百四十話 逆さまの方舟


 ゆっくりと、視界が戻ってくる。
 篤紫は大きく息を吐いて、地面がしっかりと硬化したことを確認してから立ち上がった。宇宙船『方舟』がダンジョン化した証拠に、全ての壁と床が破壊不可能オブジェクトに変化しているはずだ。
 あえて『破壊しよう』と意識して足を踏みつけると、足元のアスファルトがさっきとは違って甲高い音を立てた。

 念には念を入れて、魔道ペンで――。
 なんて考え事をしていたため、前から来ていた刺客に全く気がついていなかった。
 
「おどうざまぁぁぁっ」
「おうふっ――」
 顔が涙でグシャグシャになったヒスイが、正面から抱きついてきた。あまりの勢いに――っていうか、何このすごい力っ?
 篤紫は抱きつかれた勢いのまま吹き飛ばされて、数メートル飛んだところで尻餅をついた。

「ヒスイ、大丈夫だ。大丈夫だから」
「でもっ、でもっ。今もまだ左腕が肩口まで炭化して真っ黒になっでるじゃないでずがぁぁぁぁ――」
 胸にすがりついて大泣きしているヒスイの頭を、無事な方の手で撫でる。

 確かになぁ、左腕が固まったまま動かない。
 ただこれはちょっとした『魔力焼け』だから、ゆっくりと魔力を流して馴染ませていけば、時間がかかってもいずれは治癒する。
 そう思っていたら、桃華が近づいてきてそっと左腕に触れた。温かい魔力魔が流れ込んできて、みるみるうちに焼けて炭化していた腕が元に戻っていく。

 時間操作。
 焼け尽きる前の腕の状態に戻してくれたってことか。

「篤紫さんが、そこまで酷い魔力火傷になったの初めて見たわ。大きな魔法が使えない弊害かしら。時間をちょっとだけ戻したから、あとは自分の魔力を流して馴染ませて、事象を上書きさせておいてね」
「ありがとう、助かったよ。どうやっても体を走る魔力のラインが成長しないんだよな。だから俺はいつまで経っても、生活魔法レベルまでしか魔法が使えない。
 逆に魔道ペンを持ってると、意味がわからないくらい魔力効率が良くなる。不思議だよ。本当は魔法使いたいんだけどな」
「お、おどうざま――」
「ヒスイはまず涙を拭いて、鼻水を何とかしような」
 ホルスターのポケットからハンカチを取り出して渡すと、ヒスイはさっそく鼻をかみはじめた。

 改めて綺麗になった左腕を動かしてみた。若干自分の腕じゃないような、得も言われぬ違和感を感じる。治癒の魔法はないけれど、時間操作で巻き戻せばある程度は何とかなるのか。
 魔力をゆっくり流していくと、最初はかなり違和感があった左腕がいつもの自分の腕として馴染んでいった。何だか不思議な感覚だな。

「これから、どうしようかしら……」
「状況の把握が最優先か。上にあるのって、たぶんどこかの火山の火口だよな」
「上? 上って……あら、ほんとだわ。綺麗ね」
 やけに周りが夕焼けのように赤いと思って、見上げた天井は一面にオレンジ色に染まっていた。ゆっくりと流動していることから、おそらく溶岩なんだろう。

 それにしても、大きな火山だと思う。
 関東一円がすっぽりと入っている巨大な船体ドームが蓋をするかのように、それこそすっぽりと入る火口。意味がわからないくらい巨大な火山だということに他ならない。

 逆さまのまま漆黒の星に墜ちていった方舟は、その逆さまのまま地面にまで到達したんだろうな。方舟自体をダンジョン化したから、重力は足元にあるままだからものすごい違和感がある。



 三人で話し合った結果、とりあえず管制室に向かおうという話になった。現状がわからない以上、先に把握する必要があると思う。桃華が言うには、船の全体を把握するコンソールがあって、さっき見にいたときは全体が問題なく表示されていたらしい。
 ただ、ダンジョン化した今そこが無事であるという保証はない。

 既にダンジョンコアに描き込んだ魔術が発動しているなら、ここにいる三人のうち、誰かの意思を読み取って反映させているはず。それこそダンジョン『方舟』に何かしらの変化が起きているはずだ。

 慎重に、探索をしていく必要がある。
 さらに元の世界に戻るための、手がかりも探さないとか。いや、さすがに今回ばかりは探してなんとかなるか分からないけれど。


 近くにあった都市図を確認したところ、この東京を模した都市はそのまま地球の東京都の地名が使われているようだった。
 地図の中から管制室の名前を探すと、どうやら羽田空港のターミナルビルから管制室に行けるようだ。つまり、地図で見ると東京の南側が宇宙船の先端部なんだろうな。

 ただ、今いる場所が北北西にある板橋区辺りなので、かなり遠くまで移動する必要があるんだよな。幸いなことに地球で皇居に位置する敷地に、この都市の中枢施設があって、そこから管制室まで直行で移動できる手段があるらしい事もわかった。
 いずれにしても、現地までの移動手段を確保しないといけないのだけれど。

「それで桃華は、どうやって管制室まで行ったんだ?」
「停まった時間の中だと乗り物は動かせないから、全部で徒歩で移動していたわよ。
 運がいいことにこの世界は、時間操作の魔法が効率よく効くみたいで、時間に干渉して止めるのに魔力の消費がもの凄く少なかったの。だから、半年ぐらいかかったけど宇宙船の中を全部確認してこれたわ」
「……今、何て? 半年って言った?」
「ええ、正確には五ヶ月半。徒歩だったから、思いの外、移動するのに時間がかかったけれど。魔力最大値から、たぶん残り一割切るくらいまで魔力が保ったから、すごいわよ。ここ」
「マジか……」
 そんな話をしながら、住宅が密集した地区から地方都市の中心部に向けて歩いている。
 無人の街は、かなりチグハグな印象だ。家はあってそれに付随する家具はあるけれど、個人に紐付けされた物が一切なかった。
 食器や衣類だけでなく、今のところ車が一台もない。かといえば、誰の所有でもない自転車が路端に放置されていたりする。少し前に寄ったコンビニには、食料品が一切無いにも関わらず、日用品や書籍なんかは普通に置かれていた。

