百三十二話 兎の都ルナナリア


 再び四足走行モードになったホワイトケープは、巨大な岩山を駆け抜けながら一路ルナナリアを目指して走っていた。
 最初は楽しそうに運転をしていた桃華も、代わり映えのない風景にだんだんと眉が下がってきていた。

 外はまさに巨大な岩山が連なる荒野だ。
 月には空気がないため、植物や生物などの面影は一切無い。時折遠くの方をワイバーンが飛びすぎていくけれど、月面にいるからか一切襲われる様子も無いようだった。
 正直言って、見えるのは赤茶けた大地の色と、真っ暗闇に星が浮かんでいる空だけ。この状態でいつまでも集中できるかと言われると、どう考えても不可能だと思う。

 ましてや天然方向音痴の桃華に、行き先不明の長距離移動は苦行でしかないと思う。
 思うんだけど、嬉々としてハンドルを握っていた桃華に、途中でやめろと言うだけの残酷さを、篤紫は持ち合わせていなかった。
 こういう時には、やっぱり娘が強いんだと思う。

「あの、桃華様……運転、代わりましょうか……?」
 篤紫の横に座っていたコマイナが、同じように眉を下げながら尋ねた。
 時間にして二時間、ずっとハンドルを握っていた桃華は、傍目に見ても疲れた顔をしていた。
 コマイナが桃華に声をかけたことで、篤紫も心底安堵した。

 そもそもだ。例えば平地の道を、車で二時間ずっと運転し続けることを考えてみてほしい。
 ある程度の慣れはあって気楽に運転していたとしても、やっぱり長い間ハンドルを握っていると確実に疲れてくる。均された綺麗な道でさえ、ずっと運転していれば疲れるわけだ。

 それが例えばホワイトケープの四足走行モードで、ついでに操作はハンドルを握っただけで、基本的に流した魔力と意思の力で動かせるとしても、悪路走行を繰り返していれば間違いなく疲労する。
 岩山が大きいから視界も悪い。岩が大きい分だけ、地形の凹凸も大きいから違う意味で気を使っていたと思う。
 極端に視界が悪いのだ。

「……ごめんなさい、さすがに疲れたわ。あとはコマイナちゃんにお願いしてもいいかしら?」
「はい、お任せください。桃華様は、商館ダンジョンの方でゆっくりお休みになってください」
「ありがとう、そうするわね」
 ホワイトケープを岩塊の中にあった平棚の上に停めて、桃華は運転席を立った。去り際に篤紫に軽く手を振ってから、桃華は商館ダンジョンに続く扉をくぐっていった。

 ちなみに、留美、咲良、紅羽の三人は出発して十分ほど経って、代わり映えしない外の景色に飽きてさっさと商館ダンジョンに入っていった。
 ルルガ、マリエルに至っては、管制室と鍛冶部屋、食堂の移動だけだし、ミュシュもさっきオルネと会話した時以外は、同じように商館ダンジョンに籠もっている。

 いったい、旅行とは何なのか……。
 もっとも今の状態が旅行と言えるかどうかだけど、正直難しいとは思っている。


 ともあれ、運転席にコマイナが移動して、再びホワイトケープは大峡谷を走り始めた。
 垂直の壁面を駆け上がり、頂上を越えたら再び切り立った斜面を駆け下りる。
 姿勢が変わっても中の重力が変わらないとはいえ、さすがに次々に天地が入れ替わるような景色は、眺めていると目が回ってくる。
 それでも、運転をコマイナだけに任せるのは気が引けたので、ヒスイと一緒に目まぐるしく移り変わる景色を眺めていた。

 ヒスイは、月の雫を吸収していくらか力を取り戻したのか、篤紫の横に座って楽しそうに両足を交互に振っていた。
 そういえば、ずっと調子が悪かったはずなのに、未だに魔力譲渡するような状態になっていない気がするな。だいぶ回復したのだろうか……?

 ヒスイの顔を覗き込むと、顔を上げて首を傾げてきた。

「ヒスイは、少しくらいは力が戻ったのか?」
 篤紫の問いかけに、ヒスイは傾げていた首を反対に動かした。しばらく考えてから、首を横に振った。

 動けるようになっているけれど、きっと最低限の力しか戻っていないのだろうな。
 例えば今の状態だと、魔法を使ったりするとあっという間に枯渇してしまうはず。
 生命体に見えて、ヒスイは生命体ではなかったと言うことか……もしヒスイが、魔神晶石そのものだったのなら、魔力を消費するだけで回復する手立てがなかったのかもしれない。
 致命的なのが、この間の巨大なダンジョンコアに魔力を吸われたことだな。
 あれで、恐らく億単位の魔力が失われているはずだ。

 だとすると、ルナナリアで月の雫を手に入れられたとして、ある程度の最大容量は増えるかもしれない。でもそもそもが、消費する体質は変わらないんだよな。
 うん、焼け石に水のような気もするんだけど?

 もっと、根本的に解決する手立てはないのか……?

