「懐かしい……街並みね……」
「お母様は、この景色を知っているのですか?」
「ちょうどね、麗奈の両親……私の妹たちの家があったのが、この辺りなのよ」
そんな他愛のない会話をしながら、懐かしい東京の街を歩いていた。
時間設定的には、夜なんだと思う。
すべての建物に明かりがついていて、そのすべての建物が無人だった。
途中にあった記憶にあるファミレスに寄ってみたけれど、やっぱり中には誰も居ない。調理場ですら調理器具はあるものの、食材や調味料の類は一切無かった。ものすごくチグハグな状況に、三人で首をひねった。
生活するために施設を整えたけれど、実際に住む人が居ないのか――でもそれにしては、街の造りがリアルすぎる。
記憶を頼りに、桃華の妹夫婦が住んでいた家に向かう。
見上げた空は宇宙空間がそのまま映し出されていて、直接宇宙空間で見る星空には、記憶の中にある地上から見た星座がなかった。
「確かそこの角を曲がって、鳴海の……あった……」
表札を見た桃華の声が涙声になっていた。
例に漏れず全ての部屋の明かりがついていて、明らかに人が住んでいる気配はなかったけれど、間違いなく記憶にある鳴海さんの家だった。
ちなみに隣接された屋根付きの駐車場には、何も停まっていなかった。
誰も居ないとわかっているけれど、桃華は呼び鈴をおして少しだけ待った。漏れたため息らは、安堵がこもっていたような気がした。
扉を開けてそれでも何かに期待しながら中に上がりこんだ。
「やっぱり、誰も居なかったな」
「でも逆に安心したわ。あまりにも私が知っている妹の家とそっくりだったから、居たら居たで何だか気まずいもの」
警戒しつつ入った家の中は生活感が全く無くて、どちらかといえばモデルルームの様相だった。家具は全部揃っているのに、食器や衣類などが何もない。
ある程度調べてから、明かりのついたままの家を後にした。
表札は確かに記憶にある『鳴海』だったけれど、それ以外に個人を特定できるものはなかった。
だからこそここは、何だか本当に造られた東京に感じた。
「お茶が美味しいです……それに、何だか甘い……?」
「緑茶は茶葉の違いだけじゃなくて、淹れ方によっても味が変わってくるのよ。低温でゆっくり淹れてあげると、甘みが引き立つのよ」
再び戻ってきたファミレスで、桃華が淹れたお茶を思い思いに口に運んでいた。緑茶の甘い香り鼻を抜けていく。
ここに来るまでにあった他の家も同じように調べてみたけれど、結局『無人である』こと以外に大した情報は得られなかった。
最初はまた何者かがこの都市を支配していて、そこに運悪く巻き込まれた――まで想定していただけに、かなりの肩透かしを食らった感じだった。念のため、ヒスイに広範囲に魔力走査をかけて貰ったんだけど、それにすら何も反応しなかった。
「それでヒスイは、魔神晶石のルナコアとは、繋がったのか?」
「いいえお父様。完全に断絶したままです。新しく魔神晶石車に使っているルナコアは私の体の一部ですから、絶対に繋がりが切れることは無いはずなのですが……」
「もしかしたら三人であのガラスをすり抜けたタイミングで、違う次元に移ったってことなのか」
「厳密には、落下する途中ですよ。遠ざかって行く途中までは補足できていて、本当に突然途切れたのでびっくりしました。あんなの初めてですよ」
「つまりあれよね。きっとどっちかが、全く違う世界に転移したってことよね。もしかしたら時間軸が違うのかしら――」
そこまで言った桃華が、忽然と目の前から消えた。
これはあれか、時間を停めてお散歩にでも出かけたか。そこまで考えて、ファミレスの自動ドアが開く音が聞こえて、ヒスイと同じタイミングで入り口に顔を向けた。
「時間停止は問題なく使えるわね。若干、魔力の消費は早い感じだけれど誤差の範囲かしら。ここがどんな世界なのか分からないけれど、魔力で時間に働きかけることはできそうね」
