ルナナリア城の正門脇に停まっている魔神晶石車の、その後ろ側にある開け放たれた扉から、車に乗った兎人たちが次々に中に入っていく。車列は正門の奥に見える街の、ずっと向こうまで長く続いていた。
金色の縁取りが設えられた漆黒の古風な馬車の中に、丸い形をした近未来の車が粛々と入っていく。そんな何だか異様な景色に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
びっくりしたのが、箱型のバス形状だった魔神晶石車が、いつの間にか最初の馬車型に戻っていたことだったかな。それに伴って自走ができなくなっていた。たぶんこれが、ルナナリアとヒスイが一つになった弊害なのかもしれない。
幸いなことに、大樹ダンジョンには全く影響がなかったみたいで、中に住んでいる竜人たちは篤紫が顔を出すといつも通り歓迎してくれた。
ルナナリアの兎人たちが移住してくる話も問題なくまとまって、その日のうちに移住が始まったんだよな。
ルナナリアが居なくなってから三日。女王メルシュの王命により、魔神晶石車の中にある大樹ダンジョンに向けて、粛々と移住が進んでいた。
ただルナナリアに住んでいる兎人の人口は一万。とても、一度に移住が終わるような規模じゃなくて、これからさらに一ヶ月近くかかる予定だと、さっきメルシュが言っていた。
幸いなことに、ルナナリアが居なくなってもルナのコアは変わらずそこにあって、変わらずコアの力を発揮してくれている。もっとも、メルシュの話によるとおよそ半年ほどで、コアとしての力を失うらしい。
兎人たちが移住したあとで、結界を維持していた巨大兎たちが大樹ダンジョンに移住した時点で、ルナに来たときと同じようにワイバーンにナナナシアまで運んでもらうことになっている。
ちなみに月の都ルナナリアの周りに居たワイバーンたちも、何故かみんな大樹ダンジョンに移住することになっているんだとか。意味がわからない。
「……お父様? 今大丈夫ですか?」
篤紫が声のした方に振り返ると、萌葱色のドレス姿の少女が篤紫が立っているバルコニーに出てくるところだった。翡翠色の鮮やかな長い髪が、風に吹かれてサラリと流れた。その少女の後ろには、五体のゴーレムが並んでついてきている。
いつも見ていた光景。
違うのは、透明な翡翠色一色だった体が、健康的な肌色に変わっていることか。
「ヒスイ、どうしたんだ?」
「ミュシュさんが元の姿に戻りそうなので、お父様にも来ててただきたいと。既に他の方々は集まっていますので、あとは私とお父様だけです」
「そっか、ありがとう。予定よりだいぶ早いんだな。急いでいこうか」
「はいっ。早く行きましょう」
ルナナリアと一体化したヒスイは、その姿を大きく変えたんだ。
体は人間と同じように筋肉がついて、柔らかく艷やかな肌色に変わった。爪や歯なんかの硬い部分は元の緑色の魔神晶石のままだったけど、一気に人間らしくなった。
本人曰く、骨などの骨格部分は魔神晶石のままなんじゃないかって。さすがに骨は見えないから確かめようがないんだけど。
逆に普通の魔族と違って体内に魔力器官はなくて、全身の骨格自体が魔力器官の働きをしていて、骨で魔力を作り出すことができるらしい。そこは、ルナコアの力をそのまま受け継いだみたいだな。
ヒスイに手を引かれて少しだけ早足で廊下を歩く。
握られ手が温かくて、ヒスイが『生きている』ことを実感した。
あれから一度も、ヒスイに魔力の補充をしていない。篤紫が補充しなくても、ヒスイ自身が自分で魔力を生み出すことができるからだ。
「どうかしましたかお父様……?」
「体の方は慣れたのか?」
「そうですね。体の形が自由に変えられなくなって、前と比べて不便に感じますが、今はこうしてお父様と話ができることがとても幸せです」
「そうか。それなら一安心か」
自然に口から安堵の息が漏れた。
桃華から、部屋でじっと手を見つめたまま首を傾げていたって聞いていたから、心配はしていたんだけど慣れてきた感じだな。今までは何かあるとすぐに体を変形させて対応していたから、違和感はどうしてもあったと思う。
エレベーターに乗って地下に向かう。
過去に、兎人化と半兎人化を施す施設は重要な戦略施設だったから、必然的に城の地下にある。とはいえ、長らく稼働していなかった施設だけあって、廊下は凍えるように寒い。
時折すれ違う職員が厚手のダウンジャケットを着ていて、廊下をすれ違う際に薄手の衣類を羽織っただけの篤紫達を見て、もれなく二度見された。魔術で魔道具化した衣類はチートに近いのかもしれない。
ヒスイに手を引かれるまま、廊下の先にあった扉を抜けると、壁一面がガラスになっている部屋に出た。ガラス一枚隔てた向こうでは、寝台の上に寝かされたミュシュが、篤紫が知ってるミュシュに比べて倍くらいに大きくなっていた。
頭の兎耳はそのままで、動物の兎と同じだった顔はあどけなさが残る人間の男の子の顔に変わっていた。金属質だった肌も、健康的な小麦色の肌に変わっていた。
そっか、無事元の姿に戻れたんだな。何で小麦色なのかはわからないけど。
「篤紫さんっ、さっきちょっとだけミュシュの目が開いたんやでっ」
留美の声にガラスに張り付いていた全員の視線が集まる。
いや、ちょっと違うな。桃華だけはいつも通りで、脇に置いたキャリーバッグから取り出したんだろう、おしゃれなガーデンチェアーに座ってお茶を飲んでいる。丸テーブルを挟んだ反対側では、同じ椅子に座ったメルシュ女王がちょうどカップをテーブルに置いたところだった。
いや、何してんの二人とも。緊張しすぎるのも問題だけど、逆にリラックスしすぎじゃない?
