4話 湖畔の王国


 雪の中、一時間かけてたどり着いた街は、高さ四メートル程ある壁に囲まれていた。

「ね、ねぇ。篤紫さん……」
「ああ、この風景は、たぶん知っている――」
 門をくぐると、目の前に既視感がある湖が広がっていた。
 いや、確実にこの湖は見たことがある……諏訪湖じゃないだろうか。
 周りの風景から察するに北にある門から入ったのだろう。門が若干高台にあるため、全体を見渡すことができた。


 壁は湖を中心に山際を一周するように築かれ、湖畔の北側にこぢんまりとした城が建っている。見える範囲で、南と西、東側に門が確認できる。
 この壁の中が国の範囲なのだろう。壁の外側は深い森に囲まれているようだ。

 諏訪湖周辺の街には過去に数回来ただけだが、周りを取り囲む山々の形と、西と南に見える山の切れ目は記憶の物と同じだった。
 湖の北を中心に街並みが広がり、南側の一帯には畑や田んぼが広がっていた。土地の使い方はほとんど一緒のようだ。

 建物は平屋建ての木造建築と言ったところか。記憶にある現代風の日本家屋に似ている。
 ただ電柱は一切無く、見知った日本の土地だが、ここは既に日本ではないようだった。


「申し訳ありませんが、こちらで入国申請をお願いします」
「わかりました」
 案内してくれたユリネさんに通されたのは、門の脇にある衛兵の詰め所だった。

 木をベースにした洋風建築。日本で馴染みのある様式の建物だ。
 内装も、よく知った建物……田舎の公民館と同じような作りの一室に案内された。
 机を挟んだ対面に、案内してくれたユリネさんが座る。
 薦められて篤紫が座ると、桃華と夏梛も同じように椅子に腰掛けた。

「ヘルウルフに襲われるとは、災難でしたね。もとは山の上の方にいる魔獣なのですが、最近下の方まで下りてきている様なのです。
 馬車と馬は残念でしたが、皆様が無事でよかったです。

 ところで少しお訊きしたいのですが……北の街道にいたようですが、ウエトー・コモザク共和国から来られたのでしょうか?」
 初っぱなから意味が分からない。
 そもそも、そんな地名は聞いたこともなかった。ただ、何となく上田から小諸辺りの地名が混じっているような気がする。


 今更ながら、朝からの行動を思い返してみる。
 なぜ自分たちは、諏訪湖から見て北側から来たのだろうか。さらに佐久から諏訪に続く和田峠を、越えてきたような感じだ。
 和田峠には新和田トンネルがあるはずなのに、なぜ通ってこなかったのだろう?

 夢の国がある千葉に行くには、中央自動車道を走っていなければならない。
 しかし大雪で降りたのは、確か佐久インター。上信越自動車道だった。

 本来走らないはずの高速道路から、下りるはずのない場所に下りた。
 あの時点で、帰るために、峠を越えなければならない。

 しかし朝、乗ったのは飯田インター、ずっと中央自動車道を走っていたはずだ。それなのにいつのまにか、何の違和感も無く上信越道を走っていたことになる。

 おかしい。何かが間違っている。

 とはいえ午前中、高速を下りた佐久の街並みは電柱が立ち並ぶ日本の物。車も普通に走っていた。
 何の違和感も無かったが……実は問題だらけだったのか…。
 篤紫は頭を抱えた。



「……あの…大丈夫ですか?」
 篤紫の突然の行動に、ユリネさんに心配されてしまう。
 とりあえず現状を把握しなくては。

「すみません、少し考え事をしていました。
 出自で言えば、飯田でしょうか。
 ここからだと、西の門を抜けた先の川沿いをずっと南下したところにある……国に住んでいます」
 さっき入った北の門から、まっすぐ西の門が見えていた。
 頭の中に地理を思い浮かべながら答える。

「イイダ、ですか?
 西の門からは確かに川沿いに、南に向かって開けた土地はありますが、そこには国は無かったはずです。
 街道もコマイナ都市遺跡のダンジョンまでしか整備されていませんよ」

 まじか……。
 色々突っ込みどころはある。
 ここはいわゆる並行世界的な何かなのだろうか。

 そもそもダンジョンなんて、もう異世界そのものじゃないか……。
 何が何だか分からなくなってきた。

「……篤紫さん、どういうことなのかしら?
 さっき見えた湖は、諏訪湖じゃないの……かしら」
「おとうさん……」
 桃華と夏梛も不安げに見てくる。

「たぶん、ここは日本じゃない――」
 篤紫は、呻くようにつぶやいた。



「では、ウエトー・コモザク共和国とは関係がないと言うことですか?
 たまたま、北の街道にいた、と言うことなのですね。

 そういうことであれば、ソウルメモリーをこちらに翳していただければ、入国手続きが終わります」
 ユリネさんが、黒い石版のような物を机の上に置いた。
 縦幅50センチ、横幅は30センチくらいか……きれいに磨かれた黒曜石に見える。

「あの……ソウルメモリーとはなんでしょう?」
 この際、分からないことは聞いておかないとまずい。
 言葉の響きからして、魂か何かに紐付けされた身分証明書なのだろうか?