「この宇宙船は、どんな感じだった?」
あえて、ファミレスの入り口から入ってきた桃華は、再び篤紫の隣りに座って、いつの間にか取り出したショートケーキをひとくち食べて、まだ熱いままのお茶を口に運んだ。
「さしずめこの船は『方舟』かしら。よく考えて造られたているわ。
私たちがいるこの東京を模した都市は、船を管理運営する人たちが暮らす場所のようね。多層式で、地面の下の方には工場や牧場、海洋施設まであって世代を重ねて旅ができるように考えられているわ。もちろん生き物はいなかった。
管制室は船の進行方向、先端に付いていたわね。逆に機関部はこの都市の後ろ側にあったわ」
「ここはそんなに大掛かりな移民船なのか?」
「いいえ、まだ続きがあるのよ」
この時点で、自分が思っていたよりも遥かに大掛かりな宇宙船なんだけど、桃華が見てきたのはそれだけじゃないみたい。
「機関部の後ろ側にさらに大きな部位、形は釣り鐘型っていうのかしら? 中に沢山の宇宙船を収納した大きな部屋があったわ。
宇宙船の中には液体が入った多数のカプセルが収納されていたから、さしずめコールドスリープした人たちを乗せる、専用の船なのかもしれないわね。やっぱり全て無人だったけど」
「それはある意味すごいな。俺達が知ってる地球と比べて、相当科学が進歩した未来の船ってことなのか?」
「恐らくそうね。二十一世紀に入っても、人類が宇宙に出るのはまだ夢物語だったもの」
さすがに驚いて、ヒスイと顔を見合わせた。いや、違うな。ヒスイはそもそも地球のことは知らないから、理解が追いつかないって顔だな。
でも、情報はそれで終わりじゃなかったらしい。
「……それで、残念ながら悪いお知らせがあるのよ」
「悪い……お知らせですか……?」
「もしかして操縦者が居ない宇宙船が、あてもなく宇宙を彷徨っているのか?」
この後どうすればいいか考え始めたところで、大きく息を吐いた桃華が言葉を続けた。
「宇宙で迷子になっていたほうが、まだ良かったかもしれないわ。
実はね……この船、墜ちているのよ」
「どういうことだ?」
「今も真っ黒な雲に包まれた星に向かって、真っ逆さまに落下中よ。いくら時間が停められても、こればかりは……ねぇ……」
「マジかっ?」
「えっ……嘘ですよね?」
立ち上がって、外に駆け出した。
見上げると天井になっているガラスいっぱいに、漆黒の星が広がっていた。その星が急速に大きくなっている。
いやマズいな、ものすごい速さで落下しているぞ。
「お、お父様……」
驚いて呆然と上を見上げている篤紫とヒスイの肩に、桃華の手が触れた。
周りの音が聞こえなくなった。
そして、時が止まる。
「こんな状況なのよ。困ったわ」
「多少の時間的猶予はあったってことだよな」
「いいえ、ぜんぜん余裕はないわね。衝突まで三十秒切っていたかしら?」
「いや……そうか。時間を停めさえすれば、まだ間に合うのか」
「そういうことよ」
その場でもう一度、上を見上げた。
不気味な漆黒の星は、もう見上げた視界いっぱいに広がっていて、桃華が魔法を解除させて時間が動き始めたと同時に、恐らく宇宙船はあの星の周りにある黒い何かに突入する。
桃華の停止時間にしても、それほど余裕はないはずなんだよな。時間停止の魔法は、ものすごい量の魔力を消費するって言っていた。さっきも時間停止空間を偵察に行ってきたばかりで、恐らくジリ貧じゃないかって思う。
ここで取れる対策は二つ。
まず一つは、魔術を使ってこの宇宙船全体に不壊の魔術文字を刻むこと。
ただ魔術にナナナシアの補助がないから、描き込んだ魔術文字に注いだ魔力の量が、そのまま維持できる時間になると思う。そんなわけだから、効果が一時的なものにしかならない可能性が高い。
それでも全力で魔力を込めれは、落下の衝撃を緩和させる時間位なら、恐らく何とか稼げると目論んでる。