「ミュシュなのですが、兎人族にしては魔力の親和性がかなりいいみたいですの。どうやら私たちと行動していて、何かが変わった感じがしますわ」
「待ってください、紅羽さん。それ違いますよ。ミュシュさんの腰元に、魂樹あるじゃないですか。原因あれですよ」
人間と同じように魔力を持っていない兎人は、魔法が使えないし、魔力の親和性が低い種族だ。
魔獣と魔族の星だった過去のナナナシアにおいて、特異な種族だったらしい。そして人間に追われ、月に移住してからもそれは変わらず、ナナナシアのルナコア――魔神晶石の力の一部を得ても、科学技術だけで栄えてきた。
何だか、いつも通りの景色だな――そんなことを思いながら視線をミュシュの方に向けると、しっかりと目を開けたミュシュと目があった。篤紫が手を振ると、顔いっぱいに笑顔が広がった。
「おいっ、ミュシュが目開けてるじゃねえか。グギャッ」
「あ、ルルガいたんだ」
「何だよ留美っ、オレがいちゃ悪いんかよ。ホワイトケープのメンテしてたら、コマイナが連絡くれたから、来たんだよ」
「呼んでもどうせけぇへんと思って、呼ばなんだんやで。友達が目をさますんやで、そんなんおったほうがいいに決まっとるやろ」
「お、おおそうか。なんか……すまん」
「なんでルルガは、いつも一言余計なのよ……」
ルルガの後ろでマリエルがため息をつく。
そういえばコマイナはどこにいるんだ――そう思って首を回すと、ちょうどサイドテーブルを押して桃華がいるテーブルに来て、新しいお茶を淹れているところだった。コマイナ、お前もいつも通りなのか……。
商館ダンジョンの管理が長かったからか、メイドの所作が板についている。
そんな、いつもの光景を微笑ましく思ってみていたら、服の裾が引っ張られた。顔を向けると、ヒスイの緑色の瞳が不思議そうに篤紫を見上げていた。
「お父様……ミュシュさんのところに行ってあげないのですか?」
「あの部屋は入っちゃだめなんじゃないのか」
「隔離はされていますが、別に集中治療室とかではないですよ。ルナコアのエネルギーを効果的に受けられるように、壁を魔力反射素材で作ってあるだけです。
みんな、お父様が最初に入るのを待っているのですよ」
さすがにそんなわけないよな。
そう思って、メルシュ女王の方に視線を向けると、笑顔でしっかりと頷き返してきた。いつの間にか側に立っていたエルシュも、黙礼してきた。
い、いいのか?
想定外のことに戸惑っていると、また服の裾が引っ張られた。
「行きましょう、ミュシュさんも待っています」
そのままヒスイに手を繋がれて、部屋の隅にある扉まで連れて行かれた。意を決して扉を開けて中にはいると、ミュシュが寝台の上で上体を起こしたところだった。
「アツシさん、おはようございました。ご心配をおかけします」
「待てミュシュ。何だか挨拶が変だぞ」
「そ、そうなのですか。何だか色々と思い出して、頭の中がごちゃごちゃで……それでも、これだけは言わせてください」
笑顔を見せたミュシュの瞳から、涙が溢れる。横に居たヒスイが、すかさずハンカチを手渡す。
「アツシさん。ここまでわたくしを連れてきてくれて、ほんとうに……ほんとうにありがとうございます」
「家族だからな、当たり前のことをしただけだぞ?」
姿形が変わっても、ミュシュはミュシュだな。
まあ、そもそもそが今生の別れじゃないから、軽い気持ちで居られるのかもしれない。
月都ルナナリアの兎人が全員大樹ダンジョンに移住するということは、当然王族であるメルシュ女王を始め、エルシュやミュシュも同じように移住することになる。大樹ダンジョンの中ならいつでも会えるわけだから、ミュシュは今まで通り一緒に旅をすることになるわけで。
「おいっ、ミュシュはえらい男前なんやな、わいがミュシュを彼氏にしてあげてもええで」
「あ、留美さんずるい。私だって彼女に立候補しますよ」
「留美さんも咲良さんも、ちょっと落ち着いたほうがいいですの。ほら、最初にお母様であるメルシュさんに挨拶しないと駄目なんですのよ」
そういう問題なのか、と思ったけどあえて突っ込まないことにした。
ずっと三人とも、あの不思議な日本にいる頃からずっとミュシュを大事にしてくれていたもんな。あの時、留美にあげたミュシュ人形を、今でも大事にベッドに寝かせていることを、この間桃華から聞いた。
今となっては、兎姿のミュシュ人形はある意味貴重なものなのかもしれない。
その後は、久しぶりの兎人姿にミュシュが立ち上がれない――なんて問題も発生したけれど、久しぶりにミュシュにエルシュ、メルシュ女王と家族水入らずで過ごすことが出来た。
兎人たちの国を丸ごと受け入れる、なんて想定外の事が起きたけれど、無事『ヒスイを正常な状態に戻す』目的は達成することができた。
さあ、あとはみんなでナナナシアに帰るだけだ。