58話 管理者権限


 つまり、この子は何も知らないわけね……。
 今も呆然と、何かを一生懸命考えている。きっと、この子が紫狐族で人化できた個体の中で、一番若い子だったのでしょうね。
 桃華は小さなため息をついた。

 ぬるくなったお茶を、新しいお茶に入れ替える。今度は、蜂蜜を少し入れて、輪切りにしたレモンを浮かべた。

「それで、ナナちゃんは、どうしたいのかしら?」
「えっ、ど……どうしたいと、言いますと……」
「人間族が怖いのでしょう?
 ナナちゃんも知っているとおり、コマイナ都市の南側に、新しい人たちが住み始めたの。今のところ、住んでいるのは、ほぼ魔族だけよ。
 おそらく篤紫さんが、この先のことも考えて、南の湖近くに魔族の人たちをまとめたのよ。
 あなたたち紫狐族は、北側に住んでいるのよね?」
「……はい。正確には、社がある土地が北東寄りにあります」

 桃華は、キャリーバッグから紙を取り出すと、おもむろにコマイナ都市の地図を書き始めた。周りを囲む壁に、四方の門。新スワーレイド湖。
 白亜城を中心に、交差した大通りを書き込み、さらに主要な路地を書く。それは、誰も書いていなかった、正確なコマイナ都市の地図だった。

「おそらく社の位置はここ、魔力が異様に澱んでいた場所ね。
 この、南側の一部が新スワーレイド湖国領として、整備が終わっている区画よ。今後だけど、恐らく北側と東側は人間族の領域になるわ。
 ナナちゃん達が北側にいるのは、鬼門の管理のためよね?」
「え……は、はい。そ、その通りですが――」
 ナナが今までで一番、ポカーンと口を開けて、目を大きく見開いている。
 抱きしめて、頭をなで回したいという思いを、ぐっと押さえ込んだ。だめよ、この子可愛すぎる。この子達は絶対に、私が守ってみせる。

「それなら、北東に紫塔を建てて、社を南西の裏鬼門に移しても、それほど問題ないわね?」
「な……なんで、そんなに詳しいのですか?」
「地球はね、この星ほど魔力が多くなかったのよ。だから、土地の龍脈を読んで、それを利用する技術があったの。
 このコマイナ都市は南東に塩湖があるから、お手本みたいな配置なのよ。
 龍穴は白亜城、そこから大通りに合わせて、龍脈が四方に流れているわ」
 ここはメルフェレアーナが造ったダンジョンらしいけれど、おそらく魂に刻まれた日本人の記憶が、無意識のうちに影響を及ぼしたのね。

「南には魔族がいるから、少なくとも安心して暮らせるのではないかしら?」
「はい。そうなれば、一番いいのですが……」
「それじゃ、始めるわね」
「えっ、えっ? は、なにを――」
 桃華は、ナナにほほえみかけると、新しい紙を取り出すと再びコマイナ都市の地図を書き始めた。




「あ、桃華か、どうした?」
 銃型魔道具の部品を作っていた篤紫は、作業の手を止めてスマートフォンに出た。
 試作品をベースに、素材からパーツを作っていた。自分のを含めて、四人分で五丁の部品は、なかなかの量になっていた。

『篤紫さんは、いまどこにいるのかしら?』
 また迷子になったのか? 篤紫の脳裏に昔の思い出が蘇った。
 桃華が一人出てかけたときは、大抵迷子になる。日本にいた頃も、ほぼ毎日迎えに行っていた。もしくは、忘れ物を取りに出かけることになったか、どっちかだった。

「いまは、魔導銃の部品を作っているところかな。自分の部屋、魔道具研究所にいるよ」
『それなら、コマイナちゃんはいまフリーなのね?』
「ああ、進路の維持だけ頼んであるだけだから、今頃ゆっくりしているはずだよ。
 レアーナと夏梛は、今頃は新スワーレイド湖国に行っているから、妖精コマイナは間違いなくフリーだな」
 迷子の連絡じゃないのか……?
 空いた手で急須のお茶を湯飲みに注いで、一気に飲んだ。だいぶ前に淹れたお茶は、既に冷たくなっていた。

