85話 新しい力


 ゴブリンのルルガは立ち上がると、体に付いたホコリをはたいて落とした。メルフェレアーナが駆けていた階段を軽く睨むと、桃華のところまで歩み寄ってくる。
 ルルガはゴブリンと言っても進化しているのか、容姿が人間にかなり近い。赤のタキシード姿は、独特の緑色をした肌と妙にマッチしていた。
 もっとも、身長が夏梛と同じため、背伸び感は否めない。

『どうしたんだよ、桃華? 夏梛? 二人とも、そんなシケた面してさ。
 うおっ、悪魔族! 初めて見た、やばいカッコいい』
 周りから集まってきていたプチデーモン達を見て、一気にテンションが上がる。

 逆にプチデーモンの少年少女は、あからさまに警戒し始めた。無理も無い、ゴブリンが真っ赤なタキシード姿なんだ、警戒しない方がおかしい。
 とはいえ、当のルルガはどこ吹く風で桃華の前に立って、笑顔で見上げた。

『篤紫から、問題なく南の魔術塔にいるって、連絡は来ているからさ――』
「えっ、ちょっと待ってよ、それどういうこと?」
 桃華は最後まで聞かずに、ルルガの言葉を遮った。両肩を掴んで、真剣な目でルルガの顔を見つめた。

「篤紫さんは、無事なの? って、どうしてルルガちゃんが知っているの?」
『ちょっ、待ってくれよ。ちゃんと説明するからさ』
 ルルガは顔を紫に染めながら慌てだした。これは、顔が真っ赤になったのか。桃華は、妙に納得した。
「お願い、詳しく説明して?」

 最初は警戒していたプチデーモンの少年少女も、ルルガが桃華の知り合いだと分かってか、ゆっくりと集まってきた。流れが早くて全く反応できていなかったタナカ一家も、ルルガの元に来る。

『ああ、まずこれはオレには意味が分からなかったけど、まず原因の憶測らしいんだけど、メルフェレアーナだってよ?
 復活点をオルフェナにしたことが、きっかけだったとか。てか、オルフェナもいねぇみたいだな』
 桃華はハッとして、周りを見回した。
 シズカ、タカヒロ、ユリネにカレラ。誰もオルフェナを抱っこしていない。夏梛ももちろん、ナナもドライアドでさえも。
 あとはプチデーモンの少年少女達だけれど、当然オルフェナと接点が無いから、顔を見回しても一様に首を傾げているだけだった。

「あれ? そう言えば、オルフがいないよ」
 夏梛も今気がついたようで、慌てて周りを見回している。
「お願いルルガちゃん、話を続けて」
『お、おう。わ……わかったよ。
 星と月の石だっけか、登録者が居なくなって役目を終えたんじゃ無いかって言ってた。それで世界に異状が起きたきっかけになったんだとか。
 で、篤紫は代わりのものを作っていて、ちょっと前に連絡があって、ここに持ってくるように言われたんだよ。
 にしてもこれすげーな、南極にいるとか言っていた篤紫の声が、この板から聞こえたよ』
 ルルガは腰元のスマートフォン――篤紫と同じモデルだ――を掲げながら、いくらか自慢げに説明を続ける。

 桃華は、目を見開いた。
 地球でも三人とも違うスマートフォンを使っていた。少しこだわりが強かった篤紫の端末は、わざわざメーカーサイトで買った限定品だった。
 それが、目の前のルルガが持っているということは、間違いなく篤紫は無事だと言うこと……。

『えっ? おいっ、桃華。どうしたんだよ』
 急に目の前で、地面にへたり込んだ桃華を見て、ルルガが慌て始める。

 桃華の目から涙が堰を切ったように溢れてきた。心の底から安心した。
 篤紫のことは信頼はしている。でも、目の前で消えた篤紫のことを心配していないかと聞かれれば、当然だけど心配はしていた。
 無意識のうちに、嗚咽が漏れる。

 慌てて夏梛が桃華に駆け寄って、ぎゅと抱きしめた。
 夏梛の目からも、涙が流れていた。

『うわっ、ごめんな。オレ間が悪かったのかな』
「違うのよ……そうじゃないの。無事だって、安心しただけなのよ……」
「おかあさん……」
 それを聞いて、ルルガは複雑そうな顔で頭を掻いた。

『そっか。んならいいんだけどな。
 それでオレはここに、魔道具の設置を頼まれたんだけどさ。北極点がある場所って、誰か知ってないか?』
 プチデーモンの少年が、おずおずと手を上げた。
「あの、ボク知っています」
『お、案内頼むわ』