 ふと気づくと、ヒスイがまだこっちを見て首をかしげていた。
 その仕草が愛らしくて、思わず手を伸ばして頭をなでると、くすぐったそうに顔を振る。相変わらずノッペリしていて表情はわからないけれど、何となく嬉しそうな表情をしている気がした。



 あれから七日、未だ巨大な岩山が連なる大峡谷グラウンドキャニアンを、四足走行モードのホワイトケープで駆けていた。
 
 思いの外ルナナリアは遠く、その日のうちに到着しなかったんだ。
 いやそもそも最初、月での一日のサイクルがわからなかった。
 月は昼夜のサイクルがナナナシアと違っていて、いつまで経っても暗くなる様子がなかったんだ。それだけでも時間感覚がおかしくなった。
 スマートフォンの時計を見たらいつの間にか日付が変わっていて、慌てて商館ダンジョンに行ってベッドに潜った。

 コマイナにも、岩棚に駐まって八時間はしっかりと休息を取って貰った。
 本人は寝なくても大丈夫だと言っていたけれど、夜通し(?)一人で運転して、不毛の荒野を進んでいく様子を想像したら、さすがに良心が痛んだ。

 あえて休息の名目で一日かけて時間経過を調べたところ、二十四時間経っても明るいままだった。空に浮かんでいる太陽が、ほとんど移動ししていかなかったのだ。
 その角度、一日経過して全天の十四分の一くらい。
 月齢と同じで、およそ三十日周期が月の一日のなんだろうという結論には達した。
 これには参った。月においての睡眠時間は、自分たちで時間を管理しないといけない。そうしないと、あっという間に寝不足で倒れちゃう。

 そしてやっとというか、七日目にしてようやく太陽が地平線に沈んでいった。計算上、これから十四日から十五日の間はずっと夜が続く……。



 見上げる岩山の上から一段と明るい光が立っているのが見えてきた。
 恐らくあの光の元が、ルナナリアなんだろう。

「篤紫様、あの高い山の上に登ってみますね」
「ああ、頼む。やっとルナナリアに着くのか?」
 今までと違って、遙かに高い山が目の前にそびえ立っていた。
 これまでも大きな岩山を経由してきたけれど、見上げただけでも山の規模が全く違う。
 それに伴って、空を飛んでいるワイバーンの数も多くなってきていた。

「これを……登るのか……」
「篤紫様。ホワイトケープなら、この程度の傾斜は平地と同じですよ。今までも普通にほぼ垂直な岸壁地帯を駆け抜けてきましたから」
「確かにもの凄い地形を抜けてきたけど……」
 心配なのは、岸壁にはワイバーンの巣があることか。
 まあ……関係ないか。
 襲ってくるようなら、返り討ちにするまでだ。

 ついでに言えば、桃華が運転席の横に立って笑顔で何かを訴えていることか。
 コマイナは苦笑いを浮かべて、座席から立ち上がった。運転席に桃華が座り、篤紫が立ち上がって窓際にコマイナが移動して、また真ん中にヒスイを抱っこした篤紫が座った。
 そこまでして、桃華は運転がしたいらしい。

「それじゃあ、頂上に向けて駆け上がるわよっ。ルルガさん、準備はいいかしら」
『こっちはいつでもいいぜっ、準備オッケーだ。連続変形がどれくらいの負荷がかかるか、テスト開始だな』
「瑠美達は?」
『ちゃんと訓練場で魔法を使ってもらっている、抜かりはないぞ』
「なら急な魔力切れの心配はなさそうね。さあ行くわよ、ゴーッ!」
「はっ……?」
「えっ? ええっ?」
 篤紫とコマイナが事態を把握できず、呆然と座っている中、ホワイトケープの激走が始まった。

 四足走行モードで壁面を駆け上がり、途中で人型モードに変形。こちらに気づいて襲いかかってきたワイバーンを華麗な動きで討伐、がっしりと掴んで倉庫に収納した。
 再び四足走行モードに変形して、次の巣棚に駆け上がって人型モードに変形。
 次々にワイバーンが屠られていく。
 それはまるで変形が自然で、元からそういう動きをするように作られていたかのように、滑らかに変形しながら岸壁を駆け上がった。

 きっと、襲われたワイバーンにしてみても、完全に想定外だったのかもしれない。進路上の巣棚以外は、反応できたワイバーンは一体もいなかった。
 そしてあっけなく、ホワイトケープは山の上に到着した。

「これは……すごいわね……」
『ここが兎の都ルナナリアなんだってのか? ちゃんとバリアみたいな物があるんだな、中には空気もあるのか?』
 通信越しの桃華とルルガの会話ですら、篤紫とコマイナには耳に入っていなかった。
 それよりも眼下に広がる都市ルナナリアが、想像以上だったんだ。

 中心にはルルガが言ったバリアすらも突き抜けるほどの巨大な塔が立ち、その塔の周りにはまるで波紋を描くように、建物が立ち並んでいた。夜になったからか、建物には灯りがともっている。
 その建物の間には多くの緑が広がっていて、これだけで、そこに酸素があることがはっきりとわかった。
 外周近縁には穀倉地帯があって、それを取り囲むようにして森林が広がっていた。

 そしてホワイトケープは、兎の都ルナナリアに向けて足を踏み出した。