49話 夕焼け空


 そっと、地下三階の床に降り立った。
 そこは資料や書類を保管する部屋のようだった。天井から生えている長棚に、沢山の書類が保管されていた。
 階段は、そのまま折り返して地下四階まで繋がっているようだ。

 その書類保管室は、紙を保護するためか、黄色に近い照明が使われていた。明るさも、周りが認識できる程度の明るさだ。
 階段からの光が入らないようにか、入り口に光を遮断する魔法のバリアが薄く張られていた。
 手を入れると、その部分だけが破損して部屋の中に手が入る。引っ込めると瞬時に修復することから、あえて脆く作ることによって、実務の作業効率を上げる工夫がされていることが分かった。

 おそらくこの部屋は、通過で問題ないはず。
 考えてみればここから下の階が、どういう部屋割りになっているのか聞いていなかった。

 振り返ると、みんな次の階に繋がる穴の縁で、周りを警戒しながら待ってくれていた。
 篤紫はひとまず、メルフェレアーナに話しかけた。




 夏梛は、篤紫が手を突っ込んだ魔法バリアを、恐る恐るつついていた。
「オルフ? この部屋に、敵さんはいるのかな?」
『うむ、調べるから少し待て……。
 …………。
 ………………。大丈夫そうだな、夏梛が心配する敵さんは、中にはいないな』
「そっか、ありがとうオルフ」
 次の階に続く穴の際で、おとうさんが真剣な顔でレアーナお姉ちゃんと話をしている。
 少し難しい顔をしているから、結論が出るまでもう少し時間がかかりそうだな。あまり考えずに動くおかあさんと違って、おとうさんはいつも先を考えながら結果を出して行っているから、すごいと思う。
 まだ、時間あるよね……。
 
 夏梛は、三階の書類保管室にそっと足を踏み入れた。



 紙とインクの匂いがする。
 あたしの好きな匂い。学校の休み時間も、いつも図書館で本の匂いを感じていたっけ。
 新しい本より、古い本の方が好きだったな。

 見回すと、陳列されているのはファイルでまとめられた書類がほとんどだった。
 奥の方には、資料なのか、本の棚もあった。

 少し前まで誰かが仕事をしていたのかな。天井には紙の山がいくつか乱雑に積まれていた。魔石灯が、足下から天井を優しく照らしている。
 やや黄色で、ちょっと明るさを落としてある。
 書物の劣化を防ぐためなのかな? 部屋に窓は無いようだった。

「ねえオルフ、聞いてくれる? あたしね、変だと思うの」
『どうした、夏梛よ。何かに気がついたのか?』
「うん、ここって本当に逆さまの世界なのかな?
 もしかして、あたしたちが、逆さまだって思い込んでいるだけだったりしないかな?」
 腕の中のオルフェナが首を傾げた。
 くりくりの目で、一生懸命考えてくれているのが分かる。嬉しくなって、オルフェナをギュッと抱きしめた。

『確かに、我々の認識が間違っている可能性は、否定できんな。
 そもそも、ここに入ってから、最下層の魔力が全く変化していないようだ。ダンジョンとして機能しているのか、怪しくなってきている。
 本来ならば、ダンジョンマスターが魔力を補充しているはずなのだが』
「えっ? なにも変わっていないの?」
『うむ。一切の動きが無いな。
 敵襲があってから、かれこれ二時間は経過している。ダンジョンマスターが魔族であれば、ゼロから満タンに回復する、二回分の時間だ。
 いくらか、おかしいな。

 ……ところで、無重力というのは、上下の感覚が無い世界だ。
 この首輪――夏梛はベルトか。魔術で重力を打ち消しているが、どの方向の重力を打ち消しているのかが、正直分からん』
 あ、話が戻った。オルフは話が上手だから、いつも話題が変わって流されちゃうんだよね。
 ちゃんとあたしの質問、思い出してくれた。

 夏梛は風を纏ったまま、天井まで移動した。触れてみれば、手にホコリが付いた。これは絶対に、天井が床だと思う。
 このまま逆立ちして、天井に足を付ければ、簡単に世界がひっくり返りそうだった。

「じゃあさ、思い切ってやってみない?」
『うむ? 何をだ?』
「天井に足を付けて、目をつぶって、十くらい数を数えるの。ゆっくり、ゆっくり数えるの。
 そうすれば、感覚とかリセットできないかな?」
『……なるほど、やってみる価値はありそうだな』