 星の石が砕け散った中心に案内されたルルガは、おもむろにその足下に工具箱を喚び出した。
 その中から、綺麗な地球儀を取り出した。

 大きさは一メートル程。土台やパーツなどには、虹色の鉱石――ニジイロカネが使われていた。地球儀の球体部分は透き通った紫色の鉱石に、精緻な世界地図が描かれている。
 それを、指示されたポイントに設置した。

 球体が回り始めた。
 空気が変わる。静謐な、それでいて暖かい空気が波紋のように広がっていく。その場にいた全員の体が、温かくなった。

『あ、そういや大事な伝言忘れてたわ。
 ソウルメモリーの接続が解除される可能性が高いから、早めにこっちの新しい魂儀で登録してくれ、だってさ』
「魂儀……ですか?」
 タカヒロが首を傾げた。

『ああ、ソウルコアとかソウルメモリーとか長すぎるから、折角一新するなら呼び名を変えようって言ってた』
「いえ、そういうことではなくてですね……」
『そっちの話か、名前よりも説明が先だったな。
 あとはみんなが持っているソウルメモリーだった端末を、この地球儀に接触させて、魂樹化させればいいってよ。
 それを世界各地に持って行って、ソウルコアやソウルタブレットに接触させるんだ。そうすればそれらも、魂地化や魂根化できるはずだってよ』

 魂儀。魂地。魂根。魂樹……。
 このとき全員の思いはシンクロした。篤紫のネーミングセンスは、絶望的だ――。



 桃華に続いて、夏梛がスマートフォンを地球儀の土台に当てると、澄んだ鈴の音が聞こえてきた。
「あっ……割れた画面が、直った……」
 さっき落としたことで割れていた画面が、溶けるように修復されていった。圏外になっていたアンテナが、また受信を始めた。

「篤紫さんは、こうなることを想定していたのかしら?」
 桃華が呟く。しゃがんで画面に見入っていた夏梛は、桃華を見上げて首を傾げた。
「わからないよ。オルフも居なくなっちゃっているし、そもそも何が起きているのか、分かっていないもん」
「そうよね。でも取りあえず、篤紫さんが無事みたいで安心したわ」
 桃華の手を借りて立ち上がりながら、夏梛はいい笑顔で笑った。

 リリィーン、リリィーン――。

 夏梛のスマートフォンが鳴り始めた。画面を見ると、着信は篤紫――。
「も、もしもし……おとうさん?」
『お、やっと繋がったな。聞いて驚け、オレは無事だぞ』
 夏梛は、そのままそっと通話を終了した。

 リリィーン、リリィーン――。

 そっと、着信を拒否した。
 続けて桃華のスマートフォンも鳴ったものの、そのままそっと着信拒否していた。

「無事ならいいのよ、きっと向こうで大切な仕事が待っているわ。邪魔しちゃ駄目よね」
「うん、あたしもそう思う」
 そんな二人を、ルルガが温かい目で見ていた。

 当然ルルガも、そのあと篤紫からかかってきた電話を、そっと着信拒否していた……。




 周りを包んでいた光が消えると、目の前に氷の壁が立っていた。見回すと氷の壁は、自分を中心に円筒状に立っているようだった。
 足下には、瓦礫が山になっていた。白いその破片は、それが北の魔術塔と同じ素材である事が分かった。

「ああ……マジか。逆に凄いな――」
 そのまま上を見上げると、円筒形の氷の壁は遙か上空、うっすらと白く輝いている空が口を開けていた。
『うむ、無事に南極点まで転送されたようだな』
 突然足下から聞こえた声に、篤紫はびっくりして尻餅をついた。状況からしても、一人で転送されていたと思っていた。
 プチデーモンの少女も、転移できるのは一人だけだと言っていたはずなのだけれど……。

「お……オルフ? なんでここにいるんだ?」
『うむ? なぜといわれると、篤紫と一緒に転送されたから、と言うしかないであろうな』
 そこには、いつもの羊――オルフェナが、つぶらな瞳で篤紫を見上げていた。

『それよりも、この状況は少しまずいのではないか?』
「ん?」
 もう一度上を見上げると、いつの間にか光の乱舞が始まっていた。篤紫は少しずれた眼鏡を持ち上げた。

『光が落ちてくるぞ!』
 また、あの時と同じ、圧縮された光が篤紫の元に落ちてきていた。