描き込むとすれば、全体を統制している管制室か。
現状はこれが最適なんだろうな……。
もう一つの方法に、宇宙船自体をダンジョン化させる方法があることは理解している。さっきからヒスイの視線を痛いほど感じてる。
そんなに強く見つめなくても、わかってるよ。ダンジョン化が最も有効な方法だって。
今まで何度も、それこそ何度もそれで危機を凌いできたんだから。
ただこれはヒスイを、この未だ何もわかっていないこの世界に、存在自体を固定させてしまう危険をはらんでいる。だから出来ないんだ。
ダンジョンコアは、本来ダンジョンの中にあるもので、俺の周りにいる生体ダンジョンコアは例外中の例外だ。ダンジョンの外に出かけることができるけれど、それでも当然距離の制約が生じるんだよな。
下手すればこの宇宙船と、一蓮托生になってしまう。
「お父様。ダンジョン化、やりましょう」
「いやいや、やらないよ?」
ここであえて危険を冒す意味はないな。絶対にない。無いんだぞ、ヒスイ。
篤紫の言葉にあからさまに落ち込んだのか、ヒスイはその場で力なくうなだれた。口を開きかけて、次の言葉が浮かばなくてすぐに口をつぐんだ。
時間がない、このまま急いで管制室に向かおう。
「出来ました、お父様。これを使ってください」
桃華に管制室まで案内してもらおうと思ったら、ヒスイが金色のビー玉ほどの大きさの球体を差し出してきた。
これは……?
「これは月の雫です」
「月の雫……? ……あっ、そうか」
そういえば兎人族が流した涙の雫が、月の雫になるって言っていた。ルナコアからも同じ『月の雫』が滴り落ちていたから、ルナコアそのものの力を受け継いでいるヒスイの涙は、月の雫そのもの……」
「この月の雫は純粋な魔力の結晶。さらにヒスイとは何の繋がりもなく、独立している」
「そうです、それを急いでダンジョンコアにできれば、何とかなります」
「ついでに篤紫さん、私の時間停止もあと三十秒くらいしか持たないわ」
「わかった、任せろっ」
それだけの時間があれば、大丈夫だよ。絶対に間に合わせてみせる。
腰のペンホルダーから、虹色の魔道ペンを取り出した。
ただ、ナナナシアの補助がないことに変わりはないので、もうストレートに宣言させてもらう。
You are the dungeon core of this spacecraft “Ark”.
方舟は、最初に桃華の感想に出ていたから、そのまま宇宙船の名前を『方舟』にした。
さらに追記を重ねる。
The “Ark” can read the thoughts and build the dungeon only once in a 24-hour period by “designating the invading person as the dungeon master for a moment”.
この文面がどれだけ有効かわからない。
あえて固定のダンジョンマスターを置かず、侵入者から情報だけ得られるように指定した。効いてくれよ……。
「桃華、頼むっ!」
「わかったわ時間を戻すわね――」
音が戻ってきた。
停まっていた時間が、動き始めた。
最後の仕上げに、虹色の魔道ペンの側面を打ち付けた。
リィーン――。
きれいな音色が響き渡り、ダンジョンコアに変わった。それと同時に、篤紫の体から大量の魔力が、恐ろしいほどの勢いでダンジョンコアに吸い取られていく。
急激な魔力の流れに、篤紫の左腕が一瞬で燃え上がった。
「お、お父様っ!」
「大丈夫だよ、すぐに終わるから――」
篤紫はしゃがみ込むと、左手のダンジョンコアを地面にそっと置いた。
地面に置かれたダンジョンコアが光り始める。そしてゆっくりと、ダンジョンコアが沈んでいった。
光が、水面に浮かぶ波紋のように伝播していく。
辺りが眩い黄金色の光に包まれた。