『ありがとう。それと、聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?』
「ん? どうした、何かトラブルか?」
『あのね、可愛い狐さんがいたのだけれど、南西の空いているところに、お家作ってもいいかしら?』
 なんだろう、そんなに大きな狐なのだろうか。
 そもそも、コマイナ都市は南の湖畔以外は、全くの手つかずだ。今のうちならば、何か変わったも問題ないだろう。

「ダンジョンだからな、造成する場所に誰もいない状態なら、特に問題ないと思うよ。コマイナによく聞いてみてな。
 ただ、最後まで責任持つように」
『ええ、わかったわ。コマイナちゃんにお願いして、綺麗なお家建てるわ』
 そう言って、桃華は電話を切った。
 一瞬、引っかかる物を感じたものの、それよりも大事なことを思い出した。

 しまった、明後日の予定を聞くのを忘れた。
 先に桃華に冒険に行く件を相談したかったのだけど、この分だと桃華、忙しそうだしな……。
 篤紫はあきらめて、魔導銃の制作を再開した。





 桃華は、篤紫との電話を切ると、そのままスマートフォンで机の上の地図を撮影した。
 カシャッと言う音に、前に座っていたナナがびっくりして、頭頂の耳がピンと立った。やばい、かわいい。

 画面を操作して、コマイナに画像を送信した。
 ちょっと間を開けて、コマイナに電話をかける。

『はい、コマイナです。桃華様、地図と画像を確認しました。
 詳しい説明を聞いてもいいですか?』
 さすが、コマイナちゃんは仕事が早い。桃華は机に広げた地図を確認しながら、スマートフォンにイメージを乗せる。

「一枚目が、現在のコマイナ都市。二枚目が、変更後のコマイナ都市の予定図よ」
『はい、北東の紫森一帯を、南西に移動させるのですね。
 空いた北東には、三枚目のイメージにある紫塔を建てて、鬼門封じにするのですか……魔術は刻めないので、後で篤紫様に頼んでおきます』
「紫塔は、浄化の魔術だけでいいと思うの。それとなく、篤紫さんにお願いしてもらえると助かるわ」
『了解しました。城内で刻んでもらい、それを転送する形にしますね』
「ありがとう。あとは、紫森の中には紫狐さん達がいるけど、マスター権限で、移動が完了するまで停止させておくわ。
 それじゃ、お願いね」
 電話を切ると、ナナが目をパチパチさせていた。
 まあ、想定外の事態よね。何が起きているか、全く見えていないもの。

「あの……。なにを……されたのでしょうか?」
 ナナが大きくつばを飲んだ。耳が、また垂れ下がっている。
 桃華は、自分の椅子と机をキャリーバッグにしまうと、ナナに歩み寄って前からギュッと抱きしめた。

「安心して、もう大丈夫よ。
 いままで辛い思いや、悲しい思いをしてきたのね。
 森は、まもなく南西に移動されるわ。裏鬼門の要として、設置させてもらうけれど。
 これからは神社として、大切に守らせてもらうわ」
 腕の中で、ナナが震えている。
 そのままおずおずと桃華に抱きつくと、声を殺して泣き始めた。

「北東の鬼門は、さっき言ったとおり紫塔を建てるわ。
 塔の管理は、コマイナちゃんに頼むから、この先人間族に脅かされる心配は無いはずよ」
 頭を撫でると、紫色の髪は傷んでいるのか硬かった。そのまま浄化の魔法をかけて、ふんわりとした髪に仕上げる。

『キャァ……』
 足下の子狐が、遠慮気味に鳴いた。
 桃華はナナをそっと離すと、ハンカチを取り出してナナの涙を拭く。


「あのね、ナナちゃんにお願いがあるの」
 顔を上げたナナの瞳は、真っ赤になっていた。
 新しいハンカチと、地球から持ってきていたポケットティッシュ
を手渡した。

「私ね、夕飯のおかずに魚が買いたいの。
 でも一人だと迷子になっちゃうみたいだから、ナナちゃんに案内してもらいたいの。いいかしら?」
「は……はい……。はいっ!」
 椅子から立ち上がったナナは、桃華に抱きついてきた。

 案内狐に先導されながら、桃華とナナは手を繋いで、散歩の続きに出かけた。
 南の新スワーレイド湖国に、お魚を買いに。

 夕焼け空を見上げながら、自然と駆け足になっていった。