 夏梛は風を揺らしてその場で反転して、天井に足を付けた。
 そのまま、オルフェナと一緒に目をつぶって十数えた。

 目を開けると、問題なく床に立っていた。

「やった、成功したよ。ちゃんと逆になった」
『ふむ。問題なく認識できるな。
 さすがの我にも、この発想はなかった。思い込みというのは、ここまで効果を及ぼすものなのだな。
 いつも、夏梛には驚かされる』
 見ると、残りの四人が天井からぶら下がっていた。
 すごくおかしな光景。

「やば、なにあれ。うふふふっ。
 みんな絶対におかしいよ、コウモリみたいだ。あはははっ――」
 夏梛は、大きな声で笑い始めた。
 桃華が気づいて、手を振ってきた。





「この地下三階が書庫だとして、その下の階は、表の魔導城だとどういう部屋割りなんだ?」
 書庫に散歩に出かけた夏梛を一目してから、篤紫はメルフェレアーナに尋ねた。
 夏梛にはオルフェナがついている。まあ、何も問題ないはず。

「この下。地下四階と五階は、何もない部屋だったはずだよ。お客さんが来たときとかに、客間に使っていたかな。今は何もないはず。
 ……だよね、シャーレ?」
「はい、お母様。
 ダンジョンだと違うかもしれませんが、ベッドも壁に収納されていますので、いまは本当に何もないはずです。
 表の魔導城では、避難してきていた国民を受け入れるため、両方とも使っていましたが」
 リメンシャーレは思い出したのか、少し眉間にしわを寄せた。星の異常が起こした爪痕は、かなり深刻だったようだ。
 そう言えば、メルフェレアーナは普段は出かけていて、この城にいないんだっけ。

「あとは、地下六階と七階は、わたしたちのお家として使っている空間だよ。八階は展望室、九階は予備の部屋で十階が問題の部屋かな。
 ……といっても、わたしは普段ここにいないから、細かい部分はシャーレの方が詳しいんだけどね。

 でもこのダンジョン、本当にすごいよ。魔導城がそっくりそのまま再現されているんだね。逆さだから違和感ありありだけど」
 書類保管室の天井では、天井に立った夏梛が、こっちを指さして笑っていた。
 何かおかしいのだろうか……。

「ねえねえ、夏梛ってコウモリの真似してるのかな?
 天井に立って何してるんだろ」
 メルフェレアーナが首を傾げた。

「……ん? まてよ……もしかしたら、最初から逆さまだったんじゃないか」
「は? 当たり前じゃない、逆さまだから苦労してるのよ?」
 すかさず、メルフェレアーナが突っ込んできた。
「いや、そうじゃなくてだな……」
 何でだろ、説明が難しいぞ。

「俺たち、魔導城の逆さダンジョンに下りたわけだ。でも、最初から逆さまだったとしたら?」
「何言ってんの、見ての通り逆さまだよ?
 さっきから、篤紫の言ってることが、よく分からない」
「だああぁぁぁぁ――」
 駄目だ、どうやってもメルフェレアーナに伝えられない。
 桃華が後ろから、篤紫の肩に手を置いてきた。

「つまり、夏梛が正しいって言うことよね。
 私たちはここが逆さまだと思い込んでいて、本当は逆さまじゃなかった。
 夏梛が先に真実にたどり着いた可能性が高いのよね」
 ふんわりと微笑むと、桃華は夏梛に手を振った。

「あー、なるほど。篤紫の説明じゃ無理だね。絶対にわかんない」
 篤紫は四つん這いになって項垂れた。




 夏梛のアドバイスで、逆さまだった世界が元に戻った。
 前の部屋で感じた違和感は、これだったのかもしれない。

 念のため、篤紫は本棚の上に立ってベルトを外してみた。本棚に足が着いたまま、天井に落ちることはなかった。
 ダンジョン魔導城の重力の向きは、表の魔導城と変わっていないようだ。

『ここのダンジョンマスターは重力も操っている。まだしばらくベルトの効果を使ったままの方が良いだろう』
 というオルフェナのアドバイスを聞いて、ベルトを再装着した。
 無重力のまま今度は階上を目指した。



 八階の展望室にさしかかると、窓から綺麗な夕日が差し込んでいた。
 沈んでいく太陽を、キッと睨んでおいた。奴は明日も九時過ぎに、また焼滅光線をまき散らすのだろう。

 そうはいっても、やっぱり夕焼けには感慨深いものがあった。

 いち早くダンジョンコアを確保して、外に脱出しないといけない。
 せめて朝までには、魔導城をコマイナの中に移動させたい。

 全員と視線を交わすと、最上階に向けて足を進めた。