「大丈夫ですよ。人間族の国によっては、ソウルメモリーを使用していない国もありますから。
 それでは、ざっとご説明しますね。
 登録自体は、この後簡単にできますので、とりあえず……」

 そう言いながら、ユリネさんは自分の腰のあたりから、何かを取り出した。それを、先ほどの石版の隣に置いた。
 机の上には、もともと置かれていた大きな石版と、手のひらサイズの石版が並べられていた。


「こちらの小さい物が、私のソウルメモリー媒体になります。
 そして、こちらの大きい物が、ソウルタブレット。ソウルメモリーから持ち主の情報を読み取るための媒体です。
 このように――」
 説明しながら、小さい石版を大きな石版の端に乗せた。

「上に重ねることで、ソウルメモリーから、持ち主の簡単なステータスを表示させることができます。
 個人が証明できるので、このようにソウルメモリーは、身分証明書にもなるのです」
 大きい石版に、光る文字が浮かび上がった。


名前:ユリネ・タナカ
種族:魔族・マナヒューマン
出身:スワーレイド湖国
住所:スワーレイド湖国、23番街4-55
記述:特になし


 これは……いわゆるマイナンバーと同じものですか。
 ユリネさんの住んでいるこの国、語呂から分かる。もろに諏訪湖なんだね……そんな気はしてた。


「他の国でも大抵、入国審査にはソウルメモリーが使用されているようですよ。史実によると、一万年前に作られたシステムのようです。

 もっとも、それぞれの国から出ると、魔獣によって命が危険にさらされますから、ほとんど国外に出ない人間族は、そもそもが持っていないケースが多いようですが。
 ただそんな人間族の国でも、出国の際には、ソウルメモリー取得の案内はされるらしいですよ」
 今度は小さい石版を、篤紫たちに見えるように掲げた。

「そして、こちらのソウルメモリーですが、ご自分の数値化された能力値や、職業の適性などを見ることができます。
 もちろん、他者には開示しない限り見られることはないので、安心してくださいね」
 確かに、ソウルタブレットと説明があった石版には、最低限の情報しか表示されていなかったな。
 それこそ、マイナンバーカードじゃないか。

「そしてソウルメモリーの登録ですが、まずはソウルメモリー媒体にする素材を用意します。
 素材は、この辺でしたら、周辺の梁から出土する、黒曜石を媒体にするケースが多いですね。
 どんな素材でも、ソウルメモリー媒体になると、不壊になる……つまり壊れなくなります。そのため、人によっては高ランクの魔獣の皮や骨を使ったり、高貴な方などは宝石や貴金属を媒体にしたりするようですよ」


 ユリネさん、黒曜石は一応、宝石なのですが……。
 
 特に素材に制限が無いようなので、3人とも持っていたスマートフォンを素材に利用することにした。
 ユリネさんが前にかざした黒曜石版に、篤紫は同じようにスマートフォンをかざして、後ろ側を重ね合わせた。

「この状態で媒体化の処理をすることで、ソウルメモリー媒体にすることができます。
 それでは、媒体化処理をしますね」
 重ねたスマートフォンが、淡く輝いた。
 見た目は、特に変わった様子はない。画面を点灯させると、いつも通りの画面表示のままだった。
 ……あれ? いつの間にかアンテナが立っている。

 首をひねりながら、ソウルタブレットに乗せると、ちゃんと情報が表示された。

名前:白崎 篤紫(アツシ・シロサキ)
種族:魔族・メタヒューマン
出身:
住所:
記述:特になし


「白崎篤紫、三十六歳。
 どうやら人間やめたみたいです」
 思わず、口に出していた。

「あ、篤紫さん……」
「え、おとうさん、ナニソレ――」
 当然ながら、桃華と夏梛に呆れられた。いや、だって、言ってみたかったんだもん。
 ユリネさんも、温かいまなざしを向けてくれた。
 篤紫は、得体の知れないダメージを受けた。

「出身と住所が空欄なのは、産まれてからどこの国にも属していなかったからですね。
 ソウルコアがない地域の方が、空欄のケースが多いですね。

 種族のメタヒューマンは初めて見ましたが、魔族であればスワーレイド湖国に、問題なく入国する権利は持っています。
 それでは――ようこそ、スワーレイド湖国へ!」

 笑顔で告げるユリネさん。
 こうして三人は、やっと安全地帯に足を踏み入れることができた。