東屋の中は畳が敷かれていて、い草の爽やかな香りが香っていた。部屋の真ん中には円形の座卓が置かれていて、その周りには座布団が敷かれている。
これが月面にあることを考えると、何だかすごい違和感があるんだけど。
「和……なんだな」
「ええ、そうです。私の生まれが日本ですから、どうしてもこの景観が和むのですよ」
「……えっ? ルナナリアは日本を知っているのか?」
「きゃっ、ちょっと篤紫さんいきなり立ち止まらないでほしいわ」
思わぬところで出てきた『日本』という単語に、篤紫の一瞬思考が止まる。横から顔を覗かせた桃華が、ぶつけた鼻をさすりながら眉を顰めていた。
それより何故、日本のことを知っているのか。
今までけっこう長い間ナナナシアで過ごしてきて、初めて『日本』という言葉を聞いた。日本からの転移組以外は、一切『日本』なんて単語すら知らなかったはずだよな。
それなのにルナナリアの口からは、当たり前のように『日本』がでてきた……。
「ところでルナナリアちゃんは、日本のどこの生まれなの?」
そして案の定、桃華はルナナリアを『ちゃん』呼びしているし。
桃華の隣に座っていたコマイナも、苦笑いを浮かべている。
「私の生まれは京都の左京区ですよ。近くには、平安神宮がありましたね」
「あら、そうなのね。私たちもこう見えて日本の生まれよ。しばらく前にこの世界に迷い込んたのだけど、家族も一緒だったからそのまま住んでいるわ」
「それは奇遇ですね、私たちも巨大な宇宙船で地球を脱出した後に、宇宙空間で同型の宇宙船とニアミスして別の空間に渡った後、ナナナシア星に降り立ったのですよ。
どうぞ、お好きなところに座ってください。お茶を淹れます」
座椅子の周りに全員が座り、ルナナリアによって湯飲みにお茶が注がれた。
「まずは私たちのことについてお話ししますね――」
全員が落ち着いたところで、ルナナリアがゆっくりと話を始めた。
そうしてルナナリアの口から語られた話は、想像以上の話だった。
ある日突然、地球の巨大火山が噴火し、噴煙が地球全体を覆った。長い夜が始まって、気温が下がって、日の光が届かなくなった世界は植物が枯れて、数多くの生き物が命を落としていったらしい。
そんな中、それまで争い合っていた国同士が協力し合い、日本を中心にして巨大な移民船『方舟』を建造し、それぞれの国から移民が眠る移民艦を乗せて宇宙に脱出したそうだ。
その頃のルナナリアは、単なる方舟のメインエンジンを動かしていたナノマシン群体であって、そこに一切の意思は存在していなかったそうだ。
そしてナナナシアに降下する際に、方舟はドラゴンの襲撃に遭い船体が大破。方舟の中央にあって、最初にドラゴンのブレスで吹き飛んだ駆動区は、ナナナシアにあるグラウンドキャニアン中央部に墜ちた。
そこは奇しくも、兎人族が一大科学文明を築いていた場所で、墜落した当時は大騒ぎだったらしい。
そして偶然が重なって、メインエンジンが墜ちたのが月の雫を湛えた湖で、ナノマシン群体と月の雫が混じり合ったことで奇跡的にルナナリアが『意思』として産まれたそうだ。
その時に残っていた『記録』が、京都の左京区にあるメインエンジンを作っていた工場の記録。方舟に積まれ、宇宙に飛びだち、ドラゴンに吹き飛ばされたところまで鮮明な『記憶』として、意思に刻み込まれたのだとか。
だからそういう意味で、生まれたのが日本というのは間違いないのかなと、そんな自己申告もあった。
物に魂が宿るって言われているけれど、実際にそういうことなのかもしれない。
しかし何だか、想像がつかないな。
俺たちが暮らしていた日本では、富士山が噴火したことまでは覚えているけれど、地球を覆うほどの被害はなかったはずなんだ。
……いや、たぶんそうだよね? 噴火した日に異世界転移したから、正確なところは知らないんだけど。
それにあの当時の日本を含めた地球のどこの国にも、大型の宇宙船を建造して、地球の重力圏を飛び出すほどの技術力は無かった。
こうやって考えると、ルナナリアの言っている日本は、何だか違う世界の、違う日本の話みたいなんだよな。
桃華とルナナリア、それからコマイナの三人が、気があったのか妙に話が弾んでいる。
壁がない東屋に柔らかい風が吹き抜けていった。
日本人に馴染みがある和の景色だからなのか、すごくほっとする空間だな。
まだ話がしばらくかかりそうだったので、エルシュに一言断りを入れてから、少し調子が悪そうにしているヒスイの手を引いて、篤紫は庭の散策に出かけた。
「……篤紫さん、今よろしいでしょうか?」
篤紫が庭園の長椅子で、ヒスイに魔力を補充していると、後ろからルナナリアが声をかけてきた。
振り返ると、ルナナリアの後ろに何だか申し訳なさそうな顔をした桃華とコマイナもいる。
「久しぶりのお客様に、少し話し込んでしまいました……」
「いや、大丈夫だよ。時間はあるから、ゆっくり話をしてくれればいいよ」
「いえ……ですが……」
「篤紫さん。ルナナリアちゃんと、ヒスイちゃんの話をしたのよ。ヒスイちゃんって、今も調子が悪いのよね?」
篤紫の隣に座っているヒスイは、篤紫が補充した魔力で今のところは落ち着いている感じだ。ただ、確か昨日、月の雫から直接エネルギーを補充していたはずなのに、思った以上に消費が早いみたいだ。
「そうだな、あまり調子がよくないかな」
「篤紫さんはさっきもそれで話をしている私たちに気を使って、東屋から外に出たのよね。気づいてはいたけれど」
「おかげで私も、色々と今のナナナシアの状況を知ることができました」
立っていたルナナリアが手をかざすと、篤紫の向かい側に長椅子が、長椅子の間には長方形の低い机が現れた。その机の真ん中には穴が開いていて、その穴にルナナリアが大きな傘を刺し込んだ。
これは……昔のお茶屋さんの軒先にあるセットか。
ヒスイが再びもたれかかってきた。反射的に篤紫は、ヒスイに魔力を流した。触れた手から魔力が流れていって、腕が熱を持ち始める。
おかしいな。ヒスイにはついさっきも、けっこうな魔力を譲渡したはずだぞ。それなのにもう、魔力が少なくなっているのか?
