おそらく、ぎりぎりのような気がする。

『時間を戻すときは、しっかりと停止して、その二人をしっかり抱きしめてて。あなたの思いが二人を守る力になるよ』
 魔女っ娘は、確かこう言っていた。

 シズカさんとレイドスさんが見えた。
 ちょうどキャリーバッグを受け渡ししているところだった。

 二人の横に立つ。
 夏梛とカレラちゃんを強く抱きしめる。

 お願い、この二人を絶対に守って。
 時間、戻って……。


 視界が真っ赤に染まる。
 体中の細胞が崩壊して、全身から血が噴き出すのが分かる。
 恐ろしいほどの激痛にとっさに声も出ない。

 桃華は夏梛とカレラちゃんを抱えたまま、桃華はその場に膝をついた。

 世界が、色を取り戻した――――。






 シズカは身体強化をちょっとだけかけて、路地を走っていた。
 モモカさんに声をかけて、急いで駆け出したのには理由があった。

 レイドス・バルザック。
 40年前、当時のコーフザイア帝国もスワーレイド湖畔に進軍してきていた。
 ちょうど娘の出産で里帰りしていた私は、迷わず戦うことを選んだ。
 そのときの右腕が、レイドスだ。

 自分より年上のレイドスが、なぜ自分に着いてきたかは分からない。
 でも、実際にコーフザイア帝国軍の万の勢力を、自分を含めて20にも満たない人数で撃破したのだから、彼の判断は間違っていなかったのかもしれない。

 雷撃の突撃姫。
 当時、呼ばれていた二つ名も、今では懐かしい。
 レイドスも似たような雷使いだった。ウマが合ったのかもしれない。

 そんな彼の性格は、良くも悪くも几帳面だ。
 間違いなく忘れ物を持ってきてくれているはず。彼自身が、今回の一連の事件で、かなり予定を前倒ししていることは知っている。

 この後も、シーオマツモ王国の各地をまわって、生地や素材を買い集めるはずだ。時間が足りない。


 でも自分の足なら、一分もかからずに往復できる。




 交差点を曲がると、ちょうどレイドスが店から出てくるところだった。
 モモカさんのキャリーバッグを大事に脇に抱えている。

「おや、タナカ隊長。わざわざ取りに戻られたのですか?
 その雷撃の突撃姫の姿、久しぶりに見ましたよ」
 雷をほとばしらせている自分の姿を見て、レイドスが嬉しそうに笑った。

「ごめんなさい、忙しいのに。
 モモカさんのキャリーバッグ届けてくれようとしてたのね。
 ありがとう」
「いいえ、ちょうど次の取引先と向かう方向が一緒でしたから、問題ありませんよ。
 同盟国とはいえ、人間族は油断できませんからね。
 ここは魔術が盛況している国です。時間が経つと、書き換えられる心配もありますからね」
 そう言いながら、レイドスはキャリーバッグをシズカの前に置いた。

「ええ、確かに――」

 空間が揺らいだ。

 爆発的な魔力が遠くで迸るのを感じた。

 魔力感知を持っていなければ分からない感覚。

 レイドスの眉間にもしわが寄った。
 これは……もしかして、モモカさん?



「一瞬にしてものすごい魔力を感じましたが……」
「たぶん、モモカさんよ」

 次の瞬間、二人の横にカレラとカナちゃんを抱えたモモカさんが顕れた。
 モモカさんの体全体にひびが入り、全身から血を吹き出して地面に膝をついた。
 想定外の事態に、すぐに動けなかった。

 買ったばかりの洋服が、一瞬にして真っ赤に染まる。
 飛び散った血が、道路端に積もった雪を真っ赤に染めた。

「お、おかあさんっ――――!」
「えっ、モモカさん!」
「え。ええっ?」
「モモカ殿――!」

 レイドスが雷足を使って、モモカさんの裏に回って支える。
 シズカも、悲鳴を上げるカレラとカナちゃんを抱きとめた。

 周りが騒然となる。
 悲鳴を上げる者、息をのむ者。
 悲壮な空気が辺りを包み込んだ。


 全く、何が起きたのか分からなかった。

 気づいたら、モモカさんがそばにいて、崩壊していくところだった。

「あ……声が、戻ってるわ……ね。
 シズカさん……よかった……二人をよろしくね。

 それから、夏梛、篤紫さん……ごめんなさい」
 それだけ言うと、モモカさんが意識を手放した。

「なんで、なんでなの? おかあさん! いやあああぁぁぁっ!」
「目を、離したのなんて……一瞬よ。
 まだ30秒も経っていないのに……嘘、よね――」
 絶望に染まる。



 モモカさんの体が輝き始めた。
 レイドスの腕の中で輝きを増した光が、粒となって空に舞い上がる。
 飛び散った血も、光の粒になって一緒に舞い上がる。


 瞬く間だった。
 レイドスがモモカさんを抱えていた姿のまま固まっていた。
 悲鳴を上げていたカナちゃんも、両手を口に当てて涙を流していたカレラも。
 そして、自責の念に駆られていたシズカでさえ、思考を放棄して固まった。

 そこには、元々何もなかったかのように、血の跡すら消えていた。

 辺りが静まりかえる……。





 と、突然。夏梛のスマートフォンが着信音を奏でだした。
 放心していた夏梛が慌ててスマートフォンを取ろうとして、数回、路面に手を滑らして落とした。

「えっ、オルフからの着信……?」
 オルフェナからの着信だった。
 なぜこのタイミング……? おそるおそる、通話のアイコンを押す。

『夏梛だな。
 桃華は生きておるから、心配せずともよいぞ』
 優しい、いつものオルフェナの声が聞こえた。

 目から、涙が滝のようにこぼれ落ちてくる。
 横で聞こえたのだろう、シズカさんとカレラちゃんがそっと抱きかかえてきた。
 二人とも、涙を流している。

『先ほど、余計なことを言ってしまったと、桃華が心配しておる。
 今は、五体満足で篤紫に抱きついて、号泣しておるから、夏梛も安心するがいい。

 これから宿に戻る。
 くれぐれも夕食の時間には遅れぬようにな』

 言うだけ言うと、オルフェナは通話を切断した。

 涙を流して抱き合う三人を、レイドスさんが優しいまなざしで見つめていた。