 陽暦八十七年。

 そこの雑誌に書かれていた見慣れない暦に首を傾げた。
 やっぱりここは、東京の都市に似せた何かなのかもしれない。少なくとも、記憶にある東京は西暦を基準にしていた。和暦はあっても、陽暦なんて聞いたことがない。

「それにしても、何もない都市よね」
「あ、お母様。あそこにタイヤが付いた箱がありますよ」
「あれはトレーラだから単体じゃ動かないのよ。牽引する専用の車があって、引っばってもらうことで初めて動かせるのよ」
「そうなんですね、でも近くに引っ張るための車がないですね」
 住宅街を抜けた先はオフィスビルが立ち並ぶ商業地区だった。桃華とヒスイの話に出ていた場所は、大手運送会社の駐車場だ。確かに牽引するトラクターや、トラックが一台もなく、駐車されていただろう場所だけポッカリと空いていた。
 他にも、会社の駐車場なんかも空っぽだ。

 車を初めて目にしたのは、市街地に入ってすぐの場所にあった、自動車の販売会社だった。

「車に関しては、名義が誰のものでもないものだけ残っている感じなのか。不思議だな」
「あら、家は個人名義じゃないのかしら?」
「昔から不動産は絶対に個人の所有にならないんだよ。だから残っているんじゃないかな」
 ショールームと敷地の駐車場には、三台だけ車が残っていた。鍵を探して、外に停めてあった車に乗ってスタートボタンを押すと、軽快な音を立ててエンジンが動き出した。
 三人で車に乗り込んで、千代田区にある中枢施設に向けて走り出した。

 ちなみに、運転手は桃華。道に出てすぐに反対方向に進もうとしたため、慌てて方向を修正した。忘れていた、桃華は極度の方向音痴じゃないか。
 後席に座っていた篤紫は、身を乗り出すとナビを操作して行き先をセットした。

 無事、到着できますように。



 車が一台も走っていない道は、何故か信号だけはちゃんと動いていて、律儀にも桃華は赤信号のたびに停止していた。
 時折、ナビの案内にすら逆らって逆方向に進んでいこうとする車の行き先を調整しながら、何とか目的地に到着することが出来た。目指す敷地の中心には、堀の外からでも分かるほど大きな建物が建っていた。

 当たり前のように通り過ぎようとする桃華に一旦停まってもらって、少し戻った堀に掛けられた橋を渡った。

「私、皇居の敷地には初めて入るのよ」
「お母様、コウキョとはどのような場所だったのですか?」
「昔から日本の中心だった場所よ。ここに移る前は京都とか奈良が中心だったかしら。少なくとも私たちが住んでいた頃は、この区域一帯が間違いなく政治の中心だったわ」
 テレビで見た事がある道を進んで、駐車場の一角に車を停める。さすがにここには多くの車が停まっていた。
 そこに建っている場違いなくらい大きな建物に入った。


「電車は初めて乗ります。面白い音がするのですね」
 管制室に向かう直行便は昔ながら鉄道だった。さすがにこれは予想外で、ヒスイが目をキラキラさせて、あちこち歩きまわっている。
 考えてみればヒスイが生まれてから、それほど時間が経っていないんだよな。魔神だった頃の知識に、魔法や魔石の力が一切使われていないこの、日本の鉄道は新鮮なんだろう。

「懐かしいわね、夏梛と一緒に乗った時もあんな感じにはしゃいでいたわ」
「それはまだ夏梛が小さい頃の話だろう。ヒスイはどう見ても、十代後半だからちょっと無理があるぞ」
 そうは言っても、初めて乗る電車に興味津々なのはわかる。
 かくいう篤紫と桃華も、並んで窓の外を眺めながら、耳に響くガタンゴトンという音を聞いていた。

 三十分ほどで羽田空港のターミナルビルに到着した。ターミナルビルとは名ばかりで、建物の奥は壁になっていて半分ほど壁に埋もれるようなデザインになっていた。
 恐らくこのまま、奥が管制室になっているんだと思う。

「どうしたの、入らないの? ちなみに管制室には二階から行けるわ」
「ああ……そうか、一回来ているのか」
「機械がごちゃごちゃしていて、私一人だと何だか分からなかったから、見てもらえるとありがたいわ」
「お父様、ダンジョンコアの魔力が管制室の方から感じられます。新しく作ったダンジョンコアが地面の下に沈んでいったので、てっきり下層にあると思っていたのですが。予想外です」
「逆さまの状態で地表に墜ちたんだ、場所的にこの先が最下層じゃないかな」
「あっ、ひっくり返ってるからですか?」
「そうだな、この先にいけば状況がわかると思うよ」
 ターミナルビルの少し奥にある階段を上ってから、その先にあった場違いな扉の前に立つ。

「これって、よくダンジョンボスの手前にある鉄の大扉……だよな」
「前に来たときは自動ドアだったから、少し先の非常ドアから入ったれど。非常ドアも無くなってるわね」
 重厚な鉄の扉に、意匠を凝らした装飾が浮き上がっている。今までがずっと日本の建物だっただけに、ここだけ中世の鉄扉だなんて。
 これはダンジョン化した弊害なのか。

 何だろう、めんどくさい予感しかしない。