もしかしたら、想定していたよりもヒスイの状況が悪化しているのか?
「ところで……桃華さんの話によると、ホワイトケープなる乗り物の中に、魔神晶石車なる乗り物が収納されており、さらにその中に広い世界が存在しているとのことですが」
ヒスイに意識を向けている間にもルナナリアの話が続いていたようで、隣に座っていた桃華に肘で突かれた。
慌ててルナナリアの話に耳を傾ける。
「あ……ああ、あるな。ヒスイがメインコアになっている、大樹ダンジョンのことか」
「ヒスイさんが、ダンジョンコアなのですか? 普通にダンジョンから外に出らているようなのですが?」
「ヒスイが外に出ていても、大樹ダンジョンは維持されているよ。今までも問題なかったし、間違いなく大樹ダンジョンのダンジョンコアはヒスイだな」
「そう、ですか……」
篤紫の言葉を聞いたルナナリアは、しばらく何か考えた後におもむろに立ち上がると、真ん中のテーブルを回り込んでヒスイの元まで近づいてきた。
そうして、首を傾げているヒスイに触れて、同じように首を傾げる。
並んでいると、本当にそっくりだな。
全身が透明な翡翠色のヒスイは、姿形はルナナリアと全く同じ。双子だって言われても、違和感がないくらいに。
「ヒスイさんは今も、常に魔力が減ってしまうのですよね?」
「ああ、その認識で合っているよ。むしろ状況は悪化しているのかも知れない」
「先ほどの魔神晶石車は、そちらのヒスイさんからエネルギーを受けて維持されているとお聞きしました。それならば、ここのルナコアをそちらのダンジョンに移したらどうでしょうか」
普通に、動きが止まったよ。
何てこと言い出すんだよこの子は。いや『この子』とか言う存在じゃなかったか。
「……いや待って、話がいきなり飛びすぎだろう。そもそもルナコアはルナのコアであり、ルナナリアそのものなんじゃないのか?
それに、月はどうなるんだよ。そもそも月の雫があれば何とかなるって、ナナナシアに聞いてきたんだけど」
「触れていれば分かるのですが、さすがにヒスイさんの総容量、それから現在消費し続けている魔力量から鑑みるに、それではとても追いつきません。
それに今のヒスイさんは、コアだけの存在で肝心の魂が無い状態ですから、いつまで経っても魔力の生成が一切できていない。逆に私は、魔力は無限に生み出せますがこの体は仮初めの物。今までもそうですが、これからも永遠に外に出ることが叶わないのですよ」
そう言ってルナナリアは、篤紫から視線を外してヒスイにしっかりと向き直った。
同じように顔を向けたヒスイが、しっかりと頷く。それを受けて、ルナナリアも優しい笑みを浮かべたまま、大きく頷き返した。
いや、何二人で完結してるんだよ。
周りの景色が滲むように解けていく。
「ちょっと、ルナナリアちゃん。それってさっきの話の通りだけど、本当にいいの?」
『ええ、本来私は推進のための機関ですから。あるべき場所に戻るだけですよ』
「そうね。それしかないものね」
「いや駄目だろうよ。ヒスイはどうなるんだよ」
『ヒスイさんは、そのままですよ。私の魂をヒスイさんに託し、私は全ての意識が消えるでしょう』
「いや、それは……何か違うだろう。そんなつもりで俺たちはここに来たんじゃないんだぞっ」
慌てて二人を離そうとして、それが一切叶わないことが分かった。ここがルナナリアの作り出した世界だからか、気づけば俺は体が動かせなくなっていた。
『エルシュ』
「はっ、ルナナリア様」
『盟約に従い、あなたたちを導きます。
全兎人民を率いて、大樹ダンジョンに移住しなさい』
「はい。そのように、女王メルシュに伝えます」
『頼みましたよ』
そして俺たちは、目映い光に包まれた。